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孤独は脳の反応の違いだったらしい

こんなツイートを見た。

詳しくは引用元のリンクに飛んで欲しい。僕はもう長い文章は読めないのでほとんど飛ばし読みだ。間違って理解しているところも多いと思うから。


孤独のハンニンは脳の反応の違いだったぜ

ざっくり言うと、同じものを見ても人によって感じ方が違って、同じ感じ方をする人が近くにいると孤独感を感じにくく、みんなが自分と違う感じ方をしていると孤独を感じやすい。ほんで孤独感の強い人はだいたい人と違う感じ方をするのでよけい孤独になりやすいんやわ。それをfMRIっちゅー脳の反応を見られるマッシーンで調べたで。というやつ。

それもこれも脳の反応の違いだった

脳の反応を感性と言い換えるなら、この感性の違いというやつでどれほど孤独感を感じてきたか。身に覚えのある人は多いんじゃないですか。ワイはすごーーーーーーくこういうことを感じてきました。ほんで「俺と同じ考え方をするやつに会ってみたい、切に」と思ってきましたね。

地獄の果てまで呪われてるから俺はコドクなのか?

なんというか、俺が孤独なのは性格が悪いのかとか前世で末代まで呪われるような悪行をしたのかとか発達障害なのかとか人に比べてIQが高すぎるのかとか節度を逸した変態なのかしらとか色々悩んできたわけですが、「いや脳の反応の違いやで」と言われたら「あっ。そうなんか」と思えてだいぶ悩みが晴れたわけです。

「せやかてのり子」

茨木のり子は「自分の感受性ぐらい、自分で守れバーローめ」とか言ったけれども、もはや感受性も「脳の反応の違い」だとすればそれを自分でなんとかするなんてムリくない?と思うわけです。

「のり子、それ感受性やない。脳の反応や」

私は今まで自分が思ってること感じていることが正しく人に伝わらないことを嘆きストレスを感じ、「どうしたら伝わるのか」を考え、文章を磨いてきたところもあるわけですが。それと同時に、ツーカー(死語)で伝わる「私と同じ考え・価値観を持つ誰か」に出会って一心同体になりたい、みたいな強い希望があったわけなんですよね。でもそれもこれも、考え方や価値観なんていう「自分でどうにか出来そうな抽象的な概念」じゃなくて、「脳の反応」っていうきっちりデータ化して表現できるものが原因だったって言われたら、「あ、なーーーーなんだ!!無理じゃん!!よかった!!!!!」ってなったんですよね。

これは孤独からの解放や

ようは何が言いたかったっていうと、孤独って悪いものでも良いものでもなかった。ただ「脳の反応の違い」だったってことが、とてもありがたいんですよね。なぜか孤独って言うと悪いもののように捉えられるし、そういう状態にある人自身に何か問題があるかのように思われちゃう。本人も「こんなに孤独なのはどこか自分に問題があるからだ」って思っちゃう。

今日から鏡を見ても化物が写っていると思わなくて良い

同じものをみて、人と違う感じ方をしていたら、そりゃあ不安にもなるし孤独にもなる。でもそれは感じ方考え方、価値観が「おかしい」んじゃなくて、脳の反応の違いなんだ。それを無理やり変えることも出来ないし、気に病む必要もない。「そうかーあなたと私は感じ方が違うんだねー。脳って面白いねー」で良い。

さよなら悲しきMonster(良い発音で)

なんかこう考えたら、私もどうしても理解してもらおうって無理な努力する必要もないし、相手にわかっておくれよどうしても!!あなたのことも知らせておくれよ!!って迫る必要もなさそうだわ。よかった。これまで疲れたもん、それで。脳の反応が違うなら無理やわーって。よかった。よかった。

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