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『源氏物語』から疎外された光源氏の小説

『窯変 源氏物語〈8〉 真木柱 梅枝 藤裏葉 若菜上』橋本治 (中公文庫)

50年代ヴォーグの雰囲気でいきたかった。エロチックで、透明度がありイメージ通りの出来上がりだ。

真木柱

原作が面白すぎたのか「真木柱」は期待してたほどではなかった。やはり御息所のもののけがいないと。真木柱よりもその弟たちに関心が行くんだなと思った。

梅枝 藤裏葉

夕霧がやっと雲井の雁と結婚するのだった。夕霧にはイライラさせられたが光源氏目線だと結構出来のいい息子という感じになっている。明石の姫よりも夕霧の方が気になるようだ。それは明石の姫は紫の上とかに懐いていくからか。そういうところで光源氏の疎外感が出てくる。

若菜上

若菜上は面白かった。光源氏の女三の宮に対する感情は、朱雀院の憎しみだったのだ。優柔不断で何も出来ない男として、天皇の位置にいながら最低だったというような。譲位したのも天皇から逃げ出したのだと手厳しい。さらに出家したのも許せないという(自分の方が先に出家したかった)。それで心残りである女三の宮の面倒を見ろと言い出す。朱雀院の嫌悪感だけがあるのだった。女三の宮は朱雀院の形代とまで言われる。

それは明石の姫との比較で、そういう女性の教育は光源氏は紫の上にさせてきたのだ。その姫としての差もあるのだが、さらに朱雀院の息子である東宮に11才で結婚させられ13歳で懐妊させられた娘に対する怒りもあるのだった。それは光源氏もしてきた宮廷内の男尊女卑の制度の中で、14歳ぐらいで結婚させられ年上の女房とは上手く行かずに、それ以降は女遊びに狂ったような反省もあり、それでも女三の宮にまだ欲望を感じてしまうのだった。それも後ろ盾としての結婚であまりにも幼い女三の宮に幻滅するのだが息子の夕霧がちょっかい出すならそれもいいと考えているのである。結局は宮中は女で回っている社会であり、光源氏はその女達の物語から疎外されているのである。

その物語論でかつて紫の上と議論になったことがあり、光源氏は物語は人にいい影響を与えないというアンチ物語論者だった。その中で紫の上や女性はそういう物語を必要とする。それは女たちの共通基盤としての悲劇なのかもしれない。明石の姫の悲劇は、物語によって救いをもたらすことになるのである。それは明石入道が夢のお告げで世界の中心となる天使(天皇)の物語であり、明石の姫の懐妊もその物語に含まれているのだ。そこでは光源氏はただの精子提供者にしか過ぎない。明石入道という神話上の祖父がいて、悲運の明石の君という母君がいて、その母から引き離された幼い姫という悲劇の物語が、やがて大団円として成就する明石家の悲願だったのだ。そして明石入道はその悲願が達成したときに姿を消してしまうのだった。それは光源氏には出来ない英雄(物語)的な生き方だったのかもしれない。しかし、その物語からは疎外されて一人称として自己批評するしかない語り手であった。

そこが紫式部の女達の物語から自己(物語)批評する光源氏の『源氏物語』となっているのである。気づいたらヒーローはおろか悪役にもなりきれてないただの精子提供者の光源氏だったのだ。

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