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後輩書記とセンパイ会計、 奥座敷の黒ずみに挑む

開架中学一年、生徒会所属、有能なる書記のふみちゃんは、時代が違えば松尾芭蕉の弟子にだってなれただろう。ふみちゃんは小学生時代、俳句の季語はどんな言葉でも季節を答えられるほどの上級者だったらしい。しかし、いまふみちゃんと足湯につかる一年先輩の生徒会所属、平凡なる会計の僕は、およそ吊り合わないほどの文学音痴で、数学が得意な理屈屋で、旅行用に眼鏡を新調したばかりだった。
 十一月五日、岩手県の温泉郷に来られたのは、「生徒会合宿」という名目で生徒会長、三年の屋城(やしろ)世界さんが連れて来てくれたからだ。世界さんはすごい名前だが、性別は男だ。陸上部に所属し、走り幅跳びで県大会に出た実力者だが、夏で引退していた。もう高校の推薦合格を取ったので優雅な日々である。
 そして、お姉さんである大学生の屋城銀河さんが車を運転し、東北自動車道をひたすら北へ向かった。銀河さんもすごい名前だが、初対面の僕たちにも優しく接してくれる美しい大人の女性だった。
 ちなみに生徒会合宿なので副会長の頭脳明晰女子・英淋(えいりん)さんも誘われたが、一番下の弟の七五三だとかで辞退した。せっかくの機会なのにと思うが、誰よりも家族思いなのが英淋さんの尊敬するところでもある。
 ともかく今回の始まりは生徒会会議で世界さんが『金田一温泉』なるパンフレットを配り、合宿企画を発表したことだった。
「この温泉郷に『涼風館』というすさまじい宿がある」
 真っ先にビクッと反応したのはふみちゃんだ。秋になり日没が早まると神経過敏になるとか言っていた。パンフレットをめくりながら僕は聞く。
「すさまじい……とは、どんなふうにですか?」
「泊まった人間は、総理大臣になれる。あと、メジャーデビューできる」
 世界さんは真面目な顔で二カッと笑い、ポーズを決める。少し面倒くさい人だ。
「……それって、その二択なんですか?」
「他にもあるが、俺はどっちかと言うと総理大臣だな」
 世界さんは日頃から国を変えたいと言っていた。鎖国がしたいと言っていた。名前が世界なのにいきなり外交を絶つ構想とは思わなかった。それはともかく。
「温泉と総理大臣のつながりがまだ見えません」
「そこのふみすけは知ってるだろうが、宿に座敷童子がいるんだよ。出会った人に大きな成功をもたらすやつだ!」
 世界さんはドヤ顔だ。
「へえ……」
 と生返事。すると、ふみすけと呼ばれたふみちゃんが神妙に語り出した。
「屋城センパイ、違います。『涼風館』の本館は二年前に全焼しちゃいました。新館が残ってますが、たぶんそこには」
「らしいが、さすがに死んでないだろ」
「違います、座敷童子が去った家は火事に遭うんです。だから『涼風館』にはきっともういないんです」
「なら、引っ越し先を突きとめる旅になるのかな」
 世界さんは切り換えの天才だった。
「百歩譲ってそうなりますね」
 ふみちゃんは渋い顔でまた悩む。どうでもいいが、座敷童子が存在する前提で話が進んでいるのは大丈夫だろうか。僕はここで平和に会計とか名乗ってていいのか。試しに口を挟んでみる。
「要するに世界さんは温泉に行きたいんですね?」
すると不服そうに口をとがらせた。
「視察だ」
 どっかで聞くフレーズだが、別に何でもいい。国を変える男なら、幻想郷にこもった書記の一人くらい難なく動かしてほしい。
「ふみすけは喜ぶと思ったが、乗り気じゃないか?」
「ううん、そんなことないです。やっぱり金田一先生ゆかりの宿なら行かなくちゃ!」
 僕でも聞き覚えのある単語だ。
「金田一って探偵だったっけ?」
 ふみちゃんは僕の目をまじまじと見て、ぷりっぷりの怒り顔になった。
「数井センパイ、違います。実在の金田一先生は、国語の神です」
 実在か非実在かどっちでもいいが、こんな具合だ。僕は温泉宿で浴衣のふみちゃんと一緒ならそれで良かった。

 合宿の日、高速道路は震災の爪痕を感じさせずにスイスイ走り、途中サービスエリアで名物を食べながら進んだ。那須高原では豚肉のモモベーコン串を銀河さんに買ってもらい、一本食べられないふみちゃんの残した分を奪う世界さんを眺めつつ、旅を満喫した。修復中のところも多少あったが、働く人たちを見ると、世界さんの言葉ではないが、見に来てよかったと感じてしまう。
 だが、それは見えるものの話。岩手県に入り、一戸インターを下りて、いよいよ金田一温泉郷の看板を見ると、ふみちゃんは急にそわそわしはじめた。助手席で眠る世界さんとは対照的に、後部座席はじっとりと重い空気になる。日も茜色に傾いてきた。
「ここまで来ると外はだいぶ寒そうだね」
「お風呂、行ってみたいな」
 ここは温泉郷だ。ふみちゃんのちんまい浴衣姿を想像すると心が温まる。
「広いお風呂にゆっくりつかりたいね」
「センパイ、違います。座敷童子のいた宿に足湯があるんです」
 浴衣姿が一旦遠のく。そのとき、世界さんが突然ガタガタッと身を起こした。寝てたんじゃないのか。
「行くぞ! 姉さん、足湯を捜索だ!」
「オッケイ」
 これはふみちゃんの直感で変わる旅なのか。
 そしてお望み通り、足湯である。

 車を下りると山の空気は冷たくて、足湯より早く温泉に入りたい気分だった。駐車場から歩く途中、黒焦げの木が棒立ちしていて、ここで火事があったことを物語っている。切り倒さないのは風情や伝承なのだろうか。
 足湯小屋は『ご自由にどうぞ』とあるが、他の利用者はいなかった。銀河さんとふみちゃんはスカートをたくしあげ、お湯に足を入れた。ふみちゃんはふらふらしていて、腕で支えたいくらいだ。
「ぬるい」
 四人同時の感想である。外だから仕方ない。
「どうだ、座敷童子の気配はあるか?」
 世界さんは気が早い。僕はぬるくても檜の香りに包まれてふみちゃんと並んでいたい。
「ふみすけちゃんは霊感が強いの? 会えたら私もニコ動からメジャーデビューできるかな」
 銀河さんも呼び方がうつっている。そしてまさかそれが願いとは。
「銀河さん、違います。いるなら座敷です」
「えっ? じゃあ、何で足湯に来たの?」
「ほぇっ? えと、この足湯に寄ってみたくて……」
 ふみちゃんは悪くない。世界さんが反応しすぎなのだ。
「座敷だ! 姉さん、車に戻ろう! ナビはふみすけで」
「オッケイ」
 僕らを完全に置き去りにした会話だ。
 と思ったら、ふみちゃんは他の一番可能性が高い宿を調べ予約済みだった。置き去りは僕だった。眼鏡が曇るのは足湯のせいだけではない。

 そこから車で十分ほどの距離だった。宿に着くなり、ふみちゃんは先頭で廊下を進む。かばんから花柄のしおりを出すと、やはりと言うべきか、すでにしおりがバタバタと震え出していた。後ろの二人も息を飲む。
「あっ、ここです」
 木のドアを開けると普通の和室だった。ふみちゃんは安堵して笑顔になる。
「ほらっ、いたいた。あれ、着物かと思ったら、普通にかわいい服着てますよ」
 だが、畳とテーブルとテレビしかない。文系の女の子に見えて理系の僕に見えない何かがあるのだろうか。あるとすれば探るしかない。
「そいつは、そこで何かしてるのか……?」
「ううん、寝てるのかも。あ、こっち見た」
 ふみちゃんは迷いなく部屋に入っていく。僕は心配になり後ろに続いた。一方、これまで威勢がよかった世界さんも銀河さんも部屋には一歩も入れずにいた。さすがに動くしおりを初めて見たら身も凍るだろう。
 テレビの向かいの隅に妙な黒ずみがある。畳が汚れているようだ。ふみちゃんはそこで立ち止まる。しおりが手を離れ、ゆるゆると宙を舞う。それから、ふみちゃんが突然ヒステリックな声を上げた。
「センパイ、この女の子、タバコ覚えちゃってる!」
「えっ? タバコ?!」
 そこから溢れ出す状況説明は雑だった。前に『涼風館』にいたのは確かだが、その子が住み着いていた部屋が客からの贈り物で埋められ、ストレスでタバコを吸うようになったのだと言う。二年前、うっかり寝タバコで火事を起こしたので、あの宿には戻らず、ここに移り住んだらしい。畳の黒ずみはタバコの灰が落ちたことがあるからのようだ。おいおい、危ないじゃないか。
 ふみちゃんはひどく悲しい顔をした。
「センパイ、この子、自分が火事を起こしたことは全然反省してないみたい……」
 深く考えると悩ましいが、このままにしてはおけない。仕方ない、僕の出番だ。
「ふみちゃん、いくらきみでも注意はできても躾はできないことがある」
「でも、またいつかこの旅館が燃えちゃうかも……」
「それは誰にもわからないよ。タバコがもっと値上がりしたらやめるかもしれないし。僕らはただの旅人だから、見て回るだけの役目だ」
「……うん……」
 ふみちゃんは目に涙を浮かべて寄り添ってきた。僕はぎゅっと胸で受け止める。旅先の勢いでもう少し長く抱き締めていたいと思ったが、後ろに世界さんたちがいるのを思い出した。
 とりあえず、ふみちゃんの虚言は何もなかったかのように収まった。案外、世界さんは本当に何かを見たんじゃないかと考えたかもしれないが、
「ま、風呂でも入ろうか」
 と軽く話を変え、しかもすぐ宿の主人に部屋の変更を頼んでくれたのは切り換えの才能だ。銀河さんもお風呂でふみちゃんの頭を撫でてあげたらしく、夕食ではますます打ち解けていた。あれを目の前にしても心を失わない度量の大きな二人で良かったとつくづく感じる。
 それと、大人用の浴衣に着られているふみちゃんの姿を見たら、果てしなく心が和んだのは期待通り鉄板だった。
 結局あの部屋に入ったのは二人だけだが、これと言って成功や幸せを掴んだわけでもない。ふみちゃんを抱き締められたことは幸せと呼ぶには少し物足りない。
 合宿から戻りしばらく経つが、ふみちゃんとは別に進展はない。十二月になり、クリスマス会準備の領収書を整理し、一週間の仕事を終えてふみちゃんと帰るだけだ。
(了)

各話解説

第二作目「奥座敷の黒ずみ」は、伊藤鳥子さんが編集長をつとめる『絶対移動中』Vo1.10(二○一一年十一月発行)に収録された作品です。生徒会長とその姉が初登場し、学校を離れて東北へ温泉旅行に行く、というものになりました。実は、先述の『へんぐえ~桔梗~』と発行日は同じですが、書き上がった日が後なので、時系列的にもこれが二作目です。
『文車妖妃』と違い、『座敷童子』はかなりメジャーな妖怪です。ただ、一般的に知られるのは影が薄い子みたいなイメージで、本来の逸話として座敷童子にあやかった成功者がいるとか、座敷童子がいなくなるとその家に火事が起きて没落する、といった要素はあまり知られていません。たぶん鬼太郎などでもほとんど触れなかったのですが、このシリーズでは一般に知られていない部分も愉しく〝可視化する〟ことにしています。
 ここでの楽屋話ですが、伊藤鳥子さんはふみちゃんのふわふわ加減がかなり気に入られて、原稿確認やツイッターのやりとりでテンションがすごく高かったことを覚えています。たぶん今回葛城アトリさんに描いていただいた表紙も大変ご満足いただけるものと思います。

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