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鉛筆の選択肢は少ない方がいい

私は私立の芸術大学で4年間油絵を学んだ。

幼い頃から絵を描くことが大好きで、勉強が不出来だった私は、絵だけで受験できる推薦入試を受験し、芸術大学へと進学した。そして4年後、学んだ油絵とは全く関係のない会社に就職した。

入社後、無我夢中で働いて絵を描いていた事すら忘れる日々を過ごし、十数年が過ぎたある時、ふともう一度絵を描いてみたくなった。


大学卒業と同時に、賃料が安く狭いマンションへの引っ越しを余儀なくされた私は、一切の絵画道具を捨てていった。自分はもう、絵を描く事もそれを仕事にする事もないんだからという自棄だった。

だからもう一度絵を描くためには、改めて道具一式を買わなければいけないのだ。

まずはデッサンから始めてみようと、十数年ぶりにカワチという画材屋に出かけた。

店内に足を踏み入れると大学時代の、学校内にあった小さな画材屋で学友たちと絵具を選んだりキャンバスを選んだりした、青い日々がよみがえってきた。

木炭の匂い、絵具の匂い、テレピンの匂い、フェキサチーフを吹きかける音、絵具と油でコテコテになった筆とパレット、汚れたつなぎ服と靴。やけに派手で自己主張の激しい学生たちの髪型。懐かしさに胸がキュッと締めつけられた。

広い店内を見渡し、鉛筆がありそうな棚へ向かう。するとそこには、かつて見た事のない風景が広がっていた。

心臓の鼓動が激しくなり、別の意味で胸が締めつけられる。

目の前に広がる鉛筆のブランドの数と種類。棚1面ビッシリギッシリ余すところなく鉛筆だ。デッサン用の鉛筆といえば、ステッドラーの青いやつか三菱鉛筆の赤煉瓦色のやつしか記憶にない。

それなのに目の前には少なくとも5種類以上のブランドが並べられ、しかもそれぞれのブランドからいくつものシリーズが出されている。それだけでも小さくパニック状態なのだが、さらには濃淡の幅がすごい。薄い方から濃い方へとH、F、HB、Bに段階分けされており、HとBにはその中でもさら小刻みに段階がある。

ざっと見渡したところ、薄さは10Hから、濃さは12Bまであるように思う。私の古い記憶と浅い経験では、2H〜4Bぐらいの幅で止まっているのだ。

10Hって描けるん?12Bって木炭レベル?ねえ誰か教えて。

「ブランド*シリーズ*濃淡」でどれだけの選択肢が生まれるのかと考え出すと私の脳内アラートが鳴り止まない。

こういう選択を目の前にして、ウキウキと商品を吟味できる性格ではないために、とにかくさっさとブランドを決めようと決意した。

過去使った事あるやつ。

冒険心ゼロ選択によりステッドラーのマルスルモグラフ製図用に決めた。次は濃淡だ。おいよく考えてみろと私の中の私が問いかける。

「お前に今、その繊細な濃淡を使い分ける技術はあるのか?」「ない」

食い気味に私が私に即答する。

そうだ、できないのだ、できない事に何故か安堵だ。もし私がお金持ちであれば10Hから12Bまで全部持ってるステイタスに酔いしれたいものだが、1本まぁまぁな値段がする。結果、2H、H、HB、2B、6Bの5本を選び、スケッチブックも消しゴムもさっさと購入した。帰り際、手始めに何をデッサンしようかと迷ったあげく、近所のスーパーでリンゴを買った。どこまでも冒険心のない野郎である。

鉛筆をカッターで削り、モチーフのリンゴをテーブルに置き、スケッチブックを開いて鉛筆を走らせた。

もうすぐにあの“感じ“が戻ってくるのがわかった。紙に削られていく鉛筆の芯のその振動が手に伝わってくる。モチーフと向き合いながら大きな塊をとらえた後、彫るように細部へと落とし込んでいく。影と光によってそのモチーフが存在する世界がスケッチブックに現れ、色彩が放たれいく。

やっぱり私は絵を描く事が好きらしい。

あれから数年たった今も、時々デッサンを楽しむのだが、愛用の鉛筆は今もステッドラーだ。


そして最近、iPadProなる最新テクノロジーに手を染めた。随分とチャレンジングな決断だ。何せ、Macユーザーでもなければこれまでタブレットを購入した事がないのだ。どうだろう、免許取り立てなのにアウディを購入するぐらいの無謀さか、違うか。

ApplePencil(第2世代)とやらはまるで無機質な、真っ白なペンだ。iPadProはそれを使い筆圧までコントロールし、線の強弱も描き分けられるとにかく凄い代物らしい。iPadにも沢山の種類があったが、そんな浅い知識と少しの店頭トライアルにより、いつもの通りさっさと決めてしまった。その先に見えていた自粛生活もそれを後押ししたのだ。

よし、思う存分最新のデジタルテクノロジーを使って描いてみるぞ、と思っていた。

だが私は今、どちらかというと文章ばかりを書いている。文章を書く方が、今は随分と楽しい。

表現手段は何だっていいのかもしれない。絵を描くこと以外を楽しんだっていい。そんな考えが、絵を描くという束縛から少し自由にしてくれた気がしている。

私にとって鉛筆の選択肢は少ない方がいいが、楽しみの選択肢は多い方がいい。



#日記 , #エッセイ , #デッサン , #ステッドラー ,

#iPadPro







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