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読書📚主婦である私がマルクスの「資本論」を読んだら

はるさんvoicyから気になり読んでみました。

「家で遊んでるんだって?」

子どもが生まれて専業主婦になった著者が、
真っ先に友達に言われた言葉。

その言葉を聞いたときの感じは‥。

驚いたのか、不快だったのか。慌てたのか。わからない。強烈ななにかが通り過ぎていったのだが、あれはなんだったと言うべきか。

「‥‥。そうなの。私、遊んでるの。会社辞めてさ」

会社を辞めて2週間で私の耳元に届いたその言葉は、それ以降、忘れた頃になると登場するリフレインとなった。いろいろな場所で、さまざまな人たちからこの言葉を贈られた。

p21

著者が専業主婦の世界を"居心地悪い"と感じた理由。働きたい、と思った理由。

女性を専業主婦にすると都合が良い理由。

本書を読みながら私自身、
一人目育休を中断し食い気味に復帰した時、
育児支援センターの居心地が悪かった時、
あのときは、どんな気持ちだったんだろう?
当時の気持ちを掘り起こすきっかけになりました。

"資本主義の怪力"は家父長制をも覆す

韓国で女性が結婚するというのは、数々の奇想天外な家事を(泣き寝入りで)抱え込むことになるという意味だ。
夫と子どもたちの衣食住の世話だけでなく、夫側の拡大家族の大小さまざまな行事まで面倒を見なければならない。

p88

「出勤なんです」
の一言が誰もを納得させる。
嫁の立場から脱出できる"魔法の言葉"になる。

資本主義のパワーは家父長制をも退ける。

専業主婦の世界は前資本主義

結婚して母親になった著者、
〇〇のためのおかず作りボランティア
✕✕施設に送るキムチを漬ける手伝い

さまざまな"無償労働"をあたりまえに要請されるようになった。

人類が資本主義以前の体制(自給自足、物々交換、ギルド、相互扶助、身分社会)から資本主義体制に移行する際、女性は一緒に移ってこずに残されたのだ。

p189


資本主義は大きな利益を出すため、
"労働者"という低賃金で働く新しい地位と、
その労働者を"無償でケアする役"を女性にあてがった。

会社を辞めると光の速さで前資本主義に吸い込まれる

会社にいれば現代的な(資本主義的な)権利を享受しているように見えるが、会社を辞めて出てきた途端、光の速さで前資本主義的な時空に吸い込まれる。

女性にとって会社という強力な"保護膜"が消えることは一種の宇宙移動のような事件だ。
自分の時間、 自分の労働力、自分の意志が一挙に他人に帰属する中性的な状況に巻き込まれることになるのに、どうして深刻にならないでいられよう。

p190

マルクス「資本論」に抜けているもう一つの軸

「国際分業と女性一進行する主婦化」の著者マリア・ミースは、資本主義を支える3大要素として
女性・自然・植民地を挙げる。

女性は男性労働者に食事・睡眠をとらせて「再生産」し、自然は商品を作るのに必要な資源を供給する。
植民地(例えば今の開発途上国)は安価な労働力と天然資源を同時に提供してくれる。

p134

この3つを水面下に押し込めることが、資本主義にとっては都合が良いから。

感想

ボランティアだとやりがいに溢れていたのに、報酬が発生した途端やる気が無くなったり(資本主義により内発的動機づけが揺らぐ)、

家父長制のしがらみを「仕事」で退けさせてしまうほど(資本主義が家父長制を退けさせる)、

資本主義の怪力は強大なものだなと。

一人目育休中早めに復職したくなったことや、支援センターの居心地が悪かったことなど、自分はその時何を考えていたのか色々と符合し、自分のなかに資本主義の考え方が内在化していることにも気づきました。

生きることと働くことが、お金が介在することでよく分からなくなる。。

著者が専業主婦のなかにみた相互扶助精神や無償労働など、そんなに悪いものではないと思うのですが、
資本主義の"ために"あるもの、と言われると反発したくなるのかもしれません。

生きることと働くこと、コミュニティと相互扶助が全部一体化した世界ってあるのだろうか。。

あったとしても、資本主義が内在化してしまっている自分には、もう馴染めない世界なのかもしれない。色々考えさせられました。

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