「ブルックリン化する世界」(森千香子著、東大出版会、2023年11月)から学ぶ

東大出版会のUP5月号に「再開発と空間闘争の記号としてのブルックリン」という著者の記事を読み、都市の再開発と住民の視点について、これは少し学ばねばと、本書を取り寄せて読んだ次第。
ニューヨークのブルックリンで起きていること、ジェントリフィケーション、日本語では富裕化という言葉が相当するのだろうか、今までは再開発という中に存在しつつも、社会として何が起きており、そのまちに住むことがどういうことなのか、十分に意識できていなかった。「あとがき」にあるように、この問題は、全世界の大都市で起きている問題である。それは、グローバルな市場経済が再開発の原動力になっているからで、自治体としては「住みやすいまちに」ということを言いつつ、再開発を進める連携企業としては利潤が生まれることは欠かせない。しかしながら、地価高騰や富裕層向けの住宅建設は、いままで住んでいた人たちにとって歓迎とはいかない。まちから、追い出される場合も出てくるので、再開発に対して「反ジェントリフィケーション」の運動あるいは連帯ということになる。
アメリカの場合も、基本的には経済格差の問題が住むコトにかかわるということであるが、それに人種問題がからむので、日本よりは複雑である。しかし、本書は、ブルックリンでジェントリフィケーションが進む中で起きている、コミュニティの運動として、ポジティブに分析しているようでもある。
序章で、2016年のロンドン市長選がジェントリフィケーションによる地価高騰と住宅難が争点になったこと、バルセロナでは居住運動の活動家が市長になったこと、2021年のドイツ総選挙でも首都ベルリンの住宅コスト抑制が主要争点だった(p.4)と述べていることからも、わが国での問題意識の低さが気になるのである。先の都知事選でも、再開発問題が争点にならないこととの大きな違いだ。
ジェントリフィケーション賛成派の「街を綺麗にし、地価を上昇させ、所得の高い住民を引きつけ、昔から居た住民にも利益をもたらす」(p.110)という仮説の検証が、本書のねらいであり、それをブルックリンの地区ごとの性格も明らかにした上で、個々の住民の声を聞きとる中で、丁寧に議論として展開している。
都市運動には歴史がある。ジェイコブズの建築モダニズム批判は、1950年代からすでに現れ、実践にも至っている。「合理性と効率性を追求するモダニズムに対し、都市に不可欠な要素として多様性を擁護した。自動車優先型の開発計画ではなく徒歩優先型のまちづくりを主張した。」(p.156) 一方で、「中間階級の粉砕と、不動産市場のグローバル化、さらに都市行政の再開発推進などにより、ジェントリフィケーションは、ローカルからグローバルまで複数のスケールで展開される力学を背景として官民の協働により牽引されている。」(p.187)という実態もある。
本書のブルックリンで起きていることの分析は、「反ジェントリフィケーションの実践を通して『コミュニティ分断の原因』と理解されてきたジェントリフィケーションを『コミュニティ共通の課題』と読み替え『それに抗して共に暮らす契機』と位置付ける解釈が起きた」(p.309)というのであるが、アメリカ社会のダイナミズムの中で、居住運動が、実は、250年前の黒人奴隷蜂起に起源をもつ(p.237)ほどに歴史的に展開されてきているものであり、わが国では、居住権を自分たちで獲得すべきと考える歴史がないことは、都知事選挙で再開発が争点にならないこととも関係していると言えるのだろう。
「パンデミック時代の共生」というテーマにおいて、ブルックリン在のオーガナイザー、トーマス・カルディーニョのインタビューを紹介している。「私たちは都市―農村間の分断を埋めなければならないし、都市の活動家は農村の人々と共通項を探る必要がある」(p.331) 社会における分断の問題を住むことの視点からも、都市に富裕層を集めることになっている現代社会の課題を明らかにしているといえる。しかし、このことに向き合っても、どのような実践が求められているかは、必ずしも自明な解答があるわけではない。大田区では、消費者団体登録をした、「住むコト」で議論をしているが運動にまで展開できていない。釜石市唐丹町では「唐丹小白浜まちづくりセンター」なる会社を作って活動をしているが、都市―農村の分断を埋めることに、どこまでなっているか。ブルックリン化から学ぶことは、居住ということの意識化と、そこから生まれるコミュニティとしての運動の意味を考えることであろうか。

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