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ホストマザーとして その2

他人と一緒に暮らすとはこういう事なのか、それを思い知らされる毎日である。留学生をお世話することになって早5ヵ月。それ以前から息子の友人として私は彼をある程度知っているつもりだった。彼だったらホストマザーの経験のない私でも、きっと楽しくやっていけるという自信があった。穏やかで礼儀正しく、勉強熱心だしよい子である。私のお粗末な英語にも我慢してくれる。数年にわたる長期滞在の留学生にとっては、ホストの英語力より日常生活のある程度の水準確保の方が大切なのである。

私は家族として彼を受け入れたつもりになっていたので、彼が彼らしく暮らしていけるように、少しでもNZを好きになれるようにサポートしようと思っていた。

彼はここでの生活をとても喜んでくれていたのでほっとした。我が家の様に思ってくれているのが手に取るように分かった。どうやってそれを感じたかと言うと、きちんとした個室を与えられたにも拘らず、彼はずっとリビングやダイニングにいる。勉強もダイニングテーブルで。休憩したい時はソファーに横になってくつろぐ。テレビもよく見ている。全く部屋に帰らない。時にはリビングの床でごろごろして、くつろいでいた。

我が家だと思って....そう言ったのは私だった。彼は悪いことは何もしていない。でも3週間4週間と過ぎるうちに、彼がリビングルームを常に使っているので、私が自分の寝室にこもるようになった。私はテレビを見ないので、チャンネル争いもない。何だか自分の家ではないような気がしてきた。くつろぐ事が出来ない。息子がソファーでごろごろしていても気にならないのだけど、それを突然他のティーンエイジャーにされるとかなり居心地が悪い。

息子からも、一体誰の家何だかわからなくなってきたと言われた。何か手を打たなければいけないのは分かってはいたけれど、何と言えばいいのだろうか。こんな事は想像もしていなかったので、正直自分にがっかりしたし彼にも申し訳ない気持ちになった。でも、いや待てよ!ここは私の家なのよ。完全に使うなとは言いたくない。では一体どの程度なら良いのか。

一事が万事そんな感じだった。当たり前のことだが、こちらの考えている程度とあちらの考えている程度が違う。それをどう言語化して認識できるラインを設けるのか.... めんどくさい。家族とは、長年に渡り培ってきた 意識していない暗黙の了解が沢山あることに今更ながら気が付いた。若い時からフラッティング(シェアハウス)を普通にするキウイ達(NZの人)を改めて感心した。

相手はまだ子供だから、息子の様に何でも言えると思っていた。仕事場でも3歳になったばかりの子供から、髭面の2m近くもある子供たちと10年接してきていたので、注意することには慣れているつもりだった。

私の大の苦手なアサーティブコミュニケーション! 相手から悪く思われることを恐れたり、傷つけたくない気持ちが優先してしまいがちな私である。でも、相手に伝えなければ通じない。その努力をしないでぐちぐちと他の人に愚痴を言うのは、彼に大変失礼なことだと思った。

夜眠れないぐらいストレスがたまり、ここで受け入れを断念するか話し合うかを決める時期が来た。適当に理由をつけて受け入れを断念するのは簡単である。もちろん収入は切れるし、末っ子との二人生活に戻る。でも、息子も私も十分に他人と住むことの大変さを知り、それなりに成長したはずなので以前と同じ冷戦が長引くという事はないと思った。

ではその留学生はどうなるのか。過去に、彼はもう既にホストの方から受け入れを5回解消されている。彼は理由が良く分かっていない。まだ英語が不自由分で親元を離れて心細い状態で、ホストと対等には話せるわけがない。これで、彼のNZ最後の年にまたもやホストから見放されたら.... 彼は一体どれくらい大きな傷を負うだろうか。でも、次のホストは私なんかよりずっと素晴らしいかもしれないし.... 葛藤は続く。

彼の将来まで考える必要はないとアドバイスももらったけれど、それにしてもやはり理由は言うべきかと思った。

結局、アサーティブなコミュニケーションを学ぶ機会とすることに私はした。素直に自分が最近感じている事を話し、テレビは夕方5時から9時までなら見てもよい。リビングで作業をしたいときは私の許可を得ることなど、その時最善と思われる策をとった。あれだけ私は悩んで話したにもかからず、彼はにっこり笑って「わかりました!」と全く悪気ない様子で返答した。

その問題に関しては、その後すぐに改善されたので嬉しかった。でも、ちょっとだけ、あの悪気なさが引っかかっていた。私はあんなに悩んでいたのに!アサーティブコミュニケーションの特訓が始まる。



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