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シン・短歌レッス79

和泉式部の和歌


ありとても頼むべきかは世の中を知らするものは朝顔の花                 和泉式部


朝顔の歌は『源氏物語』にも出てきて、昼には萎れてしまう儚さということだった。

秋はてて霧のまがきにむすぼほれあるかなしきにうつる朝顔

『源氏物語 朝顔』

紫式部のほうは「まがきにむすぼほれ」とあるように添え木が必要な感じだが和泉式部は朝顔の花だけで立っているような心持ちがする。

古今和歌集

恋歌の世界──巻十一から巻十五まで。
古今集の巻十までは春夏秋冬季節の歌だった。そして、巻十一から恋の歌が始まる。その恋の歌は恋一から恋五までの恋の進展(終焉)具合になっているのだが、恋二の「逢わざる恋」は、すでに小野小町の恋の夢でやっていた。

恋一「逢わざる恋(その一)」
恋二「逢わざる恋(その二)」
恋三「初めての逢瀬とその前後」
恋四「熱愛から別離まで」
恋五「失われた恋の追憶」

恋一

山桜霞の間よりほのかにも見てし人こそ恋しかりけれ  紀貫之

『古今集 恋一』

桜と霞の組み合わせは春の巻で同じみの取り合わせだが「ほのかにも見てし人」は一目惚れという。霞の間にからほのかに見えた人を恋しいと思ってしまったのだ。垣間見るは『源氏物語』でも恋の始まりとして同じみである。さらに見るではなく噂に聞いて恋に陥る場合もある。『源氏物語』末摘花の巻がそうで、古今集にも噂に聞く→音に聞くという言葉で捉える。

音にのみきくの白露夜はおきて昼は思ひにあへず消ぬべし  素性法師

『古今集 恋一』

この歌は掛詞も多彩で「菊」「聞く」、「置きて」「起きて」、「思日」「思ひ」で前の言葉で読むと物象(菊の白露を読んでいる)が、後の言葉で読むと心情表現になるのだ。物に寄せて思いを語るのを「寄物陳思」と呼ぶのは俳句でも同じ。

「寄物陳思」の他に「正述心緒」は心の思いをストレートに詠んだもので『万葉集』ではこっちが多いのか?人麻呂の歌についての特徴として言われているようだ。『古今集』にもまだその影響はあるようだが、徐々に「寄物陳思」になっていくのだと思われる。

思ふには忍ぶることぞ負けにける色には出でじと思ひしものを  詠み人知らず

『古今集 恋一』

テキストにしている鈴木宏子『「古今和歌集」の想像力』は詳しすぎて入門者レベルというより研究者レベルの本なので、それだけで目一杯だった。小出しにしよう。


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