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伊藤野枝のセンチメンタル主義

『伊藤野枝集』森まゆみ編集(岩波文庫)

「吹けよ あれよ 風よ あらしよ」.17歳で故郷を出奔,東京へ.辻潤と結婚,『青鞜』に参加,女性解放を求める活動のさなか,大杉栄と出会い――嵐のごとく生を駆け抜けた伊藤野枝は,28歳で憲兵隊に虐殺された.まっすぐな視線と率直な共感をもって書かれた野枝の力強い文章は,当時の社会を生々しく描いて魅力に富む.

Ⅰ 創 作
 東の渚
 日記より
 雑音――「青鞜」の周囲の人々 「新らしい女」の内部生活(抄)
 乞食の名誉
 白痴の母
 火つけ彦七

Ⅱ 評論・随筆・書簡
 新らしき女の道
 書簡木村荘太宛(一九一三年六月二四日)
 編輯室より(一九一四年一一月号)
 『青鞜』を引き継ぐについて
 読者諸氏に
 青山菊栄様へ
 編輯室より(一九一六年一月号)
 嫁泥棒譚
 彼女の真実――中條百合子氏を論ず
 階級的反感
 書簡 後藤新平宛(一九一八年三月九日)
 山川菊栄論
 ざつろく
 婦人の反抗
 無政府の事実
 書簡伊藤亀吉宛(一九二三年二月推定)
 書簡 林倭衛宛(一九二三年五月一七日)
 禍の根をなすもの
 内気な娘とお転婆娘
 書簡 代準介宛(一九二三年九月三日)
 書簡 伊藤亀吉宛(一九二三年九月三日)

Ⅲ 大杉栄との往復書簡
 伊藤野枝から大杉栄宛(一九一六年四月三〇日 一信)
 伊藤野枝から大杉栄宛(一九一六年四月三〇日 二信)
 大杉栄から伊藤野枝宛(一九一六年五月一日)
 伊藤野枝から大杉栄宛(一九一六年五月二日)
 大杉栄から伊藤野枝宛(一九一六年五月二日)
 大杉栄から伊藤野枝宛(一九一六年五月六日)
 伊藤野枝から大杉栄宛(一九一六年五月七日 二信)
 伊藤野枝から大杉栄宛(一九一六年五月九日 一信)
 伊藤野枝から大杉栄宛(一九一六年五月二七日)
 大杉栄から伊藤野枝宛(一九一六年五月三一日)
 大杉栄から伊藤野枝宛(一九一六年六月二二日)
 伊藤野枝から大杉栄宛(一九一六年六月二二日)
 大杉栄から伊藤野枝宛(一九一六年六月二三日)
 伊藤野枝から大杉栄宛(一九一六年七月一五日 一信)
 大杉栄から伊藤野枝宛(一九一六年七月一六日)
 伊藤野枝から大杉栄宛(一九二〇年一月三一日)
 伊藤野枝から大杉栄宛(一九二〇年二月二九日)

映画『風よ あらしよ 劇場版』を観て、大杉栄が逮捕され後藤新平に長い手紙を書くシーンが印象的でその手紙を読みたくて読んだ。野枝の論法は逆説で大杉を勾留したままでいいですといい、その結果何が起きても責任が持てないというのだ。その逆転の発想が面白い。

山川菊栄に対しても観念よりも実地から攻めているように思える。それは自身の体験からくる思想なのか。そこが平塚らいてふから「青鞜」を引き継いだ実地なのだろう(成功はしなかったが)。

解説で野枝が初期の作品で故郷の今宿の前近代的な村社会が嫌で自由なる東京に出てきたが、そこでの体験を通して前近代的な社会の「相互扶助」という思想を見出したとある。東京(中心)という近代化の中で喪失していくものが例えば山川菊栄と論争になった公娼制度の廃止の議論に於いて、そこを追い出されてしまう娼婦たちは「相互扶助」という繋がりを無くし、孤立化していく。その中で女性の自立と言われても観念でしかない。野枝も公娼制度は最悪なシステムであると認識しているのだが、その中にいる個人に対しては違う意見があると理解する。

大杉栄との三角関係も観念的なものよりも行動が先に立つ人なのだ。そこが神近市子との観念的な恋愛自由主義という理想論とは違うのだ。まず野枝が気遣うのは、妻である堀保子だったということが大杉栄からの手紙から伺える。堀保子を蔑ろに出来ない。それで大杉栄に彼女との対話を求めていたのだ。その手紙には大杉栄が彼女から逃げているという言葉もあった。

神近は大杉に金を援助することで、堀保子との関係は精算出来ると考えていた。経済的な問題に過ぎずに彼女が大杉の借金を肩代わりすれば大杉は自由だと思っていたのだ。そこに野枝が泥棒猫のように愛をかっさらっていく。このへんの事情は書かれていないので推測するしかないのだが、愛は金で買えなかったということなのではないか?それ以上に大杉が悪人なのだが。

むしろ殺傷事件は大杉に弁解の余地はなかった。それは彼は悪人であることで開き直っているからである。大杉のアナーキストは悪人になっても自分の欲望を推し進めることなのだと思う。その悪人にも惚れて離れられない野枝だったのである。それを愛と呼ぶべきか?野枝が愛という弱者に対して相互扶助的な感情を抱くのをセンチメンタル主義とか映画では言っていた。



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