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鎌田慧講演「鈴木東民を語る」

大田区の池上会館の視聴覚室で、鎌田氏の講演会が開催され、その後、1時間ほど対談もできた。8月31日に、フェースブックに「反骨―鈴木東民の生涯」の読後感を書き、お会いしたいと思っていた。大田区議の奈須さんとのツーショットポスターもあったことを思い出し、お話をしたら、場を設けてくれるということで、実現した次第。しかも、1昨日は、木下晋の「いのちを刻む」の刊行記念会で、発起人にも名を連ねていて、名刺交換したばかり。いろんな偶然が、気持ちを高めてくれた。
講演会は、20人弱であったが、若者のジャーナリスト志望の学生から、31年前のハードカバーの初版本を持ってきた鎌田ファンもいて、なぜ、これだけの素晴らしい、ジャーナリストで、かつ釜石の市長として公害対応、福祉教育こそが自治体の役割と頑張った人が、世の中に知られていないのかと思う。
ちょうど、学術会議では6人が首相の任命拒否にあって話題の6人の一人、宇野重規が「釜石市長としての東民」を2008年に東大の社研の論文集に書いている。福島では、いつ復興になるか分からない中で、今も原発が少しずつ稼働し始めている。日本の将来に向けて、政治が大切だし、ジャーナリストの存在も貴重。そういう社会になっていないことを何とかしたいものだ。
鎌田氏も、時に脱線して、再処理工場などできないのに、政府や電力会社はお金をつぎ込んでいるとか、コロナの問題にしても、政治に何が出来ているのだろうという疑問。市場経済が、異端者につらい社会を、もう少し政治を自由に議論でき、ジャーナリストが自由に書ける社会になると良いのにと思う。
子どものころの教科書で、ペンは銃より強しというような話を学んだ気がするのだが、今も小中学校の教科書にそういう話は出ているのだろうか?何よりも、ナチスを生み出したことが、ヨーロッパ全体の反省になっていることを思うと、それを、戦前に、ドイツで日本で警鐘を鳴らした先見の明を思う。日本は、大政翼賛会の政治に近づいているのではないかと思われるような昨今のあり様。
ちょうど、1昨日のパーティでもらってきた、藤原書店のパンフレットや本の類。鶴見和子、俊輔と父親との確執。彼らと同じ世代の鈴木東民も皆、鬼籍に入ってしまっている。それも、戦後すぐの占領軍の政策が、自由で民主的な戦争のない国になるはずだった。それが、朝鮮戦争が始まって、日本で再び戦前のようなレッド・パージが吹き荒れたりしたことを思い出す。戦犯の人たちが政治に復帰した結果が招いている、今の日本の政治。
一回りも上でもまだまだお若い鎌田氏と話しをすることができた。ルポライターとして今もあちこちに連載や執筆をされている。人と知り合えることも、長く生きていた人生の喜びであり、嬉しく思うことでもある。そういう自然な気持ちよい生き方のできる社会にどうしてならないかという、永遠の課題を思った。
帰りは、池上駅まで歩くと、かつてのみすぼらしい平屋の駅が、巨大な駅に生まれ変わっている。東急電鉄と大田区との合作であるが、ある意味では、大田区の税金が、東急の利益に流れることになったりしているという見方もできる。大田区にとって、東急電鉄は、ありがたい経済主体。ある意味、釜石にとって製鉄所はありがたい経済主体であったが、そのために、福祉や教育のための予算が削られるのでは、何のための太田区か、何のための釜石市かと、同根の問題を見た。


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