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シン・短歌レッス85

古今集 秋歌上

天の川浅瀬しらなみたどりつつ渡り果てねば明けぞしにける                紀友則

「しらなみ」は「白波」と「知らなみ」の掛詞。織姫のもとを訪ねる彦星の立場で詠んでいる。紀友則の七夕の歌は秋上に模範的に収められているが、似たような「雑体」で藤原兼輔の七夕の誹諧歌として収められていたのと注意して読む必要があるかも。これは季語「七夕」が立っているということなのか?似たような歌なのに藤原兼輔は諧謔と捉えれている。「脛」が滑稽の姿だというのだった。

いつしかとまたく心を脛(はぎ)にあげて天の河を今日やわたらむ  藤原兼輔

『古今集 雑体・諧謔歌』

「古今和歌集」の想像力


鈴木宏子『「古今和歌集」の想像力』のさらに続き。

レトリックの想像力━━見えないものにかたちを与える

1、枕詞・序詞
『古今集』の古典の方の歌に特徴的な技法で代表的な言葉として夜を修飾する「むばたまの」(「ぬばたまの」、「うばたまの」と表記される例もある)がある。

恋ひ死ねとするわざならしむばたまの夜はすがらに夢に見えつつ  詠み人知らず

『古今集 恋一』

「夜」だけではなく「闇」「黒」「夢」なども修飾することがある。「むばたまの」に意味はないとされるが、口承するときの音の響きが彼岸性を帯びてくるような感じだ。あっちの世界へと展開するイメージ。

枕詞は彼岸性を呼び込む言葉として巫女的な口承性のようなものなのかもしれない。

あしひきの→山
ちはやぶる→神
ひさかたの→天・月・光
しきしまの→大和・山・道
たらちねの→母

これらは万葉以前の古い起源の記紀歌謡の中に現れていた。畏怖すべきもの、崇高なものを呼び出すための枕詞。枕詞を呼び出すことで五音に呪術的な意味があったかもしれない。

創作的枕言葉

初雁のはつかに声を聞きしより中空にのみ物を思ふかな  凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)

『古今集 恋一』

「初雁の」は「はつか」にかかる枕詞とされるがそれ意外にも「中空」とも密接な照応関係にあり縁語を形成している。「心が上の空」だという意味を修飾しているとも言えるのだ。

序詞の定義

序詞とはある言葉を導き出す7音節以上の言葉。枕詞のでかいもの、抱きまくら的に考えればいいのか?

住の江の岸に寄る波夜さへや夢の通ひ路人目避くらむ  藤原敏行

『古今集 恋二』

住の江の岸に寄る波        ・・・・(物象)
      夜さへや夢の通ひ路人目避くらむ(心情表現)

比喩的な言葉によって同音異義語の掛詞で導き出している。

吉野川岩高く行く水のはやくぞ人を思ひ初めてし  紀貫之

『古今集 恋一』

吉野川岩高く行く水の速く  ・・・・・・・・・(物象)
          早くぞ人を思ひ初めてし(心情表現)

序詞の言葉がイメージとして残り、心情表現を絵画的表現している。難しい高等テクニックだ。比喩(象徴)ということなんだろう。

場から「ことば」を汲み上げる

「志賀の山超えて」
むすぶ手に雫濁る山の井の飽かでも人に別れぬるかな  紀貫之

『古今集 離別』

安積山(あさかやま)影さへ見ゆる山の井のあさき心が思はなくに  采女

『万葉集 巻十六』

先行する歌を参考に物象(場所)を心情表現として詠む。これも高等テクニックのような。

2、掛詞・縁語

超絶技巧「かきつばた」は在原業平の旅の歌。これは「折句」という技法で五七五七七の冒頭に「かきつば(は)た」が隠されている。

ら衣 つつなれにし ましあれば るばる来ぬる びをしぞ思ふ  在原業平

『古今集 羇旅』

からころもきつつなれしつまあればはるばるきぬるるたびをしぞおもふ
(物象)唐衣着つつ萎れにし褄しあれば張るばる着ぬ
(心情表現)   馴れにし妻しあれば遥々来ぬ

同音異義語で物象と心情を掛詞で表しながら、「唐衣着つ」「萎れ」「張る」が衣服の縁語となっているのだという。これは業平が考案したものでもなくそれ以前の歌で慣れ親しんできた「掛詞」や「縁語」をとっさに歌に読み込んだという。

唐衣ひもゆふぐれになる時は返す返すぞ人は恋しき  詠み人知らず
しきしまの大和にはあらぬ唐衣ころも経ずして逢ふよしもがな  紀貫之
唐衣なれば身にこそまつはれめかけてのみやは恋ひむと思ひし  景式王
あひ見ぬも憂きも我が身の唐衣思ひ知らずも解くるかな  因幡
誰がみそぎ木綿つけ鳥か唐衣たつ田の山にをりはへて鳴く  詠み人知らず

太字が縁語になっている。

掛詞や縁語は恋の歌に隠されて心情表現となっていく。

みるめなき我が身をうらとしらねばやかsれなで海人の足たゆく来る  小野小町

『古今集 恋三』

男を拒絶する女の歌。「みるめ」は「海松布/ 見る目」の掛詞。海でコーディネートした和歌なのだ。掛詞や縁語はで言葉を修飾するデコレーション的な役割で直情の言葉ではなく包み込んで(ラッピングして)相手に届ける。

見立て

ルーツは、誹諧の季語を他のもので見立てて際立たせる技法だが『古今集』でも良く使われていることが研究でわかった。

朝ぼらけ有明の月とみるまでに吉野の里に降れる白雪  坂上是則

『古今集 冬』

「白雪」を「有明の月」に見立てた歌。桜を雪や白髪を雪に見立てたりする。雪→花、花→雪、花→波、雲→花、雪→月、空→海、菊→星、白菊→波、滝→雲、鶴→波………など。

見立ての達人が紀貫之だった。

桜花散りぬる風のなごりには水なき空に波ぞたちける  紀貫之

『古今集 春下』

「なごり(名残/ 余波)」という掛詞が桜花散るから空の波に見立てられていく。紀貫之は「なごり」という言葉ひとつで心情を見事に浮かび上がせる。

『キリンの子 鳥居歌集』

和歌は読むのもいろいろ意味が隠されているから疲れる。その点、短歌は分かりやすいのは共通の社会にいるからだろうか?鳥居の短歌はみんなが言えないことを言う。

朝の道「おはよ!元気?」と尋ねられもう嘘ついた 四月一日
音もなく涙を流す我がいて授業は進む次は25ページ
水とお茶が売り切れになる自販機は大人が多く居る階のもの
昼休み「家族はみんな死んでん」と水を飲みつつクラスメイトに
夕暮れにひとけが引いて教室は茜の光満ちる海原
私でない人が座る教室のワタシの席に私はいない
履歴書に濁った嘘を連ねよと進路指導の先生は言う
就職は数十年後も生きていて働きますと交わす約束
空色のペン一本で描けるだけの空を描いてみたい昼過ぎ
駅前で眠る老人すぐ横にマクドナルの温かいごみ
灰色の空見上げればゆらゆらと死んだ眼に似た十二月の雪

鳥居『キリンの子 職業訓練校』

職業訓練校の日常的風景でありながら共感を誘うのは微妙な精神状態が鳥居にはあるからだろうか?穂村弘と中城ふみ子の短歌から学んだというけっこう直情型の短歌のような気がする。

うたの日

「理想/現実」こういうのは案外抽象的で難しい。比喩の力が必要だ。

『百人一首』

「いく野の道」か場所の比喩で心情表現を詠む練習だな

遠野道いく野の道の山超えてまた雲を見ぬ河童の旅路

ほとんど神話的世界で現実感がない。

マイウェイ歌へば外れ遠野道亡き友ともにヒトカラの夜

これでいいか?「マイウェイ」なんて歌ったことはないが。♪一つのブービー賞。

映画短歌

『台風クラブ』

『百人一首』

いにしへの乗り継ぎ列車不通だよ台風直撃 足止め喰らふ


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