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モリコーネは映画音楽が嫌いだった?
『モリコーネ 映画が恋した音楽家』(2021/イタリア)監督ジュゼッペ・トルナトーレ 出演エンニオ・モリコーネ/クリント・イーストウッド/クエンティン・タランティーノ
解説/あらすじ
2020 年 7 ⽉、エンニオ・モリコーネ逝去。享年 91 歳。1961 年以来、500 作品以上という驚異的な数の映画と TV作品の⾳楽を⼿掛けた。なかでも⽇本でも超ロングランヒットを記録、アカデミー賞外国語映画賞にも輝き、⼈⽣の喜怒哀楽のすべてを表すような旋律で情感豊かな映像と共に、⼈々の⼼に永遠に刻まれた『ニュー・シネマ・パラダイス』(89)を始め、ジュゼッペ・トルナトーレが監督するほぼすべての映画⾳楽を⼿掛けた。そんな師弟関係とも呼べるふたりによる<最後のタッグ>であり、トルナトーレ監督だからこそ引き出せるモリコーネ⾃⾝の葛藤と栄光に迫る圧倒的⾳楽ドキュメンタリー。
最初は普通のドキュメンタリーか、ぐらいで見ていたのだが、映画音楽ということで大スクリーンで見るとやっぱ違う。それにモリコーネの初期の頃は日本未公開作が多い。音楽だけで見たい映画があるな。ちなみに一番好きなのは「シシリアン」かな。ジョン・ゾーンの。
監督がジュゼッペ・トルナトーレだけあって、映画のドキュメンタリーとしては映画愛に溢れているかな。それでもモリコーネは最初は映画音楽は正規(この言い方もへんだがアカデミーという世界)の音楽より一段下だと見ていて、その当時はジョン・ケージの実験音楽が流行っていたのでメロディーよりもノイズのような、まさに映画のサウンド・トラックはそういう意味でモリコーネと相性が良かった。
モリコーネの名を一躍有名にしたのがマカロニ・ウエスタンの『荒野の用心棒』でセルジオ・レオーネと組んだことで、最初黒澤明監督の『用心棒』を見せられて、その砂埃や風を感じさせる音楽として、口琴や口笛と言ったオーケストラにはない自然音を使ったりしていた。それはメロディーやハーモニーよりもリズムや臨場音を使った実験音楽のようなものをやりたかったのかもしれない。しかしモリコーネの中にある天性のメロディラインはクラシック的なもの(バッハや民族音楽というような)だった。
『荒野の用心棒』のサウンド・トラックはあまり気に行ってはおらず、たびたび監督と激論になったとか。セルジオ・レオーネとは小学校時代の同級生でもあり、意見を言えたのも良かったのかもしれない。ただ、それからモリコーネはしばしば監督と対立して、勝手に監督が音楽を使ったほうが評判が良く、それから音楽的には素人の奥さんに映画音楽がいいかとお伺いを立てたとか。このへんも面白いエピソード。
さらにキューブリックの『時計じかけのオレンジ』の音楽の依頼もきていたのだが、セルジオ・レオーネがまだ契約が残っているからと断られたとか。本当はセルジオ・レオーネとの仕事は終わっていたのに、モリコーネをアメリカへ手放すことを拒んでいたのかもしれない。
それがアメリカよりもヨーロッパの巨匠たちのサウンド・トラックを手掛けることになったのだ。しかしモリコーネの評価は上がるに従ってアカデミー賞にノミネートされることになった。
アカデミー賞で評価されなかったのは、それがヨーロッパ映画だったからかもしれない。あるいはアカデミー賞はアメリカ人贔屓のところがあるから。
そうしたこともあってアカデミー賞で評価するのは後年になってからなのだが、その頃は映画音楽だけではなく、オーケストラ作品としてコンサートを開くことで世界的に有名になっていく。それは彼のサウンド・トラックが若者の心をつかんで人気になったからだ。
ジョーン・バエズと共演したサウンド・トラックとか歌ものが素晴らしいのだ。
『死刑台のメロディ』でもジャズの即興演奏を使ったり、60年代の初期は実験音楽的な中にモリコーネのメロディのセンスが感じられる。
そのうちにオーケストレーション的なベルトリッチのオペラ的な音楽を作るようになり、それでハリウッド監督の作品も手掛けるようになる。でもやっぱ初期の頃の実験音楽的な方が好きだな。モリコーネが若者の支持を集めたのはそっちのほうなのだ。後にアカデミーに認められることになるが、むしろモリコーネが一段下にみていたサウンド・トラックのメロディが忘れられなくなっている。
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