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温泉のような音楽

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 & カール・ベーム『ブルックナー:交響曲第8番』

ジャズが好きだからこそ苦手となるミュージシャンの代表がマイルスで、例えば文学だったら、三島由紀夫とか、クラシックだったらカラヤンとか。帝王と呼ばれる人に嫌悪をしてしまうのは、思想的なものなのか、実際に好きなタイプはアウトサイダー的な人が多いです。

それでブルックナーなんですけど、これはちょっと違った理由から嫌いだったわけですが、かつて全集を買ったけど一曲も好きなれなかった。長過ぎる、盛り上がりに欠る、散漫である、そんな感想だったのです。

久しぶりに、それも読書でのBGMとして聴いてみるとこれが実によく合う。その読書とはプルースト『失われた時を求めて』なのでした。プルーストに飽きるとブルックナーに耳を傾け、ブルックナーに飽きると『失われた時を求めて』を読む。間歇性とも言われてますが、2つの作品の共通点がそこにあるように思えます。一点集中型ではないのです。

分散していく思考力をただ流れに任せているだけで気持ち良いと感じてしまう。これは、温泉効果と同じですね。温泉で哲学的なことを深く考えるなんてことはしないと思うのです。ただ湯船に浸かって漂っている時間に浸っていく。そういう時間が必要なのだと気付かされます。

ブルックナーがまさにそんな作曲家なのかと思えたのが最近の発見でした。カール・ベームとウィーン・フィルという円熟さの境地も温泉的でいいような。


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