見出し画像

短歌レッスン36


『寺山修司全歌集』

今日は時間もないので淡々と進めていきます。

模範短歌

パレットの穴から出てる親指に触りたいの風の岸辺で
桟橋で愛し合ってもかまわないがんこな汚れにザブがあるから
何ひとつ、何ひとつ学ばなかったおまえに遥かな象のシャワーを
雨の中でシーソーに乗ろうよ地下まであおく塗られたあのシーソーに
嘘をつきとおしたままでねむる夜は鳥のかたちのろうそくに火を
ジョン・ライドンに敬礼を 小便小僧のひたいに角うまれし朝
朝の陽にまみれてみえなくなりそうなおまえを足で起こす日曜
恐ろしいのは鉄棒をいつまでもいつまでも回り続ける子供
終バスにふたりは眠る紫の〈降りますランプ〉に取り囲まれて
薬指くわえて手袋脱ぎすてん傷つくことも愚かさのうち
ちんちんをにぎっていいよはこぶねの絵本を閉じてねむる雪の夜

『シンジケート』

「うたの日」お題

「菓」
すこしづつ「お菓子の国」から「奇妙な果実」気づかない小屋、眠れ恋人

やどかり短歌

やっぱ批判から入ってしまう。

「子」
馬の骨言われたことは忘れないやつらの国のわれは悪の子

やどかり短歌

急に昔を思い出してしまった。

「いっぱい」
夢いっぱいいっぱいいっぱいの器の中で生活の詩(うた)を今日も歌おう

やどかり短歌

「詰」
目を瞑って詰むってなんだそこに壁はあるのだろうか想像の地下道

やどかり短歌

具体的な描写がないな。真っ黒な闇の世界だ。

「込」
振込は忘れないようにそれだけが義務だからあとは自由時間だ

やどかり短歌

今日は七五調よりも言葉を吐いていく方向。

NHK短歌を見る。ちっとも入ってこないな。仕草を丁寧に表すこと。

「バス」
すれ違う路線バスは駅に着く乗客の不安を乗せて

やどかり短歌

もう短歌にもならない。穂村弘の〈降りますランプ〉超えたいな。

「ケット」
ネットカフェのケットを腰に巻きダンスするイメージ。孤独な狂気。

イメージだけ。

「用」
用務員は秘密を知っている。その村の掟をしらない訪問者、子どもたちははしゃいでいる。

ぜんぜん短歌が出てこない。

「意」
意中の人にさえ読まれればいいあとは雑魚キャラ、お前ら無視する。

今日も駄目な日。今日はやる気がなかった。どんまい言われてもな。もう機械的に言われているもんだから。それがどんまい以上の意味を持つことになる。仕分けられる人間という。

それに反して詩なり文学をやっているのではなかったのか?そう自答自問するしかないのである。孤独とはそういうものだ。

とりあえず見直そう。

すこしづつ「お菓子の国」から「奇妙な果実」気づかない小屋、眠れ恋人

まず三句目が字余り。最近俳句作るときも三句目が七音になるのだった。それ以上直しようがないので字余りにしてしまうが。字余りになっても言いたいことがある表れだと。リズムは相変わらずぶつ切りだった。上の句は俳句の癖が抜けきらないのだ。一句目で切れて三句目で切れて、四句目でも切れる。それをどうするか?だった。「お菓子の国」は要らないな。

すこしづつ「奇妙な果実」気づかない 眠れ恋人、燃える納屋

やどかり短歌

下の句で区切ってしまうのはどうなんだろう。有効かそうじゃないか?ドラマチックにしたのだが。トップみてみようか?

熨斗付きの菓子折りひとつ携えて母だけが待つ実家へ向かう

うたの日

「熨斗付きの菓子」が持つ意味が見事だな。ただそれを肯定しているようにも思えるのだが。そこに諦念というものがあるような。怒りの表現がなく淡々と進むからだろうか?母だけが待つというのは寂しさを表しているとしたら、「熨斗付きの菓子」をもっていくのは嫁さんであるわけだ。そこに嫁さんの立場が伺えるのだが、そのことに作った人は気がついているのだろうか?気がついていて淡々と詠むのなら、ちょっと違うな。この句に似た句がもう一つあったのだ。

すこしだけふるさとに似るこの街の銘菓携え列車に乗れば

うたの日

選んだのはこっち。「銘菓携え」が何かいい感じがしたのだが、こっちは女性の気持ちを詠んだものだろうな。

あと「うたの日」だけじゃなく自分の歌いたい短歌を作ろう。ストレスがたまる。競技化しているからな。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?