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私のワクワクの源泉となった2冊(娘にとってもそうであるとは限らないという話)

クレヨンで描いた絵が、本物になったら・・・
はさみで切り抜いた形が、本物になったら・・・

小さい頃から、そうした空想にワクワクしていました。でも、もしかしたらこの発想って、絵本から受け取ったものなのかも?

自分が作ったもの(平面)が立ち上がって現実世界にやってくる、という内容の絵本ってすごく多いですね。私の場合は、「はろるどまほうのくにへ」(クレヨン)と「ももいろのきりん」(紙)に多大な影響を受けたと思います。

「ハロルドまほうのくにへ」で活躍するむらさきいろのクレヨンは、赤ちゃんサイズのハロルドに対して、かなり大きい。その大きな一本のクレヨンで、ハロルドは大きな絵を迷いなく描いていきます。

描きあがるそばから本物になっていく。でも、何の絵を描くのか、全てをコントロールはできていないようで、思いがけず恐ろしいもの(巨人の魔女や、大量の蚊)を生み出してしまったりもします。自由なようでいて、魔女が出てきてしまったりする場面は、子供心にも恐ろしかったのを覚えています。

「ももいろのきりん」で本物になるのは紙。糊の重みで首が曲がってしまったり、洗濯ばさみで干したらパリッとしたり、そういう質感がリアルです。物語後半では、きりんのキリカとるるこはクレヨン山に行き、問題を見事に解決して、最後にキリカの家を作ります。このお家がなんとも素敵で、いま眺めても子どものころの「うっとり」を思い出します。

娘は、私が薦めた「ハロルドまほうのくに」を、はじめ(3歳ごろ)なかなか自分から手にとりませんでした。私よりも感受性が強い彼女は、”恐ろしい雰囲気” がとても苦手なので、紫の線だけで浮き上がってくる世界が不気味に映ったのかもしれません。不意に現れる魔女なども怖かったのかも? 絵は全然怖くないんですけれどね。

「ももいろのきりん」も、4歳のころにパラパラと見せたときには反応が薄かったのですが、5歳になって改めて一緒に読んだところ、ヒットしました。文章の量もあるかもしれませんが、想像したものと遊ぶだけの、心の厚みというのか、深さというのか、ができてきたのかな、という感じがします。

自分が好きだった本を薦めても、受け入れてもらえなくてちょっと残念に思ったり、気に入ってもらえてとても嬉しかったり。それがまた、年齢が上がって変化したり。子どもと本を読むと、いろいろな部分に心が動き、一人で読むのとは違う楽しさがありますね。
2016.4.22

著・クロケット・ジョンソン /翻訳・岸田 衿子『ハロルドまほうのくにへ』(文化出版局)
文・中川 李枝子 / 絵・中川 宗弥 『ももいろのきりん』(福音館書店)

※10年後の私からのコメント
いまは娘の本棚に入っている、この2冊。はたして彼女が私ほどこの本に魅了されたのかというと、正直疑問だ。違う人間なのだからあたりまえのことなのに、自分が読んできた本そのものを手渡すときには、つい「同じくらい好きになってほしい」と思ってしまう悪い癖。
読んだときに楽しんでくれたのなら嬉しい。でも、好きじゃなかったとしても、それはそれ。今後も肝に銘じたい。(まあ、娘の方から「ママは好きでも私は苦手」とはっきり言ってくれるか・・・)


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