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とりあへず魚になれず秋の雲

秋の雲。「うろこ雲・鯖雲・鰯雲・羊雲」に分類されるがはたしてどれなのか。秋の雲の形にグラデーションがあるから、はっきり~雲と断定できないのだった。それでも「秋の雲」という大雑把に言葉にしているのだ。

とりあへず死の掛けものに秋の雲 神蔵器

ちょっと重たい雲だけど中七は天国へ向かう人なのかと思った。

とりあへず魚になれず秋の雲 宿仮

もう少し分離したら魚の雲になれたかもしれない。

昨日は久しぶりに図書館に行って、そうだ月曜日に図書館が休館日だったので余計な体力を削られて体調不良になったのだと思う。昨日もけっしていいという体調でもなかったが、図書館に三冊返却して、予約本を含め四冊借りた。

ブローティガン『アメリカの鱒釣り』は藤本和子訳のもの。柴田元幸訳もあるのだった。柴田元幸は藤本和子訳を読んでブローティガンを知ったようで、あとがきを書いていた。文庫本にしたい本という三冊で文庫本になったときだったのだろう。もう一冊が『百年の孤独』であと一冊は何だっけ?『見えない都市』だったかな?これも文庫本になっていた。ただ文庫本になったからと行っても絶版になる文庫本も多いのだった。こういう小説は買えるときに買っておかないと手に入らなくなる。まあ図書館という手があるが。

藤本和子も最近のちょいブームなのかな。けっこう文庫本化されているのだが、もう一冊は『砂漠の教室』は予約本だった。イスラエルの夫がいてパレスチナの事情がありヘブライ語(イスラエルの国語)を学びにイスラエルに行ったときの手記。1976年の本だから今と違う風潮なのだろう。

ブローティガンはビートニックよりもポスト・モダンの詩人だという。ビートニックの反発があるのだった。薬物や破壊的な言動の迷惑な若者という感じなのか?それよりは、大人の詩人という位置づけだろうか?(ブローティガンの知識は伝統的アメリカにある)。

ブローティガンも読んでこなかったは、なんとなくこの辺のアメリカ作家は好きじゃなかった。いろいろ問題がありそうだ。それが藤本和子のあとがきに書かれている。藤本を中国人と間違えて暴言を吐くとか。まあ気の良いおっさんなんだろうけど、今だったらトランプ支持になっていたかもしれないと思える。

あとがきでそういうことも書く藤本和子に誠意を感じる。この人は真面目な人なんだろうなという人柄をその文章から感じる。普通こういうことは書かないよな。

「高橋源一郎の「飛ぶ教室」」を聞いていたら文豪たちの墓じまいの話。そういうことは本の中でも起きているということなのか。読めなくなる本が増えていく。そうした中で今回の尾崎世界観の芥川賞候補作の話は面白かった。世の中が経済によって動いているという話。その中では無観客ライブで音楽が無くてもプレミアム・チケットの利益だけで存続するというディストピア小説(そこにファンの熱意を逆手に取っているのだが)。これは面白いかもしれない。

こういう世界は俳句や短歌ではありそうだな。チケットが売れることだけが目的となる。文学界も本のセールスで作家の価値が決まるからな。今回芥川賞を取れなかったのはそうしたセールスに関わってくるのだった。NHKでそれを織り込んでいたのなら、尾崎世界観という商品になっているということだ。この放送が芥川賞受賞を予定していたのなら。逆説的に寒い文学の話に繋がっていく。作家もエゴサーチとかするんだろうか?

『窯変 源氏物語』「浮舟」を読んだがあまり進まない。浮舟と匂宮の暗黒世界へと向かう船は、野坂昭如『黒の舟唄』を連想して、それを聞いていたり。

長谷川きよしの方が琵琶法師みたいでこの場にあっているかもしれない。

『窯変 源氏物語』の浮舟は性の野獣と描かれていた。      

今日の一句はやったので今日の一首。

ゴミ箱に
こぼれるような
言葉から
秋の雲は
ただすぎていく

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