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カサヴェテスの「顔」はジーナ・ローランズだけではない

「ジョン・カサヴェテス レトロスペクティヴ」
『フェイシズ FACES』(1968年/アメリカ/130分/モノクロ)監督・脚本:ジョン・カサヴェテス 出演:ジョン・マーレイ、ジーナ・ローランズ、シーモア・カッセル

関係の破綻した中流アメリカ人夫婦の36時間を描く。男女の愛の葛藤を描いたカサヴェテス一連の作品の原点。自宅を抵当に入れて撮影した監督第2作。アカデミー賞3部門(脚本賞、助演男優賞、助演女優賞)にノミネートという成果を挙げ、ハリウッドにその存在を認知させた革命的傑作。ヴェネチア国際映画祭で最優秀主演男優賞を受賞。

「ジョン・カサヴェテス レトロスペクティヴ」はほとんど見ているのだが映画館では初めてかもしれない。『フェイシズ』を選んだのは正解だった。まず顔なのである。カサヴェテスの顔と言えばジーナ・ローランズ。ジーナ・ローランズが撮れるのはカサヴェテスしかいないというようなクローズアップなのだ。

でもこの映画はジーナ・ローランズだけではなかった。ジョン・マーレイもシーモア・カッセルも、なによりもアカデミー助演女優賞だったリン・カーリン(彼女はこの後はパッとしない映画俳優だったようだが)。その男女が見せるクローズアップの表情。それはアメリカの顔だったのか?

アメリカのブルジョア階級夫婦の破綻という映画だが、ストーリー的には昨日見た『エドワード・ヤンの恋愛時代』に似ている。この手の映画はそれまでなかったわけではない。例えば映画の中で言及されるフェリーニ『甘い生活』もそんな映画の一作だろう。もっと露骨な題名のあるブニュエル『ブルジョアジー密かな楽しみ』もそうだ。それらの映画に比べても遜色ない圧倒的な強度を持っているとすれば、それはカサヴェテスのクローズアップされた顔なのである。

アメリカ人の裕福な人々にある裏の顔。その表の顔がハリウッドなのだ。恋をしました。不倫だったけど自由で楽しめた。そんな夢の世界。それ以後を描いた楽しめない者たちのリアリティ。例えば娼婦のようなジーナ・ローランズが一瞬見せる男に対する嫌悪感とか。馬鹿騒ぎする三人関係(自分はドリカム関係という、女一人で男二人)で始まる酔っぱらいたち。若くもなくすでに青春時代は終ったであろうという中で悪ノリする酔っ払い。そういう光景を確かに見ていた。

普通なら目を背けてくなる光景をまざまざとスクリーンの画面に映し出す。その最たるものは、プレーボーイ(シーモア・カッセル)は熟女キラーというようなスケコマシ。目当てじゃない女性にも気配りの性的な振る舞いで取り入る。そういう男は確かにいてホストタイプでモテたりするんだよな。最初は関心がない素振りの知的な熟女という感じのリン・カーリンが落ちていく様は壮絶だった。「金妻」(バブル時代に流行った日本の不倫ドラマ。古いかも)のカサヴェテス版。惨めな自分自身をさらけ出して睡眠薬自殺しようとするのだ。そういう場面に立ち会ったことがあるのか?というような際どい息を飲むシーンだった。そこに例えばシャワーのシーンだとヒッチコックの『サイコ』に対するオマージュとか感じるのだった。そうどこまでも冷徹で計算されたカメラが悲劇を映し出す。

例えば煙草を吸うシーンにしても映像的には黒い背景に白い煙が引き立たせるハリウッドスタイルかもしれない。その前にむせたりするのだが。煙草もマルボロというアメリカのアイテムを映し出す。そうそれはアメリカ人の贅沢さなのだ。

ジーナ・ローランズと馬鹿騒ぎした男が家に帰ってくると妻が男に寝取られている。そうだ、これはコキュ(フランス文学やジョイスの『ユリシーズ』とか)映画だったのだ。そういう文学性は実際の不倫シーンより事後の夫婦間に佇む煙草を吸うシーンで表現されていると思う。けっこうそこは名シーンになっていると思うのだ。夫と妻の悲しみの双方の煙が交じるシーンだ。

ジーナ・ローランズの映画(ポスターはそうだけど)でもなかったカサヴェテスの俳優の凄さ。そのリアリティはドキュメンタリーを見ているように引き込まれていく。

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