あしゅみなは永遠に。

とうとうみなみちゃんが乃木坂46を卒業してしまった。
みなみちゃんが乃木坂にのこしてくれたものや、卒業セレモニーのセットリスト、後輩との関係性等々、おもうことは多々あれど、やはりわたしはあしゅみなのことばかり考えてしまう。

いまでも脳裏にはステージ上で観客に背を向け、肩を寄せ合うふたりの姿が焼き付いている。あんなに多くのひとに見られながら、完全にふたりだけの世界にいた。

『制服を脱いでサヨナラを…』をこんなにせつないきもちで聴いたのははじめてだった。もうこれからは、いままでのようなきもちでは聴けないだろう。
これまで年少組だったふたりの成長と子どもの無邪気さがないまぜになった白さがある曲だった。それが、おとなになったふたりが、片方のグループ卒業に際して歌うことによって、別の意味をもってしまった。
みなみちゃんがグループ卒業時にうたう曲としてこれほどまでにふさわしい曲はないだろう。

間奏で、飛鳥ちゃんが泣いてしまったときの、「泣かないって言った」「泣いてない」というやりとりから、ファンがおもうよりずっと深い時を一緒にすごしてきたのだと見せつけられたような感覚を覚えて、こちらも涙がとまらなくなった。
おとながおしつけたただのカップリングではなかったのだと、やはりわたしはそうおもいたい。「ちっちゃいころ」からともにがんばってきた大切な存在なのだと、そうおもいたい。

あるときから、飛鳥ちゃんが人間味を帯びてきたと感じていた。「わたしにはできない」と言わなくなり、ひとりの時間を大切にしつつもメンバーとの時間も大切にしていることが伝わってくるようになった。
それは年齢を重ねたからだとおもっていたが、みなみちゃんのおかげで、飛鳥ちゃんがさまざまなやさしさを受け入れられるようになったからなのだとわかってしまった。

あしゅみなでもう1曲、あしゅみなでWセンターを、とか、ずっと願っていたけれど、それは叶わなかった。そのおもいを口にした飛鳥ちゃんに、「頑張れなかった」と言ったみなみちゃんのことばをきちんと受け止めなければならない。
そして、飛鳥ちゃんが乃木坂を卒業するときに、そのとなりにみなみちゃんはいないのだということも。

でも、ふたりはあのステージの上で友だちになった。飛鳥ちゃんはもうひとりではない。以前みなみちゃんがインタビューで「飛鳥はみんなが卒業したあともひとりで頑張らないといけない」と言っていた、そのやさしさがある。

まだきもちの整理がまったくできていない。
今は『制服を脱いでサヨナラを…』を聴くと感極まってしまうのだが、すこしずつまた聴くようになっていくのだとおもう。
みなみちゃんはもう卒業してアイドルでも芸能人でもなくなった。それはわかっているけれど、みなみちゃんがふつうのしあわせを手に入れて、飛鳥ちゃんのお友だちでいてくれたら、と願ってしまう。
ありがとうあしゅみな。ずっとだいすき。

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