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戦後が消えたわけではなかった

『戦後思想を考える』日高六郎 (岩波新書/1980)

安保闘争の頃に生まれ、高度成長と共に育った若者たちに、どのように「戦後」を語ったらよいのか。敗戦の混乱と、民主化への高揚した気分をどう伝えるか。平和運動、民主教育運動、市民運動などに積極的に参加してきた著者が、自らの体験と重ね合せて戦後史をふり返り、新しい視角を提示しつつ、若者と連帯する方法を考える。

1980年に書かれた本だが驚くほど今の状況を予測して未来の方向性を示している。今読んでも、いや、今こそ読まれるべき本なのかなと思う。

三木清の獄死があり、東条らの処刑死があり、児玉や岸らの無罪釈放がある。この死と生は、多くのことを私たちに教える。いわば、戦後は、その一点からあざやかに照らしだされているかのようである。(略)三木清を獄中から救い出せなかったこと、戦争犯罪の問題を日本人の手で追求し解決できなかったこと。(『戦後思想を考える』日高六郎)

日本の新聞は、戦時の反省もなくそのまま残ったこと。他の国ではドイツでもフランスでも、軍国主義を支持した新聞は廃刊になり、日本のように戦後も残って読まれることはなかった。いまそのつけが来ているのかもしれない。まったく無反省で受け入れてしまったのだ。三木清の問題を追求したのはアメリカ人ジャーナリストだった。その対応に右往左往して内閣は総辞職した。

しかしその後も体制は続いて行ったのだ。そして何よりその問題を上げたのが日本の新聞ではなく、アメリカ人のジャーナリストだったこと。そしてGHQの外圧によって変えざる得ないと知ることになる日本政府の鈍感さ。人権意識の低さ。それは今の我々にも言える。

政治的支配、経済的搾取、社会的差別だけが日本の現代社会の骨格を支えているのではない。生活の管理化、教育の統制化、文化の画一化、思想の受動化、要するにすべての局面におけるおしきせ性がその骨格を支えている。そのおしきせ性に異を唱えることは、めぐりめぐって自分の生活設計に不利になるという構造がしつらえられている。

日本のシステムが安全・監視に向かっているのを安心に思ってしまう。それでどんどん管理化が進んでいる。自由である不安定要素を排除している。最終的には管理されたままの人間が育つ。

コロナ禍でそういうのが明らかになったのだと思う。言われるままにワクチンを打ってマスクをして。それで感染が広がらければいいと。その一方で経済をどうするかが問題となっていく。解除されれば一斉にそれに従う。自分で自分を守ろうとしない。そのリスクを政府にゆだねているから自由にはなれない。

マスクにしても今の時期はマスクをしているリスク(暑さによる呼吸困難とか、子供はマスクを嫌がるもの)をただコロナ禍だから従うべきだの、その反対にマスクが解除されれば一斉にみんなが考えもなくマスクを外す。

例えばマスクのない時期を考えて見て欲しい。誰もがマスク出来る状態ではなかったがその中で出来ることで注意していた。あるいは、マスクがない人にくばる人がいたり。一番駄目だったのは、遮断効果がない布マスクを配った安倍首相だろう。もっとも本人もいまさら安倍マスクをしているわけでもなかった。その在庫が倉庫に保管するだけでも大変だったり、さらにマスクを作る為に自分の知り合いを優遇したという記事もあったのだ。

マスク不足にしても一部の者が後先考えずに買い占め、あとから転売するという利益優先社会が招いたものだった。今の日本社会にあって、自分たちだけの利益を優先させれば、他者がどうなろうと知ったことではないという倫理観がかけてしまった。

それは高度成長期でとりあえず満足させる生活を誰も望んで、誰もが中流意識の中で他者のことを顧みる社会ではなくなった。今さかんに言われている他力ということにしても、自力の反動が招いたものなのだ。それでも他力が国家によって縛られていくのは違う。そのような国家主義が不幸な結果を招くことは、日本が戦争を招いたことでも、今のロシアのウクライナ侵攻でも明らかなことである。それでもこの戦争を利用して、ナショナリズムを煽っている者がいたりするのだ。

それは教育でも、ますます国家主義的になっているのをすべての人が知っているわけでもない。今公開されている『愛国と教育』で描かれているのは学問の自由が国家によって国家の都合のいいように統制されてしまうことだ。そのための組織として、日本会議や「教科書をつくる会」がやっていることは、誰が見ても卑劣なことなのだ。「教科書をつくる会」以外の教科書を使っている学校の校長にハガキを出して圧力をかける。それをやっているのが国会議員だったりするのだ。それを圧力といわず何というのだろう。

学問の自由は現憲法で保証されていることだ。過去には家永教科書裁判の例もある通り、最高裁で政府の罪を認めているのだ。それも32年も長期裁判によって。今の時代に裁判に持っていけないのは何故だろうか?と考えてしまう。あきらかに今の方が教科書の検閲は年々ひどくなっているのだ。さらに道徳教育の復活。それは戦時に行われた教育勅語の復活に繋がりかねないものだ。現に安倍首相が建てようとした鴨池氏が関わった幼稚園では教育勅語が復活していた。さらに他の教科書を使う学校に圧力をかけたことも証言しているのである。

戦後から70年以上過ぎて、戦争の悲惨さを伝えるものもいなくなってしまった。そのときに過去に書かれた本を紐解けば、戦争というものがどんなものか伝えることができるだろう。例えば広島の原爆を体験した人の詩がある。

「生ましめんかな」栗原貞子

こわれたビルディンの地下室の夜だった
原子爆弾の負傷者たちは
ロウソク一本ない暗い地下室を
うずめて、いっぱいだった。
生ぐさい血の匂い、死臭。
汗くさい人いきれ、うめきごえ
その中から、不思議な声がきこえてきた。
「赤ん坊が生まれる」と言うのだ。

(日高六郎『戦後思想を考える』より栗原貞子「生ましめんかな」1946)
ヒロシマというとき

〈ヒロシマ〉といえば
〈ああ ヒロシマ〉とやさしくは
返ってこない
アジアの国々の死者たちや無告の民が
いっせいに犯されたものの怒りを
噴き出すのだ

〈ヒロシマ〉といえば〈パール・ハーバー〉
〈ヒロシマ〉といえば〈南京虐殺〉
〈ヒロシマ〉といえば、女や子供を
壕の中にとじこめ
ガソリンをかけて焼いたマニラの火刑

〈ヒロシマ〉といえば
血と炎のこだまが返って来るのだ

 (日高六郎『戦後思想を考える』より栗原貞子「ヒロシマというとき」1972)

二つの詩のうち、後の詩は自虐史観と言われるのだ。果たしてそうなのだろうか?日本の被害の歴史と加害の歴史を並列したに過ぎない。それを自虐史観というものは、後の詩を削除する者だ。詩は批評するものではなく引用するものだと言われる。それだけ人々に読まれたものなのだ。上の詩は中学の試験問題にもなっているが、試験問題を解くよりも口にするものなのだ。



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