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出雲あやと出雲ふみ、古紙の乱舞に挑む

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 開架小学校三年、町の書道教室に通っている娘のふみは、生まれる時代が違えば、空海(くうかい)、橘逸勢(たちばなのはやなり)、嵯峨天皇(さがてんのう)の「三筆」に並ぶほどの人物にだってなれただろう。幼稚園の頃から漢字の覚えは人一倍早くて、書道教室に通うなり飛び抜けた才能を発揮し、文部科学大臣賞を受賞するほどの上級者だった。通っている書道教室でも初めての快挙で、書家の先生が腰を抜かして寝込んでしまうほどだった。
 そんな稀有な娘を持つ出雲あやは、愛知生まれで、民話伝承好きな母親で、故郷を離れて縁のある神社に嫁ぎ、家庭で八丁味噌を使った料理やおやつをたまに作りながら日々を過ごしていた。忙しいのは年末年始や厄払いの神事がある時くらいだ。特に十月――神無月は暇だった。
 不思議なもので、十月は参拝客もご祈祷の依頼も少ない。世間で神無月は神様が出雲大社に出かけていなくなる月だと知られているせいか、あやの務める神社が閑散とする。家は『大国山神社』と言うが、その名が示す通り、国づくりの神・大国主(おおくにぬし)を祀っており、同じ大国主を祀る出雲大社とはもちろん縁がある。
 昔、ふみがお腹にいた頃に、出雲大社に安産祈願に出かけたことがあるが、そのとき、あやは夫にわがままを言って寄り道し、妖怪研究の大家・水木しげるの故郷として有名な境港(さかいみなと)の町をたっぷり巡らせてもらったのは、今思えば一種の胎教だったかもしれない。
 ちなみに、神無月は八百万(やおよろず)の神が出雲大社に出かけると言われるが、それはあくまで出雲大社が広めた信仰であり、各地の神社からご利益が消えるわけではない。なぜなら、基本的に神様は社(やしろ)にいるわけでないし、神社は人が神様に礼拝する場所なので、拝めば願いは神様に届くのである。
 つまり、この大国玉神社に祀られる大国主は、決して神無月に実家に帰るということではないのだが、結局やっぱり暇だった。
 十月二十日は、酒屋さんがくれた日めくりカレンダーによると、「リサイクルの日」であり「新聞広告の日」のようだ。「リサイクルの日」の由来は、「ひとまわり(十)、ふたまわり(二十)」の語呂合わせだと書いてあり、わかるようなわからないような感じだ。「新聞広告の日」の理由は覚えやすいからとかで、もっと曖昧だった。
 とりあえずそんな日だったので、古紙回収車を呼ぶことにした。物置にある新聞紙やチラシの束をまとめて出そう。九月は祭事が多くて忙しく、古紙を溜めてしまっていた。
 それから、ふみが家で練習した習字の半紙も溜まっていた。紙製の縄で束ねてあるので、一緒に出すことにしよう。あやもまた書道が好きで、手紙は筆で書くほどの上級者なので、習字で使った半紙をごみ箱に入れるのは抵抗があり、いつも古紙として回収してもらうのだ。
 ちなみに、ふみは習字が好きで練習量がすさまじいから、半紙の消費量も桁違いだった。
「お母さん、どこ行くの?」
 朝ごはんの後、居間に寝て教育テレビを見ていたふみが身を起こした。
「古紙をまとめてくるよ」
「私も行くっ!」
 礼儀正しく育った娘はきちんとテレビを消して、楽しげにちょこちょこと付いてきた。まっすぐのやわらかい黒髪を両サイドに分け、白いリボンで結んでいる。神に仕える巫女のような元結い風の結び方をふみは幼少時から気に入っていたので、あやが髪を結ぶ時はだいたいこの結び方にしてあげた。
 居間を出て廊下を進む。隣りを歩くふみは、とても背が小さい。クラスで一番低いのは運動会で見て知っていた。ちなみに、夫は世間一般並みの背丈だが、あやは背が小さいので、そこは似てしまったのだろう。
 あやは小さくてかわいいとよく言われたが、かっこいいと言われたことは一度もない。それで、中学生の頃にやたら〝かっこよさ〟に憧れて、お祭りで紺色の作務衣を着て狐面とおもちゃの脇差を備えてみたり、護符と銀の扇子を持ってみたりしたが、どうもそれは世間一般の女子のかっこよさとは違うらしく、夫にそんな昔話をしたら、夫から「今時はかっこいいじゃなくて〝中二病〟と言うらしいよ」と笑われてしまったこともある。
 この子はどんな中学生になるかわからないし、その年には自分の感覚で居心地のいい環境を探していきそうだけど、今はまだ母親にまとわりつく娘であることが何となく嬉しい。古紙を出し終わったら、お昼はふみが好きな味噌カツ丼でも作ってあげようかな、と頭を撫でる。あやは甘めの味噌料理が得意だった。八丁味噌は愛知の三河の味噌蔵から定期的に送ってもらっていて欠かしたことがない。
「ふみ、お昼は味噌カツ丼にしようか」
「えっ、うん、する!」
 娘の元気な笑顔を見ながら物置の戸を引くと、唐突に中から大量の古紙が舞い上がって噴き出した。小さなふみは「きゃっ!!」と尻餅をつき、あやも手を弾かれて身をひるがえし、廊下の柱にしがみついた。なっ、何が起きたのか。あやは激しく気が動転した。
 まるで物置の中に巨大扇風機でもあるかのような、すさまじい状態だった。大量の紙が花吹雪のように舞い乱れ、空中で渦を巻いていた。古紙だけでなく、未使用の白い紙も無数に飛び交っていた。しかし奇妙なことに、風をまったく感じないのだ。つまり、強風で紙が舞っているのでない超不自然な現象が起きているのだ。
「お母さん! 紙がっ!」
 へたり込んで叫ぶ娘をぎゅっと抱き締めた。この奇怪な現象の名を、いくら自分の血を引いていても、小三の娘が知るわけもない。知らなくてもこんな状況を正視できるなんて大した度胸だと思う。泣き出すことなく逃げ出すことなく、何とか状況の理解に努めようとしている。
「ふみ、覚えておいて、これは『紙舞(かみまい)』だよ」
 この子には常人には見えないことが――紙の乱舞する有り様が見えるのだ。おそらく常人には、物置の前で母娘がしゃがみこんでいる姿としか見えないはずだ。
「お母さん、これ……すごいけど……きれいだね」
 この子はもう見慣れたのか。言う通り、物置から飛び出すあまたの紙々は、灰色の新聞紙も七色のチラシも白い半紙も混ぜこぜで、魔法の国に迷い込んだ――さながらふみが、不思議の国のアリスが舞い上がるトランプに襲われる場面にいるようで、半分恐くて半分ワクワクして、夢の終わりを待っている感じだった。
 しかし、紙舞の脅威はこれだけで終わらない。さながら不思議の国で女王が「首をはねろ!」と命じたかのように、白い紙が何枚か、あやとふみの顔をめがけて襲ってきたのだ。これが顔にへばりつくと、病を患い、高熱を出して寝込んでしまう。江戸の昔、名古屋で起きたと伝わる怪事と似たものならば、顔を紙で覆われたら極めて危険だ。
「ふみ、すぐ頭を抱えて!! 絶対、顔を上げちゃダメだよっ!!」
「うんっ!!」
 素直な子で助かった。白い紙が超不自然なほど硬くなり、あやの頭や背中に次から次に貼りついてくる。顔を覆われないよう穴熊みたいに伏せ、大事な娘をしっかり抱えて、襲い来る紙々の侵入を防いだ。
 しかし、どうやって事態を収めるべきか。確か、江戸の世に伝わる紙舞は「しばらくすると紙は夜空に消えた」とあったはずだが、今は真っ昼間だ。まさか夜までこの状況が続くとかは勘弁して欲しい、お昼は味噌カツが食べたい、とあやは胸の内に思った。
 そのとき、玄関の呼び鈴が鳴った。古紙回収車が予定よりちょっと早く来たのだろう。
 ……この状況で、回収できるはずがない。とりあえず古紙回収車には帰ってもらったほうがいいだろうかと、あやは紙舞に耐えながら悩んだ。
 夫は町の会合で出かけていて、家にはあやとふみしかいない。古紙回収の人に助けを呼ぶわけにもいかないだろう。じゃあ、いつ祓うか。……今ではない。実はこんなふうに、あやは怪奇現象の知識はあっても、いざ直面した時どうすればいいかは――残念ながらあまり機転が回らなかった。それが最大の弱みだった。
 ひとまず、抱えた娘に話しかける。
「ふみ……大丈夫?」
「お母さん、玄関で誰か呼んでるよ?」
 娘は小三にして驚くほど平常心だった。いくら激しく舞い上がろうと、要は新聞紙とチラシと半紙だ、とか思っているのだろうか。確かにそうなのだが、まったく肝が座り過ぎている。こんな子が相手では、怪奇現象側も脅かし甲斐がないだろう。誰がこんな子を産んだのか――もちろん、あやだった。
「うーん、隣りの家じゃない?」
「お母さん、違うよ。この呼び鈴はうちだもん」
 娘に訂正された。誤魔化せない実直な子に育って良かった。賢い我が子をあやは誇りに思う。と同時にまだ状況を打開できず防衛一方である状況に困った。まあ、防ぎ方は伝わっていても祓い方は伝わっていない現象は多数あるのは確かだ。この紙舞だってそれだ。
 それにしてもしつこい。いつまで宙を舞ってるんだ。そんな時、ふみが穴熊の守りの中でつぶやいた。
「お母さん、紙に勝つ方法――私、わかったよ」
 まったく予想外の言葉だ。
「えっ、なに?」
「チョキ」
 単純明快な答えだった。なるほど。チョキはパアに勝つ。じゃんけんは近代になって出来たものだったようにも思うが、紙が現在舞ってるんだから勝ち方だって現在でいいはずだ。とにかく、鋏(はさみ)で切るのはやってみる価値がありそうだ。相手が紙なら、いつまでもグーみたいな穴熊姿勢では勝ち目がない。その通りだ。
 娘の知恵で――ようやく活路が見えた。
「お母さん、ハサミある?」
「うふふ。ふみ、お母さんの趣味はね、境内の植木いじりなんだよ。で、道具はこの物置の中! じゃあ、お母さん、思い切りやってくるね!」
 あやは顔を両手でガードしつつ、紙舞の渦に体当たりする勢いで突き抜け、物置の中に飛び込んだ。風もないのに紙片が舞う状況は世界の終わりにしか思えない。そして、あやは中学時代に異世界への没入装置であった懐かしい――白い狐面を木箱から出して、顔に装着した。
 つまり、狐面ママである。黒髪を後ろで一本に束ね、白い布で元結い風に結んだ勇敢な母になったのだ。常備している大国玉神社の上級な護符を襟元から一枚取り出し、紙の荒縄に結びつけて狐面に固定した。護符の力によって狐面に紙が貼りつくことはなくなった。
 さあ、これで――ずっとあやのターンだ。

 懐かしさが溢れ出す狐面の匂い。ほこりっぽい紙や顔料の匂い。自分の顔の形にぴったりフィットさせた特注品の面だから、視界は完全に良好だ。
 そして、いよいよ庭いじりの道具箱から、両手持ちの大きな刈り込み鋏をつかみ上げる。髪を切る妖怪「髪切り」は両手が鋏の動物としてよく描かれるが、ここに出現した「紙切り」はむしろ狐面のシザーマンのごとき様相だった。あやは過去の暗黒的な歩みに帰するかのように、鋏を脇に深く構え、声高に唱えた。
「行くぞっ! 踊り狂えるよろずの紙よ――汝の薄さを怨むべし! 塵しか残さんっ! 浄刃挟攻斬!!」
 まさかの秘奥義が発動した。その名も『ジョウジンキョウコウザン』。足元にいるふみの耳にもはっきり聞こえた。まだ中学生でないふみには何の意味かわからない。仏様を召還する真言などとは少し違う気がした。
 狐面の母に発動できて、純朴な娘には解釈できない何かがあるのだろうか。あるとすれば覚えるしかない。
 とにかく、あやは白い狐面を付けて百八十度――中身が変わったようだった。両手持ちの刈り込み鋏で、舞う紙を片っ端から一遍の容赦もなくジョキジョキと斬り裁いていく。ひと断ちでも入った紙片は、不思議なことに浮力を失って足元にパラパラ落下した。
 まるで紙吹雪が舞い散るように、ふみの周囲に紙の塵が降り注ぐ。灰色の新聞紙、白黒の半紙、カラフルなチラシなどの骸が落ちて混ざり合い、幻惑的なコラージュの色彩世界を物置の前につくり出していた。その中心で、大きな鋏を一心不乱に斬り尽くす狐面のママは勇壮だった。
 やがて――そこは、しん……と静まった。
 シャキンッ。と乾いた鋏の最後の音。
 あやは唐突に湧いた得体の知れないパアどもを、使い慣れた一振りのチョキで見事に制圧したのだ。秘奥義の発動モードを終え、あやはすっと狐面を外す。
「……ふみ、もう顔上げて大丈夫よ」
 強く優しい母の声だった。
 目に前にあった光景は先程と一変していた。あやの足元に細切れになったおびただしい数の古紙がどっさりと積もっている。時間はわずか一分も費やさなかった気がする。それくらいアッという間の殲滅行為だった。
「わぁっ。お母さん、かっこいい」
 娘の口から最初に出た言葉で、あやは幸せそうに笑った。
「紙の弾幕なんて、ちょっと本気を出せばこんなものよ」
 ふみは大いに感心して目を丸くした。
「これが……『ジョウジンキョウコウザン』の力?」
「そうよ。でも、『浄刃挟攻斬』は凄まじい怪技力を消費するの。覚えておくのよ」
「カイギリョク――?」
 ふみが咀嚼できない言葉が今日はやたら多いのは、狐面の効能の一種だろうか。あやは呼吸を整えると、刃に曇りひとつなく磨き込まれた刈り込み鋏を畳み、道具箱に戻した。ふみは目の前の光景を見て、小さくため息をつく。
「……すごいゴミが出ちゃったね」
「まあね。もともと古紙はゴミだったし、これもまた風情のある塵塚(ちりづか)なんだよ。見苦しからぬ、と古代から言うからね」
 多くて見苦しからぬは、文車の文、塵塚の塵。とは兼好法師が随筆『徒然草』の中で述べた一節であると、この母娘は知っていた。塵塚(ちりづか)とはゴミの山。いわく、塵塚には怪王が現れる。それほど深い必然性があり、もしゴミが奇異な現象を起こすようになったら、廃品回収では対応できないことも多々ある。そのときは物事の因果関係を捉え直し、機転をもって処すしかない。器物の怪現象に精通するあやは基本的にそう考えるが、とは言え、何でも処せるわけではない。たまたま、相手が紙の舞いで、あやが鋏の使い手だったのだ。
 不運でなく幸運とも言えるような数奇な縁。それがあやとふみの身を守った。物置に狐面がなければ、護符がなければ、大きな鋏がなければ、紙の猛襲は容易に鎮まっていなかったかもしれない。それが相性。それが縁。
 ともあれ、かっこいい、と娘に言われたあやはそれだけで至福の心地だった。

 斬られた古紙の壮観なる塵塚を眺めていると、塚の頂きがもぞもぞ動き、二人が身構える暇もなく、一枚の美しい紙片が舞い上がった。白桃色の花柄の紙。塵塚を押しのけて浮上する丈夫な紙の厚さ。七夕の短冊ほどの大きさ。
「お母さんっ、まだ紙が!!」
「あれっ? こいつ、斬れてなかったかな?!」
 あやはすぐ攻撃態勢に戻り、このサイズは刈り込み鋏で斬りにくいと即断し、小回りが利く剪定鋏(せんていはさみ)を握った。細い枝や葉を切るのに適した小型の鋏だ。これもきれいに磨き込まれて刃は白銀に輝いている。一枚なら一瞬で決着がつく、と母娘は思った。
 ところが――花柄の紙は、あやの鮮やかな鋏撃をもってしても捉えられない。顔を襲って来ないが、ひらひら飄々と変則的に舞い踊り、あやをとにかく手こずらせた。
「くそっ、こいつ……動くっ!」
 苦虫を噛み潰したように舌打ちして、顔を襲わないので一旦、剪定鋏で追うのを止め、しばらく様子を見つめた。短冊の舞いは塵塚の上空から離れ、小さなふみの身に寄り添うように巡回しはじめた。
 こうなったら剪定鋏を向けることは難しい。一方、ふみはこの旋回する短冊を最初はさすがに恐れ怯えていたが、まるでチョウチョかクリオネみたいに愛嬌ある可愛らしい姿に、だんだん興味が湧くようになっていた。
 娘に危害を加える気配がないことを認め、あやは剪定鋏を道具箱に置き、唇をとがらせ腕組みをした。
「うーん、逆に考えるかな。これもまた見苦しからぬ、と」
「お母さん、それってどういうこと?」
「見る限り、残ったこれも紙の怪ではあるんだけど、塵塚の王みたいに〝物の怨み〟が〝力〟を持ったものじゃなく、文車(ふぐるま)の文(ふみ)みたいに〝物の憂い〟が〝声〟を発するものかもしれない」
「……お母さん……私、どうしたらいいの?」
 一人で深く納得するあやに、ふみは戸惑いの目を向けた。ふみのまわりをまだ花柄の短冊がふわふわと飛び巡っている。
「ふみ、これ、飼ってみようか」
「えっ……?」
 ふみは言葉を飲み込んだ。一枚残った紙の舞いは、ゴミ捨て場の捨て猫とは違うけど、ふみもなぜかこんなに自分になついている紙の舞いを処分されるのはつらいという気持ちも芽生えていて、母の提案に興味を示した。
「ど、どうやって飼えばいいの……?」
 確証はなかったが、あやには思い付いたことがあった。
「ふみは、本を肌身離さず持ってるから、本の間に挟んでみたら?」
「えっ……栞にするってこと?」
 そう! と大きくあやは快活に頷き返した。言ってからやっぱり名案だな、と自己評価して笑みが浮かぶ。
 娘はこの先、もっと自立していき行動範囲が広がれば、思わぬ怪現象に行き合ってしまうこともあるだろう。あやは、それは自分の血を引いているのだから避けられないと感じていた。
 それならば、この短冊はふみがその手のものに遭遇したとき、警鐘のように〝憂いの声〟を発してくれるものになるような予感がした。もちろんあやも確証はない。蓄積した知識と経験が編み出した仮説に過ぎない。
 でも、ものは試しだ。とにかく感受性が高い娘なのだから、ボディガードではないが、危うきものをわかりやすく報せるものを備えさせるべきだ、と親として日頃考えていたのだ。
 栞は――本が大好きな小学三年生のふみに常備を受け入れさせるには、一番名案と思える機転だった。と、あやは心の内で自画自賛する。
 すると、親の心子知らずか、もしくはそれとなく何か感じたか、ふみは微笑み返した。
「うん、そうするね。塵から生まれた知理(ちり)ちゃんは、塵の中にも花がある、みたいな感じだね」
 ん? あやはよく聞き取れなかった。
「……ちりちゃん、って誰? 友達?」
「お母さん、違うよ。この栞の名前だよ」
 理(ことわり)を知る、そのための形代(かたしろ)の紙――とふみは栞の名付けの意味を話すと、あやは全面的に同意した。まあ、子供がペットの名前を付けるのはどこの家庭でもよくあることだ。すると、ふみは居間に走って読みかけのレンガみたいに分厚い妖怪物の小説本を持ってきて、舞っていた花柄の栞をパタンと挟んで止めた。
 母の鋏で落とせなかった紙が、娘の本にあっさり捕まった。
 厚い本に挟まれて、空飛ぶ紙はおとなしくなった。栞という新たな縁をふみと結ぶことを受け入れたのだろうか。さっきまで行き場のなかった紙片は、特に抵抗もなく、ふみの好きな分厚い本の間に安住した様子だった。
 こうして――奇しくも神無月の「リサイクルの日」に、出雲家に突然現れた紙の舞いは、母あやの秘奥義によって元来の存在は終わり、娘ふみの感受性によって新たな存在に転ずることとなった。

 その日のお昼は、あやの得意料理の味噌カツ丼になり、ふみはご飯を待つ間、これからずっと長く使い続けることになる花柄の栞の知理を楽しそうにいじっていて、一方、あやは浮遊した栞のことを台所で思い返していたが、母娘の絆にこれといった変化はない。空腹のふみが味噌カツ丼を珍しくガツガツ食べて、ほっぺたに付いてしまった米粒を、あやは優しく笑って教えてあげるだけだ。

(了)

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