無言のライブハウス(2)
前回のエッセイの続きになるが、まずはこのツイートから
この方のツイートには大きく賛同したい。
『変なヤツでも浮かない空間』
ライブハウスは、別に法から外れなければ振る舞いがいくら幼稚でも問題ない空間だ。
そこから転じて考えるなら『キャラの概念』が一切ない空間。まさに自分がもっとも望んだ空間でもある。同様の考えでライブハウスに来る方も中にはいるはず。
そういう考えでもない人たちでも、『まあ、色んな人いるし』という考えて納得する人たちがほとんどの空間だろう。ある意味で尊重ができる人たちである。
しかしだ。次のツイートをみよう。
こいつの考え方は上述の方たちをバッサリ切り捨てるものだ。
はっきり言う。こういう考えの人種は二度とライブハウスに来なくて結構。何なら広くサブカルチャーに関わらないでほしい。何が『黙って家いるか別の策考えろ』だよ。
少なくとも尊重ができないヤツが来る場所じゃない(おそらくブーメランとか言い出すクレーマーへ それでだれが問題提起できるんだよタコ)
何でも適応だけすればいいというものではない。
歴史を見ても、明治維新で社会は大きく変化したが、寺院や神社など片っ端から取り壊すようなことまでしていたと思っているのだろうか。世界文化遺産に指定された古くからの建造物もここ数年で展開し続けるショッピングセンターと価値は同じだと思っているのだろうか。
度合いの違いはあれど、ある程度根幹を尊重して出来上がったものであるはず。
壊してはいけない根幹の部分を壊すことが何故妥協させられるのか。ゼロからは何も生み出せない。
反論ポイントをもう一つ挙げるなら、お上のピント外れなガイドラインのイエスマンに成り下がっているところ。
できないよりマシという考え方は尻すぼみを招くだけだ。
できないよりましと規模縮小としてきた後、迎えるのはライブハウスの閉店、それに伴うカルチャーの衰退。人様にやいやい言われず生音を聴ける環境は消滅。
客の立場でもこれぐらいは想像できる。
ピント外れのガイドラインに異議を唱えることを文句と一蹴している時点で何か問題かわかっていない(わかっているつもりな)ことに呆れる。(一応自分なりの考えたガイドラインは下記の記事内にあるので反論はちゃんと読んでからで)
https://note.com/aoweb/n/n9dff3e6fa31d
路上でやってろと上述したが、できれば路上ですらと見聴きしたくない。
これ以上は感情論に走りそうなのでここまで。
とあるライブハウスの方のツイート。
このご時世なので、全面的に同意できる訳ではないが、こういうスタンスのライブハウスが許されてこその多様性なのでそういう面で言えば同意だ(感情の面だけで言えば全面的に同意したい)。
しかしながら、決してガイドラインに則るライブハウスが悪い訳ではない(廃業になったら本末転倒だとは思うが)。
ガイドラインに愚直に従う中で新しい手段ができたなら、それと従来の手法を組み合わせて改良も望めるはず。
(本来なくていいのだが)これはある意味ではチャンスとも言える。
なぜなら、(おそらくで申し訳ないが)従来のライブハウスも紆余曲折ありながらその形になっていったと考えているからだ。
件のウイルスがあろうが、ライブハウスに限らずサブカルチャーにおいては、
尊重すること
これだけは絶対に抜け落ちてはいけない。
長くなったが以上とする。
A.O.
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