シン・短歌レッスン7
日記にどんど焼きのことを書いたのだが、どんど焼きではなく焚火だった。ジャズ・トゥナイトの聴き逃しを聞いていたら「成人式特集」だった。
そうだ。最近は18歳で成人となるのだが、酒も煙草も駄目なんで選挙権だけなんだな。それでも二十歳が成人式だし。まあ、あまり関係なく、思い出しかないのだけれど。
それで二十歳ぐらいの時はよく焚火をしていたと思い出したのだ。それは植木屋とか外仕事が多かったから朝は焚火から始まるとか仕事がない日は一日焚火をしている(植木のゴミ処理なんだけど)とかあの頃は火を見ながらぼっーとしていた時間があったなと。特に何も考えていなかったがなんか今となっては懐かしい焚火だったのだ。それでたまに深夜放送とかで焚火番組があるんだけど、絶対違うって思ってしまう。温かくならいよな。かえって部屋が寒々しくなる。今日は焚火のうたを作ろう。作れなかった。一日前の書き込みだ。
塚本邦雄短歌
「畷(なわて)」が意味不明ですね。「縄手」とも書き真っ直ぐなあぜ道だそうです。そういえば田んぼのあぜ道などに突然曼珠沙華が咲いていますね。また日本が滅ぶというのは、先の敗戦と想像上の敗戦らしいです。和歌は滅びの歌というのは釈迢空から塚本邦雄へ受け継げられてきた家風ですかね。滅びの美学というような。
模範十首
中条ふみ子は、やはり癌で余命宣告を受けて稀有な歌人になったのだと思います。それ以前は、生活短歌と恋の情熱の悶え短歌でしょうか?
いまだと百円ぐらいですかね。安いときはキャベツ100円ぐらいだから。それでもシングルマザーの家庭としてはキツイ生活だと感じさせます。
彼女自身を「蝙蝠」に喩えているのか?「執しつつ」は短歌を執筆しているのだろうと思います。
悲惨さをチャップリンに喩える余裕があれば、犬の歌はなんだかもう悲惨としかいいようがない。
『冬の火事』には青年との情事を感じさせる歌が出てくる。このへんも感情を発露するふみ子らしさなのか?その後に長男の歌ですね。
「サルトル・カミユ氏」の歌は、与謝野晶子の「道を説く君」を連想させる。
「小鳥の籠」が家庭ならば、「ラテン音楽」はふみ子の情熱か?
『天使園』は養護施設なのだろうか?混血の子の歌が多い。次第に自分のこと以外のことも詠むようになったのか?それでも自分の子供と重ねているのだろう。中城ふみ子はけっこう子煩悩な歌が多い。
今日やること
短歌を見直す。ダ・ヴィンチ「短歌を下さい」『地球』 or 『自由詠』。「地球」に合いそうな歌はなかった。新たに作らねば。「地球」という漠然と大きなテーマにどう具体性を持てせるか?ヒントになりそうなもの。パク・ミンギョ『ピンポン』。
外山滋比古『省略の詩学』
切字の効用。俳句。切字を入れよ。
け、せ、へ、れ、は動詞の命令形
し、は形容詞の終止形
けり、つ、ぬ、ず、じ、(ら)む、は助動詞
いかに、は副詞
かな、もがな、ぞ、よ、や、か、助詞
切字は不完全終止形。余韻を残す言い方。
言語の世界。孤立語、膠着語、屈折語の三種類。
漢字は孤立語で、仮名は膠着語。
漢文の表現では孤立した語と語の間の空間が大きいのが漢文らしさを表す。例「地球」「ピンポン」
日本語の文章法は動詞(助詞)を中心とする構造を特色とする。言い切る強さよりも柔らかく流す。切字は強く言い切る終止形、命令形。
訓点読み。漢語的語感は下から上に逆に返って読む。切字に来ると自然と逆に遡り、もとへ返る。「地球」から「ピンポン」で切れてふたたび「地球」へ。
これでいいか?三句めは字足らずだけど、ピンの後に空白の気持ちを込めている。今読んでいるパク・ミンギョ『ピンポン』に影響されたんだけど。
映画短歌
やっとここまでたどり着いた。今日は先日観た『夜、鳥たちが啼く』
今日はこんぐらいだ。
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