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八日目の蝉は雌しかいないのかも知れない。


『八日目の蝉』(2011年製作の映画)監督成島出 出演井上真央/ 永作博美/ 小池栄子/ 森口瑤子

あらすじ
今日まで母親だと思っていた人は、自分を誘拐した犯人だった。21年前に起こったある誘拐事件―。不実な男を愛し、子を宿すが、母となることが叶わない絶望の中で、男と妻の間に生まれた赤ん坊を連れ去った女、野々宮希和子と、その誘拐犯に愛情一杯に4年間育てられた女、秋山恵理菜。実の両親の元に戻っても、「ふつう」の生活は望めず、心を閉ざしたまま成長した恵理菜は、ある日自分が妊娠していることに気づく。相手は、希和子と同じ、家庭を持つ男だった。封印していた過去と向き合い、かつて希和子と暮らした小豆島へと向かった恵理菜が見つけた衝撃の真実。そして、恵理菜の下した決断とは・・・?

角田光代原作の『八日目の蝉』が話題になって、NHKでTVでドラマ化されて、それも好評で映画化されたのです。角田光代の小説は読んでないのですがもう題名の『八日目の蝉』でいいに決まってますね。それにオウム真理教(80年代は避けて通れない事件でした)を重ね村上春樹のような読みやすさでサスペンス・ドラマとしても面白いと思います(読んでないのにここまで語る)。


TVドラマ版は観ました。正直言って原作に忠実なのはTVドラマ版だと思います(原作読んでないのでなんとも言えないのですが)。愛人の子供を身籠って堕胎して子供が産めない身体になってしまった。それで愛人と正妻の赤ん坊を誘拐するのです。ただ恐喝目的ではなく、無意識的に。この話は無意識ということがけっこうキー・ポイントになっていると思います。オウム真理教もどきの新興宗教もその無意識をくすぐる宗教です。建前と本音という日本人の二面性をえぐった作品ですね。誘拐犯が子育てをして逃亡生活していく、その安静の地が小豆島なんですね。小島は日本本土とは別空間なんです。神話でも最初に産まれたヒルコ(淡路島)はまともな結婚ではなく流されたのです。小豆島もそのイメージだと思います。本土で生きられない親子が生きられる島。

サスペンスとしては法の目をくぐり抜けながら擬似家族として生きていく。前の新興宗教とも繋がります。そうした共同体は島にはあったのだと想像したのだと思います。日本の法を逃れる。

TVドラマは連載ドラマなので、うってつけのドラマですね。次回はどう展開していくのかハラハラ・ドキドキ。無論、共感は誘拐犯の母親にあるわけです。それを演じた檀ふみが好評でした。まあ、子役の可愛さもあるのですが。

映画では誘拐犯の母親よりも誘拐された娘がヒロインとして主体になっています。ヒロインの無意識の探索として、過去を蘇らすのです。その巫女的な役割として、フリーの週刊誌記者の千草(小池栄子)が元エンジェル・ホームの幼馴染で孤独を抱えたまま育ち自立できないでいる女性として描かれます。男を愛せない同性愛者として、今でいうとシスターフッド的な介添人になるのです。そして、二人で無意識を探る旅に出るロード・ムービーとなっているのです。

この脚本はとても上手いと思います。TVドラマ版のストーリーを生かしながら違う側面を見せるわけですから。だからTVドラマがサスペンスなら映画は自分探しの物語となるのです。今回、アマプラで二回目を観たのですが、TVのドラマ版とストーリーがごっちゃになって記憶していました。井上真央が誘拐犯の母親だと思っていたのです。

井上真央が主演で永作博美が助演賞というのもありますが、基本W主演みたいな感じですよね。ただTV版の影響が強いので永作博美が最初からいい人に思えてしまう。その点井上真央はなんじゃらほいですよね。あまり共感出来ないかもしれない。しかし、過去を蘇らせていくうちに共感してしまいます。敗者の文学だからです。敗れ去った誘拐犯がいる。そして、その彼女を許すと同時に忘れられない小豆島の想い出があるのです。

「八日目の蝉」は「八日目の風景を見られる」千草(小池栄子)が言うのです。小池栄子は助演女優賞レベルの役だと思います。彼岸の世界ですよね。それが小豆島の安らぎの場所だった。

写真館のラストは、号泣シーンですよね。ネガしか残っていない。写真は誘拐犯の母が持っていった。それでネガを現像するのですが、その二人親子の写真が浮かび上がってくるのです。ここで終わったいたら傑作映画となっていただろうにと思います。語りすぎるのです。

まあ、エンタメだからラストを引き伸ばしたのかもしれないです。TVドラマは写真館のショーウィンドウに親子写真を見つけるのだと思いました。記憶違いかもしれない。映画が記憶を探るという物語構造には名作が多い気がします。フラッシュ・バック的に蘇る記憶という感じで、ドラマをつくるのですね。


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