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日記 わたしは風とそう変わらないんだ。

 昨夜のこと。寝る前、布団のなかでうだうだとXのタイムラインを漂っていたら、退任した熊本県知事と最後のハグを交わすくまモン、車窓越しに知事と手をつなぐくまモン、知事を乗せて走り去る車を転びながら必死に追いかけるくまモン、という一連の様子を収めた動画が流れてきて、泣いてしまった。知事はくまモンにとってお父さんのような存在だったそう。最近、ちょっとしたことですぐに涙が出てきてしまう。

 7時20分起床。休日。晴れ。夫の弁当作り、掃除洗濯。朝食、蒸しパン(チョコバナナ味)、カフェオレ。曽我部恵一のアルバム流しながら身支度し、花柄のワンピース着て本屋へ出発。花柄のワンピースと白いスニーカー姿で自転車に乗ることを『四月物語ごっこ』と呼んでいる。本日の購入本。

・柴崎友香『百年と一日』
・恒川光太郎『夜市』
・小津夜景『ロゴスと巻貝』
・『休むヒント。』

 どの本もXで見かけて気になっていたもの。OSAJIのリップの新色も購入。カヌレ、という名前のブラウンカラーで、きらきらしていてとても可愛い。

 スーパーに寄って帰宅したら、ネットで注文していた車谷長吉『世界一周恐怖航海記』がポストに届いていた。読みたい本が多すぎて、うれしくてくるしい。昼食、スーパーで買った握り寿司。熱いお茶を啜りながら。

 どれから手をつけようか悩んで、とりあえず小津夜景『ロゴスと巻貝』手に取る。淡いブルーの、とても美しい本。一番始めの『読書というもの』という章を読んで、あっ好きです、と思った。まだほんの数ページしか読んでいないけれど、わたしこの本が好きです、と。

わたしは風とそう変わらないんだ。濡れている日もあれば乾いている日もある。しょっぱい日もあれば甘ったるい日もあった。消毒液の匂いの日やパンの匂いの日だって。喧騒に身を浸していた日も、心臓の音ばかりを聞いていた日も。緑色の日。茜色の日。いろんな日が過ぎ去ったけれど、いつだって同じように自分だった。

小津夜景『ロゴスと巻貝』
おやつ。干し芋とソイラテ。


 夕飯。春巻き二種(豚バラ大葉チーズ、豆腐大葉塩昆布)、新玉ねぎのサラダ、たくあん、にんじんと新玉ねぎの味噌汁。久々に春巻きを作ったらとても美味しかった。豆腐を春巻きの具にする、という長谷川あかりさんの発想、すごい。バンテリンドームでのヤクルト中日戦観ながら食べる。ヤクルト先発、みんな大好き石川雅規!!熱烈応援。今日も石川さんは渋くてかっこいい。いつもかっこいい。順調にスコアボードにゼロを並べ続けるも、相手先発小笠原もキレキレで、点が、とれない‥‥‥。石川さんの今季初勝利はお預けに。かなしい。石川さん降板後、やっとこさ得点に成功。うれしい。うれしいけど、それさっきやってよ、と思わずにはいられない複雑なファン心理。結局中継ぎ打たれて逆転負け。今年の中日ドラゴンズの強さ、本物なのかどうなのか。五月にレッチリを観に東京へ行く夫が、テーブルの向こう側で熱心に旅行の計画を立てている。神保町でカレーを食べながら読むのに相応しい文庫本はなにか、と訊かれ、少し悩んで保坂和志と答えた。

 小津夜景『ロゴスと巻貝』、あんまり面白くて読み切ってしまった。自分のてのひら、学級文庫、『花とゆめ』、そんなごく身近な世界から、本を媒介に世界は思考はぐんぐん広がっていく。なんだかすごかった。終始おだやかでやさしい文章なのに、なんというか、凄味があった。紙に印刷されている文章を追いかけていただけなのに、いつの間にか、満点の星空とか、きれいなきれいな青い海とか、目に痛いぐらいに青い空とか、そんな壮大な風景を目の当たりにして呆然としているかのような、そんな感覚に陥った。不思議で、だけどとても心地よい感覚。時おり綴られる夫婦の会話がとても素敵で、最後のあとがきがとてもとても素敵で(タイトルだけでやられてしまう)、余韻を味わいながら、しあわせな気持ちで本を閉じた。読書って、本って、ほんとうにいい。わたしはこの本が好きです。

 いましもこの世界の片隅に、本を読んでいるひとがいる。それはほかの鑑賞で見られるような熱狂を生み出さない。読書の情動は、はかなくゆれるたった一本のろうそくの炎にすぎないのだ。でも目をとじれば、この世界のあちこちで、鼓動のように、だれかの胸のともしびが明滅しているのが見える。それが至るところで起こっていて、地球はいつも決して死なない蛍の群れに覆われているみたいだ。

「あのさ、もしも地球が滅亡する運命になって、ここに残るか違う星に行くのか選ばないといけなくなったらどうする?違う星に行くっていっても、そこが安全かまだわからない段階なの」
「いきなりなんなのさ」
「わたしね、そうなったら地球に残るってのもありうるなと一瞬思ったの。で、そんな自分が怖くなってしまって。これぞ煩悩だなって」
「僕はね、もしもどこかの星にたどりつく希望がわずかでもあるなら、あなたを連れて違う星に旅立つと思うよ」
箸をとめることも、考え込むこともなく、さらりと夫は言った。
「うん。そうだよね」とわたし。
「そうさ」と夫。
 わたしたちはおなかをいっぱいにして、風呂に入って、歯を磨いて、布団をかぶった。眠りに落ちるまえ、ちょっと考えた。わたしには地球に優しくされた記憶がある。その記憶さえあれば、どこで死んだってかまわない。この星はわたしの地元なのだから。ただひとつだけ気になるのは、もしも地球から旅立ち、根無し草となって宇宙空間を漂うようなことになった場合のこと。そのときわたしは、自分のことをはたして人間と呼ぶのだろうか。人間という概念にこめられた矜持は、いったい宇宙でなんの意味をなすのだろうか。

小津夜景『ロゴスと巻貝』

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