「米原万理を語る」家族たちの言葉から

2006年5月に56歳で亡くなった米原万理を、妹のユリと小森陽一の編集で、井上ひさし、吉岡忍、金平茂紀が書いている。米原家が馬込に住んでいたこともあり、そのことは、何となくしか知らなかったものの、井上ひさしのファンであることは公言しており、大田区長選挙のときにお世話になった、野本春吉氏に頂いた。氏は、ユリさんを小さいときから知っていると言う話も聞いていて、そんなことを覚えていてくれたのだと思う。
我々の世代は、東大の教養学部のときには第二外語を選択するのであるが、ドイツ語、フランス語は当たり前すぎて、というか英語がわかればある程度は分かるだろうみたいなこともあって、ロシア語が2クラスもあった。全くものにならなかったが、選択した。数学やコンピュータの得意な人が多かったかもしれないと今にして思う。ロシア語の達人ということからも、米原万理は気になる存在であった。
井上ひさしの米原万理の評価が半端じゃない。16歳年下の義理の姉について書いているということになるのが面白い。2009年に出版された本であるが、いただいたものは5刷りの2010年4月刊。同時通訳ということを初めて職業にした人。文章が上手い。「自分の国の言葉、自分の国を愛するということはこういうことなのか、という思考モデルをつくった」(p.52)と結んでいる。
日本ペンクラブで一緒だったという吉岡は、ベトナム戦争のときに、同じ十代、二十代のアメリカ兵を北方領土経由で、スウェーデンに逃がす活動をしていたという。その数20人を超えると。鶴見俊輔の黒人の脱走兵の話は知っていたが、日本が国内で1960年代にやっていたことを、当時は知らなかった。日本のベトナム反戦運動の高まりが、アメリカに戦争を諦めさせたことに、少しは貢献しているとも言われている。今、ウクライナの戦争で、近隣諸国がそのような活動をできているのだろうか。
金平は元TBSのアメリカ総局長。オバマが大統領になったときを報道している。100年にわたるアメリカの歴史の生き証人の黒人女性が、オバマ大統領の勝利演説に感動し涙を流していたという。日本も今から10年前くらいに、民主党政権が誕生してうまく行くかと思ったら、なんだかゆり戻しになっている。アメリカもおかしいが、同様におかしな社会になってしまいそうだ。そんな演説の同時通訳の凄さを、米原万理として語っている。日本語が上手だと。
金平の語る話のもう一つ。イラク戦争のときに、人質になったアメリカ人は、国が全力で必死に救出したのに、日本人の人質に対しては、渡航中止勧告があったとはいえ、国に税金を使って人質救出などやらせて非国民というような非難が聞こえたというエピソード。二人で憤慨し、共感に、信頼できる人となったという。「非国民」という言葉をたやすく使うメディア批判も含めた、かつての鶴見和子のラジオの言葉を思い出した。
小森の語る米原万理の「日本の常識を転倒させると同時に、ロシアの常識も、英語圏の常識も転倒させる。」(p.168)という言葉の力。さらに、「米原万理の『核心をつかむ認識力』が必要なのです。」(p.169)と言わせている。
万理さんもチェコでのソビエト教育を受けていたりして、日本では大変な思いをした。「防御をしている時には負い目を感じますから、自分が悪いのではないかと思ってしまうと、どんどん落ち込んで行くわけですよ。その時、『お前らの方が変なんだ』と確信を持って言えればはね返せます。」(p.172)生きる力についての小森評である。
ユリさんは、「童話をこれから書いてほしいと思っていたのに」と残念がる。ずーっと見て来た姉への愛も感じられて、とても気持ちよく読めた。宮沢賢治兄妹を連想した。今は、読む本が溜まってしまったので、万理さんの小説、少し経ったら何冊か読まねば。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?