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映画依存症か?

『ペトラ・フォン・カントの苦い涙』(1972年/西ドイツ)監督・脚本:ファスビンダー 出演:マーギット・カーステンゼン、ハンナ・シグラ、イルム・ヘルマン

二度目の結婚に失敗し、落ち込むファッションデザイナーのペトラのもとに、若く美しい女性カーリンが現れる。女性同士の愛を描いた自作の戯曲を映画化した室内劇。

予告編が違うのだが、この予告編を観て観たいと思ったのだ。『苦い涙』の方がイザベル・アジャーニが出ていた。これも観るけど。

統合失調症のファッション・デザイナーを取り巻く人間関係といような室内劇。同性愛者で喧嘩別れしたようで(この部分は寝ていた)彼女の電話を待っている。そこに侍女や娘や妹、母親までが登場して侃々諤々の対話をなす劇なのだが対話が一方通行で対話になっていない。それは彼女の精神の状態が非常に危うくアル中のようでもあるのは、先日観たウルリケ・オッティンガー『アル中⼥の肖像』を連想させる。

ときにハイヒールで硝子の器を踏みつけるシーンやグラスなどを壁に投げつけて壊すシーンなど、彼女のこころに破壊衝動があるのだ。そうして人々の関係を壊していく孤立した女性なのだが、カメラがそういう病者であるような彼女を映し出す。登場人物が全員女性というのも面白い。

主人公の女はあきらかに監督の視線で描かれているのだ、その痛々しさが何故なのか?家族を通してわかるような気がするのだが、ラスト侍女にも逃げられてしまうのだが、この侍女との関係も歪な主従関係で、あきらかにそうのような関係の不味さに原因がありそうなのだが、母親と娘の関係から理解できるような気がする。ただそれも単なる精神分析的な解釈なのかもしれない。同性愛と侍女との関係に何かありそうなのだが、愛の過剰さというものだろうか?愛を求めているのは事実だとは思うのだが。ファスビンターの映画の関係がそんな感じだったのかと思わずにはいられないのは先に観たゴダールのドキュメンタリーで映画だけがコミュニケーションの手段だったというゴダールと共通するものがあるのかもしれない。


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