短歌レッスン36
今日は時間もないので淡々と進めていきます。
模範短歌
「うたの日」お題
やっぱ批判から入ってしまう。
急に昔を思い出してしまった。
具体的な描写がないな。真っ黒な闇の世界だ。
今日は七五調よりも言葉を吐いていく方向。
NHK短歌を見る。ちっとも入ってこないな。仕草を丁寧に表すこと。
もう短歌にもならない。穂村弘の〈降りますランプ〉超えたいな。
イメージだけ。
ぜんぜん短歌が出てこない。
今日も駄目な日。今日はやる気がなかった。どんまい言われてもな。もう機械的に言われているもんだから。それがどんまい以上の意味を持つことになる。仕分けられる人間という。
それに反して詩なり文学をやっているのではなかったのか?そう自答自問するしかないのである。孤独とはそういうものだ。
とりあえず見直そう。
まず三句目が字余り。最近俳句作るときも三句目が七音になるのだった。それ以上直しようがないので字余りにしてしまうが。字余りになっても言いたいことがある表れだと。リズムは相変わらずぶつ切りだった。上の句は俳句の癖が抜けきらないのだ。一句目で切れて三句目で切れて、四句目でも切れる。それをどうするか?だった。「お菓子の国」は要らないな。
下の句で区切ってしまうのはどうなんだろう。有効かそうじゃないか?ドラマチックにしたのだが。トップみてみようか?
「熨斗付きの菓子」が持つ意味が見事だな。ただそれを肯定しているようにも思えるのだが。そこに諦念というものがあるような。怒りの表現がなく淡々と進むからだろうか?母だけが待つというのは寂しさを表しているとしたら、「熨斗付きの菓子」をもっていくのは嫁さんであるわけだ。そこに嫁さんの立場が伺えるのだが、そのことに作った人は気がついているのだろうか?気がついていて淡々と詠むのなら、ちょっと違うな。この句に似た句がもう一つあったのだ。
選んだのはこっち。「銘菓携え」が何かいい感じがしたのだが、こっちは女性の気持ちを詠んだものだろうな。
あと「うたの日」だけじゃなく自分の歌いたい短歌を作ろう。ストレスがたまる。競技化しているからな。
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