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シン・俳句レッスン9

今日の一句

白い百日紅。飯島晴子に白い百日紅を詠んだ句があった。

さるすべりしろばなちらす夢違ひ 飯島晴子

百日紅は散ったところがけっこう綺麗だった。今度下も観てこよう。「夢違い」は悪夢を見た時にするおまじないのような。さるすべりにそんな力があるのか?

平畑静塔

「京大俳句」を創刊。静塔は新興俳句のオルガナイザーだったが「根源俳句」の人。ハンセン病療養患者を見つめた『月下の俘虜』が有名。カトリック信者で精神科医。戦後は宇都宮転居を機に地縁や風土との一体化を読んだ。

神父の手肉色走り蝿はらふ
故郷の電車今も西日に頭振る
青胡桃みちのくは樹でつながる
えむぼたん一つ怠けて茂吉の忌

「神父の」の句は「肉食走り」が斬新だという。

「故郷の」の路面電車だという。揺れも激しく、西日を浴びて老朽化した電車だという。「今も」から静塔の幼い時から成人するまで走っていたと思われる。

「みちのく」の句は戦後の『栃木集』。「青胡桃」は夏の季語。ただ今は「みちのく」は古すぎる。演歌じゃないんだから。

「えむぼたん」は社会の窓がボタンだった頃の大らかさと図太さを「茂吉の忌」と詠んだのか?

秋元不死男

寒や母地のアセチレン風に欷(な)き

「寒や母」は「寒いよ、母さん」の呼びかけの簡略化だという。文語ということだろか?どうなんだろう、こういう省略の仕方は。分かる人にしか分からない気がする。「アセチレン」もわからない。「アセチレン灯」ということだ。

「欷(な)き」もほとんど日常では使わない言葉だった。言葉が難しいので後はパス。

橋本多佳子

4Tの一人。杉田久女から学んだという。それで久女が虚子から愛想をつかされた形になったのかと(あくまでも推測)。そのあと山口誓子に付くのだから、小池 百合子みたいな印象を受ける。

わが行けば露とびかかる葛の花
雪はげし抱かれて息のつまりしこと
泣きしあとわが白息の豊かなる
雄鹿の前吾もあららしき息す
罌粟ひらく髪の先まで寂しきとき
螢籠昏ければ揺り炎えたゝす
乳母車夏の怒濤によこむきに
髪乾かず遠くに蛇の衣懸る
月一輪凍湖一輪光りあふ

「わが行けば」と強い意志に「葛の花」というと釈迢空の短歌を連想する。

「雪はげし」は夫恋の句だという。この人は短歌的な自己を詠む人なのか?自己愛的との批評。

「泣きしあと」も自己愛だという。川名大の批評は橋本多佳子評は、女性特有の自己愛でそいうのは男は詠まない(詠めない)という。

「雄鹿の前」も性的情念の句。多佳子50歳の時の句だという。ここまで来れば大した者なのかも。

「罌粟ひらく」は「髪」の女性性は短歌的。

「螢」の句も『源氏物語』を連想するような句だ。螢の生命力が弱まっているのに籠を揺らして燃え尽きるという句なのだ。ちょっと怖いような人だ。

「乳母車」の句も「よこむきに」させる性的なものを感じる。「夏の怒濤」という海水浴の荒波という取り合わせ。

女性の蛇の喩えは古典に登場する情念だ。蛇の衣懸るは性的な暗喩とも取れる。

「月一輪」も謎句だが「月の光り」合わさるエロティックなイメージ。月がディオニソス的。凍湖は諏訪の「御神渡り」か?橋本多佳子は男性が作る客観性と真っ向対立する主観性を詠んでいるような気がする。けっこう好きかもしれない。

NHK俳句

一物仕立て。これまで二物衝突の俳句ばかりやってきたので、
一物仕立ては新鮮だった。その季語だけで詠む。背景に余計な物を入れない。クローズアップの写生の方法か?一物というと「鶴光おま」とか「男根」とか想像してしまうが。季語が立つということはそういうことかもしれない。

まず動詞を使わないで表現すると言うのが良かった。「空へ空へ」のリフレインの技法だ。リフレインは動詞を必要としない。

今日の一句「朝顔の一物仕立て」。

朝顔の花裂けり青空に浮く

こんなもんか。花が咲くと裂くの掛詞的に使い。空から青を裂いたような感じを出したかった。

夏井いつきさん「流れ星」、山田佳乃さん「椿の実(つばきのみ)」~8月21日(月) 午後1時 締め切り~





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