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麦秋や小津のまほろば映画の夢

『麦秋』小津安二郎監督による1951年の日本映画。麦の収穫期で季節的には初夏に当たる時期を指す。紀子三部作『晩春』『麦秋』『東京物語』。

小津安二郎の映画、紀子三部作『晩春』の次にくるのがこの作品である。大家族の崩壊を描いたホームドラマ。前回見た時(2017年5月31日)は、紀子(原節子)が結婚することで大家族が崩壊していく映画だと思ったが、今回はちょっと見方が変った。紀子は大家族から結婚のプレッシャーをかけまくられているのだ、28歳という年齢、それで親との実家暮らし。ニートじゃないけど。

『麦秋』ついて小津は「これはストーリーそのものよりも、もっと深い<輪廻>というか<無常>というかそういうものを描きたいと思った」という。それで『晩春』の<輪廻転生>が『麦秋』だと考えるのだが、『晩春』のラストシーンで笠智衆の父親がリンゴの皮をむきながら回想するシーンから『麦秋』の鎌倉の海岸のシーンへ。

『麦秋』で描かれている大家族の笠智衆は髪も黒黒で若作り。役柄が原節子の兄役で、『東京物語』で夫婦だった東山千栄子が母なのだから随分ワープすると感じてしまうのだが、この映画の作り物じみた感覚は、セリフや静止カメラの構図、終戦後の作品なのに大家族を維持している不思議さなど思い浮かぶ。映画は小津の夢の世界を描いたからだ。

それは映画の基本、例えばアメリカのホームドラマは中流階級の豊かさを、昨今流行りの韓国映画のホームドラマも上流階級の滑稽さを、かつての日本のドラマでも理想の家族が崩壊していく姿を描いた(小津映画が手本となったのか?)。回想する家族の夢物語。

丸の内OLである紀子が突然結婚を決意する。その前に同級生三人による「ネーネー女子会」。喧嘩して家を飛び出してきた結婚組の同級生をからかうアヤ(淡島千景)に同調する原節子の構図だが、原節子は結婚を否定しているわけではなかった。次は2対2の対面。結婚組対独身同盟なのだけど、最後にアヤと出会いでは「秋田おばこ女子会」で結婚の報告をコミカルに描く。紀子の結婚は唐突のように感じたのはアヤを通して独身主義者だと思ったからだ。

紀子の突然の結婚がこの映画の展開点だが縁談を勧めていったのは周りの者だった。見合い結婚よりも自分の意志で選ぶ結婚を選んだに過ぎない。しかし、それは自由恋愛結婚とは違って、紀子が結婚するのも義理の母になる杉村春子との相性が良さそうだからである。姑選びから結婚を決めたのだ。突然のようでいて伏線はあったのだ。

ここでのたみ(杉村春子)は善人を絵に描いたような隣人であり、その息子は大家族が理想とする婿ではなかった。子持ちで前妻とは死別の独身男。しかし、紀子にとっては幼馴染、戦争に行った次男の親友なのである。紀子の家の大家族の欠損したピースが次男だった。戦死したとも頼りがない行方不明者。杉村春子が紀子に家を尋ねてきたのは見合い相手の家が興信所を使って紀子の素性と家を調べに来たからだ(最近見た映画『あのこは貴族』でも興信所で家柄を探るシーンがあった。もしかして小津映画との繋がりもあるのかも)。家同士の探り合いは紀子の兄もしているのだから、この時代特別なことでもなかったのだろう。戦争によって階級差が無くなった。それによって家の格もわからなくなった。そんなところか?紀子の選んだ相手が不足なのも格が違うからだ。だから見合い相手が40過ぎの男でも家の格があれば嫁にする。

紀子の家に杉村春子が尋ねてきて、昔の良き時代を回想するシーンでの鯉のぼりのモンタージュ。それは次男が存在していた頃の回想として。その後の老夫婦が外に散歩するシーンでは、老夫婦が今が一番いい時(幸福)といいながら紀子の結婚を考えている。そのときに快晴の空に上る風船のモンタージュ。壊れやすい家族の幸福感。

紀子は理想の結婚のイメージはない。ただ兄嫁である間宮史子(三宅邦子)との姉妹的関係にキー・ポイントがありそうだ。二人が並んで歩くシーンや座るシーンに姉妹的な美しさを見せる。紀子が理想とするのは兄嫁の姿ではないのか?家族の中で一番キーポイトとなるのが嫁だと小津は考えたのではないのか?理想の嫁の姿としての紀子の結婚。それは一方の家族の解体を意味した。

最初に大和から鎌倉の息子の家に出てきた爺さんが「大和はまほろば」というのだった。そして、ラストで父と母が大和に帰るときの大和の風景が麦畑だった。米じゃなく?パラレルワールドの世界だった。秋なのに夏だったのだ。そのズレに気が付いた時は、P.K.ディックのSF世界(『高い城の男』)かと思った。

いつのまにか日本人の過去の記憶が米から麦に変換されてしまった。「まほろば」という言葉の意味を考えて欲しい。映画による言葉と時間のマジックだった。面白いと思ったのは「米」ではなくて「麦」を使っているところか。紀子の家族がパン食の家だった。それは次男が兵隊に行って、親友(紀子の結婚相手)に送った「麦の穂」を紀子に渡す。『麦と兵隊』という説明だったが、「麦」はやはりパン食(アメリカ)への憧れがあったと思う。小津のアメリカ映画の映画の憧れの象徴としての『麦秋』。そういえば小津の家の区切られた空間を行き来する登場人物を見て「どこでもドア」だと思わないだろうか?せつない映画だが、映画は時空間の夢なのだ。


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