短歌レッスン31
写真は映画『DEAD OR ZOMBIE ゾンビが発生しようとも、ボクたちは自己評価を変えない』のゾンビ人形。この映画も観たいのだがレイトだから寝ちゃうのじゃないかと。ホラーなのに。
真面目に短歌に専念しよう。
銭湯の絵がなかった。地獄の壁の絵の山は、富士山が噴火しているイメージだと思いますが、よくわかりません。異次元の世界を歌うのが寺山短歌なので。
模範短歌10首は今日も穂村弘『シンジケート』から。「こわれもの」の章。
一番最初の短歌は、葛原妙子の短歌の返しですね。
虚構の世界観で映画の影響ですかね。脱走兵の短歌は、『大脱走』のマックイーンを連想しました。海亀の短歌は、格好いいですが映画の短歌だとすれば『気狂いピエロ』ですかね。映画から短歌というのを前々から考えていたのです。
そう言えば最近の映画のタイトルが説明的で長くなったと。そこまで説明しなければ客がはいってくれないのだそうです。『DEAD OR ZOMBIE ゾンビが発生しようとも、ボクたちは自己評価を変えない』は、後半が短歌でいう下の句なんですね。自己評価を変えない。難しいですね。どんまいを喰らった夜には。
素直に詠んでみました。
それでは今日もめげずに「うたの日」の課題に挑戦。
最後が字足らずになるのだ。その改善をしなければ。
(改)詰め襟の汚れたカラーで首を絞め洗脳されし制服おたく
弱気。ポジティブ短歌が出来ないな。
渋谷交差点ですね。もうひと工夫欲しい。
これか?昨日Twitterで見た書き込みから連想して。
そんなことはない。彼女プレゼントにすればいいのかも
ちょっと苦しいか?ネガティブ短歌ばかりだな。
ジタンのパッケージデザインが好きだ。
もうひとつだ。
いまいち。吹き出しがいまいちなのか?
「ブラック・ジャック」はそれほど読まなかったからいまいちイメージがわかない。
今日の実感。
面白いのは「ファン」かな。
穂村弘『ぼくの短歌ノート』暗示のテクニック。
の頃が大きく字余りだが、成りきれなかった者の可笑しみ。
「襟」トップ短歌
この人プロでした。「胸襟を開いたような」が上手い。比喩でした「譜面台」に係る。「あさのひかり」を受けて「立ちたり」「胸襟をひらいた」から「立ちたり」まで読み下していく短歌だけど、「襟」が主題でなく比喩になっているよな。それでいいのか?
「無駄」
「うつくしい越境」は何を言っているのかわからない。「ドアをすり抜けてきた」きみなんだろうな。俳句では循環する句はいいというな。「無駄のないフォーム」も抽象的だけど、ファンタジー短歌。アニメのスローモーションのワンカットみたいな。
音楽聴くだけなら「交信」ではなく「受信」なんだけど、「交信」したことで神との交流を描いているのか?ちょっと大げさな感じがしたので選ばなかったのだが、そういう神は誰にもいるということで支持が高かったのか?
「ファン」
「ファン」というお題を「ファンデーション」にしたのがいいのかな。まあファンデーションしないと支持されないということなのかもしれない。剥き出しの素顔では駄目なんだ。あくまでも自然さという「ファンデーション」が共感を得るという。
そして今日も「どんまい」でした。わたしみたいな短歌は絶対支持されない壁のようなものを感じてしまう。「ファンデーション」塗ろうかしら?
「縞」
これは発想の勝利か?「バーコード」と出した時点で「勝利」だと言えるが、前半の「肌寒くなった深夜のコンビニ」が共感度が高いのだと思う。「バーコード」でオヤジの禿頭としたら駄目なんです。笑いより哀愁。これだな。
「煙草」
だいたい「煙草」というお題が謎だ。銘柄はなんでもよくそれを使った短歌ということなのか。
ジタンの人がいた。でもロックなんだよな。フランスだからシャンソンかジャズだろう?でも、これは読みようによっては女の在り方を馬鹿にしているようにも読める。しとやかでいろということじゃないのか?
穂村弘路線も駄目だな。後期穂村弘にしなければ。穂村弘がかわっていくのもわかった。爆弾を作るようなテロリストは必要ないのだ。保守化の流れ。そういえばここ5年でアウトロータイプには憧れないという若者が増えたという。
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