見出し画像

シン・俳句レッスン42

里芋の葉に雫。雫によく景色とか映っているとかどんだけカメラが高性能なんだと思うが、短歌や俳句の世界は軽々作ってしまう。あれは実際に見た景色のというよりイメージなんだろうな。どこにこの中に景色が映り込むんだ。でもイメージでもその世界が好きなんだよな。

芋の葉に流れる雫一つかな

寺山修司

寺山修司の俳句は短歌が有名になった後に出てきたという。彼の文学的生涯を俳句→短歌→演劇というふうに辿ることはできるのは、自己顕示欲の強い自己劇化の寺山修司の自伝や句集編集者のプロデュースの仕方であると明らかになりつつあるのだという。

寺山修司が注目されたのは、第二回全国学生祭で第一位になったときと第二回短歌研究新人賞受賞に因んで特集「短歌と俳句」で取り上げられたが、それは寺山修司の短歌が過去の俳句からの剽窃だったとして、やり玉に上げられたために以後は寺山の作品は無視され続ける。俳句との出会いは早く、高校生のときに文芸部に入って俳誌を立ち上げ、やがて全国的な『牧羊神』を立ち上げる。この頃は俳句改革運動に携わっていたが、全国学生俳句大会の主催に際して、選者たちとトラブルが生じていた。第二回大会で第一位になる自選「少年の日」は寺山の物語性を帯びた文体が確立しているという。

ラグビーの頬傷ほてる海観ては
便所より青空見えて啄木忌
わが夏帽どこまでも転べども故郷
同人誌あした配らぬ銀河冷え
花売車どこへ押せども母貧し
麦の芽に日あたる父が欲し
桶のままフナムシ乾けり母恋し

「父欲し」「母恋し」は当時の寺山の素直な気持ちが出ているとも読めるが自己演出とも読めるのだった。その傾向は『わが金枝編』(昭和48年)に出た俳句、

父を嗅ぐ書斎に犀を幻視し
暗室より音する母の情事

一層戯画化されてゆく。ただ俳句史的に見るとそれは新しい試みでもなく、すでに新興俳句の者たちに試みれていた(加藤郁乎『球体感覚』参照)。

短歌『チェホフ祭』で寺山の意図と詩法を理解し弁護したのは、俳句界では高柳重信だけだった。

芭蕉━━連句

芭蕉の俳諧は連句によって新しい表現が生み出されたということのようです。連句は一人の作家の連句ではないので、秩序=無秩序という交換のなかで自然が個人に対するように座の中に個人性が溶け込んでいくということなんでしょうか?

その中で連句によるテクニックが出てきたということです。

名月に犬ころ捨る下部かな  蕪村
梅が香にのつと日の出る山路かな  芭蕉

体言(連体形)+「に」「は」によって半独立文を提示するということです。わかりにくいのですが「テーマ」性みたいなものを発句で提示するということです。蕪村の発句なら「名月」で芭蕉の発句なら「梅が香」で、それぞれ秋と春の情景をテーマとして提示するのです。「の」場合もあるようですが、違いはよくわからなかった。

省略・圧縮の文体として体言止めが用いられる。

釣柿に屋根ふれかたる片庇(かたひさし)  羽笠

その他過程叙述や繰り返しの省略とかあるんですが、よくわからないからパス。

倒置の文体

羽蟻飛ぶや富士の裾野の小家より  蕪村
年暮れぬ笠着て草鞋はきながら   芭蕉

芭蕉の句だと「笠着て草鞋はきながら年暮れぬ」が倒置文になっているのです。倒置する前の散文だとそこで文章が閉じられるけど倒置にすることで韻文になるということのようです。

配合の文体

これもよくわからないのですが、テーマとなる言葉が一句の中で上手く配合されているということでしょうか?

山里は万歳遅し梅の花  芭蕉
ほとゝぎす大竹原をもる月夜  芭蕉

一句目「山里は万歳遅し」と言い放って「梅の花」に合わさることによって意味が深くなる。そして俳諧が二回繰り返されるというのは、「梅の花」がまた「山里は万歳遅し」を引き出しているのです。「行って帰る心」と言ってます。

自他融合の文体

ひきずるうしの塩こぼれつゝ  杜国
里見え初(そめ)て午の貝をふく 芭蕉

杜国のは七七の脇句ですね。最初に読み手の主体だと思っていたのが後の句によって三人称的になる手法ですかね。「午の貝をふく」は正午にほら貝などを吹いて知らせることのようです。

句中の切れ

切れ字のことですかね。

梅若葉まりこの宿のとろゝ汁  芭蕉

「まりこ」は地名ですね。郷土料理なのか?

表現の新しみ

俳句は絶えず表現の新しさを求めるということでしょうか?

蝶はむぐらにとばかり鼻をかむ  芭蕉

「むぐら」は草むらで蝶の宿みたいなことかな。「と、ばかり」なのか花粉症なんですかね?

あと「言いかけ」とか「助詞の働き」とか俳句を散文から韻文にするための圧縮ということのようです。

NHK俳句

山田佳乃先生。「椿の実」。椿はよくあるけど「椿の実」は珍しい。中西アルノはけっこう賢いな。旧仮名遣い分からなかった。「けふ」と「てふ」は分かったけど。町長は「ちやうちやう」まず使わないが、「ちようちよう」にならないで「や」になるのは何故だ?ただ漢字表記にするならば関係ないということだった。でも読む方はそういうわけにはいかないんじゃないのか?

落椿海に流され椿の実

落椿は石牟礼道子『春の城』でも出てきたな。落椿のように斬首される。その後から椿の実がなって海に流れるというような。藤村の「椰子の実」だよな。俳句だと難しいな。

斬首島海に流され椿の実

椿の実海に流れよ切支丹

夏井いつきさん「おでん」、山田佳乃さん「薬喰(くすりぐい)」~10月16日(月) 午後1時 締め切り~

また難しいな。「薬喰」とは何ぞや?「豚肉の味噌漬け」で九州の郷土料理だということだ。

石牟礼道子

『石牟礼道子〈句・画〉集 色のない虹』からの俳句。

亡魂とおもう蛍と道行きす  石牟礼道子

「亡魂」は「ぼうこん」と読むのだろうが、「アニマ」と読ませたいと思った。おもうは旧仮名遣いだと「おもふ」になるとおもうのだが、現代だからいいのかな。

亡魂(アニマ)なる斬首島なる椿の実

あめつちの身ぶるいのごとき地震くる  石牟礼道子

地震も大地の呼吸というようなその元で生活している人々か?熊本地震の時に詠んだそうで。

泣きなが原化けそこないの尻尾かな  石牟礼道子

「泣きなが原」という地名だった。娘二人が、悲運を嘆きながらこの道を通ったという伝承の地。そこに尻尾をみたような気がしたので詠んだとか。幼い時から土地の精霊の話を聞かされ育ったという。

天日のふるえや白象もあらわれて  石牟礼道子

「天日」は「太陽」が震えているように見えるというのは目が悪いせいもあるのだろうか?白象と共に彼岸花を持った少女が付き添っているという。「すず」だ。精神を病んだ祖母の思い出もあるそうな。祖母が「八千万億、那由他劫(なゆたごう)」と呟いていたのを「はっせんまんのく、泣いたの子ぅ」と聞き取ったそうだ。

常世なる海の平(ひらい)の石一つ  石牟礼道子

水俣川が注ぐ不知火の海を見て育った記憶と水俣病の思いか?

泣きなが原 鬼女ひとりいて虫の声  石牟礼道子

「鬼女」は芒の化身というような。『苦海浄土』は鬼にならなければ書けなかったという。虫の声は心に呼びかける虫たちの問いというような。

わが道は大河のごとし薄月夜  石牟礼道子

水俣闘争で一緒に闘った人びとのことを思っての薄月夜。不知火の海に映り込む月の影。

湖底(うなぞこ)に鬼の砦あり一歩近づく  石牟礼道子

「湖底(うなぞこ)」はダム(市房ダム)が干上がって埋没された村の遺跡の中に無惨な少女の墓が出てきたという。その体験を『天湖』という小説に書いたという

花れんげ一本立ちして春は焉(おわ)りぬ  石牟礼道子

季節の移り変わりをれんげの花によって知ったという。れんげの花が終わり黒い種を付けて立ち上がっているのだという。その土地を見てないと詠めない句だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?