「災害社会」川崎一朗著(京都大学学術出版会)読後感

「災害社会」川崎一朗著(京都大学学術出版会)読後感

11月の富山における「持続可能社会と建築制度」の講演会に参加いただいた川崎先生から頂戴した。東日本大震災前に出版されたものであるが、今もまさに、これからの社会に対しての科学者からの警鐘の書である。
社会に対して、自分なりの科学的根拠をもってどのような発信ができるかと考えると、共感できる記述が少なくないのは、世代もあり、海外での経験などの共通性もあるがゆえかと思った。以下、印象に残った部分を取り出して感想を記しておくこととする。
まずは、「宮城谷昌光のファンである。・・・」(p.8)の後に、『晏子』が登場する。拙著「耐震建築の考え方」(岩波科学ライブラリー51)のあとがきに、総費用最小化の概念が、晏子の、敵を過小評価するよりは過大評価する方がよいという判断に通じると書いたものである。川崎氏ほど宮城谷を読んではいないのであるが、感ずるものに共通の本が現れるだけで親近性が増す。
「地震動によって倒壊する家屋を最小限に抑え込むにはどうしたらよいのか?」(p.21)という設問には、やや首をかしげる。「建築基準法を遵守すれば倒壊を最小限にできる」みたいな感触を感じるからである。「最小限とは」どういう意味か、問題設定を考えたい。
「震度6弱は、木造建物の場合、『耐震性の低い住宅では倒壊するものがある』とされている」(p.29)とある。これは気象庁の解説をもとにしているのではあろうが、お役所的で少々気になる。震度6弱となると、加速度レベルで190ガルから340ガル程度であり、壁や開口部に若干の被害は出ても、倒壊は稀という感覚である。もっとも「耐震性の低い住宅」とは何をさすかが問題ではあるが。
「断層近傍の速度記録」(p.69)は、纐纈(2002)を引用しているものであるが、断層の動きと対応した波形として、見やすくまとまっている。こうしてまとめて見せられると、なるほどなと思う。
東京の「木造住宅密集市街地」の再開発は、低層や中層で、というのはまさにその通り。大田区大森中地区(p.100)も挙げられている。都や区の都市計画にそうした方向が見えず、相変わらず民間頼みの大規模開発志向なのは、なぜかと思うのだ。さらにp.108で指摘しているように、「地震学と社会」の見出しで、地震学者の声が社会に届かないところに問題がある。もともと、東大の地震研だって地震被害低減のために設立されたのに。自治体が自身でしっかりと情報を判断して行政に反映すべきである。それだけの意識をもたないがゆえに、国に「自治体に任せたのでは何もできない」と言わせるのだ。
「田園都市国家の構想」(p.114)にあるように、高度成長下にあって大平首相が考えたことは、極めてまっとうなことであったことを、人口減社会の今こそ、国も政策に反映すべきである。ただ、デジタルの言葉を付ければよいというものではない。
空中権の売買が可能になったのは1994年(p.119)ではなく、容積率移転を許す規制緩和で、1998年の建築基準法改正だと思う。
「東京湾臨海地区も地震リスクに満ちた、極めて危険な場所であることも確か」(p.140)とあるが、兵庫県南部地震で、六甲アイランドやポートアイランドが、液状化の問題はあったにせよ、建物被害、人的被害という意味では他に比べてむしろ少なかったように思う。となると臨海地区もどの程度のリスクを見込むかは、精査が必要な気はする。
頭痛の話が書かれている。(p.151)筆者も頭痛に関しては、語ることをたくさん持っている。ただ、症状は違うようだ。筆者の場合は、群発性片頭痛で、24歳から42歳まで、ほぼ1年に1回、2週間から1か月くらい強烈な頭痛に悩まされた。そんな頭痛を2,3年経験して、高齢の耳鼻科の先生を訪ねると「直そうと思わず、付き合っていこうと考えなさい」と言われて精神的に落ち着いた。医は仁術なりだ。治療薬は、血管収縮剤のカフェルゴットで、これは、エジプトや中国でも1000年以上昔から成分的に同じものが処方されていたのだという。「曖昧さを寛容する」ことを忘れてはいけない。そういうことを体に教えることも医者(専門家)の役割かもしれない。同じことが災害社会にも必要だ。
「超高層ビルの所有者に超高層ビルを地域の防災拠点にする」(p.156)という提案をされているが、これは、筆者がスカイツリーの敷地選定委員会で発言したことである。防災という点では課題の多い地域なので、スカイツリー建設が地域全体の防災拠点となり、防災計画を進めることを条件として今の地点を選定したはずなのに、一向に区や東武の防災都市計画の進展が見えない。かつて、福和先生から、「あんなところにスカイツリーを建てるなどは不見識」と言われたことがあり、自分としてはそういう敷地選定時の経緯があって反論したのであるが、現実に防災計画が進んでいないとしたら、言っただけでは何になるということで反省しなくてはいけない。
「もっと地方分権を」(p.185)まったくその通りである。全国一律の建築基準法が壁になって地方分権を妨げているという現実を、専門家は発言し、法も変えていかなくてはいけない。それがまさに、「建築基本法制定」の動きである。ただ、問題は、そのような法の限界に挑んででも自治体を変えていこうとする首長がいないことには、法だけ変えても変わらないし、災害リスクの増加も止められない。
ただ、p.192あたりでは、「法が想定していないような商行為」とか「法が想定していないような雇用」とかを、企業批判として書かれているが、それであれば「法を満足していればよいのか」ということにもなる。そもそも、わが国の法の作られ方が、どうしても大企業寄りになっていて、それが現実に非正規雇用を増大させてきていて、格差を生んでいる。資本家と労働者と言う意味では、経営者のための法整備以上に、労働者のための法整備が必要なのだろう。建築基準法も、建設業者や設計業者のための法律になっていて、国民の暮らしのための法律になっていないことに通じるのだ。
日本の災害対策の基本は「200年に1度の災害を想定しそれを抑え込む土木工事」(p.202)とあるが、建築は1998年の建築基準法改正に基づく2000年の施行令・告示で、それが「500年に1度」になっている。そして、なによりもおかしいのは、台風や豪雪に対してはそのように謳っているのであるが、地震動に対しては、明らかにしていない。東京の山の手地盤では、ほぼ対応するが、日本全体で見ると、場所によっては50年に1度から5000年に1度くらいと、実にばらばらになっているのが、建築基準法の規制である。このことを知っていて放置している住宅局も問題だ。一方、それを知ったのであれば、自治体が条例で整備していくことは、もっと大切なことと言える。
著者は学位取得後にアメリカで修行されているが(p.246)、筆者は、イギリスで学位を取得し、修行らしきこともせぬままに、帰国してから東大で職を得た。ただ、イギリスやアメリカでの研究や教育の中に身を置いたことは、やはり研究と社会を考える上でも大いに役立っている。
指導教官と連名で論文を発表するかどうかについても、似た体験を持っている。学位論文の一部を論文にして学術誌に投稿する際、東大の指導教官の名前を共著にしたら、「自分一人の名前で書け」と言われた。著名な先生の名のある方が、査読が通りやすいとか、より多く読んでもらえるとかいうこともないわけではないが、当時の慣行として、指導教官の名前を共著にするということが常識だったのが、変わりつつある時代ということもあったなと、懐かしく思った。
専門家が社会に対して発言しなくてはいけないということとで、強く共感した。そしてそれが活かされるためには、自治体が専門家の声をもっともっと活用すること、そのためのオープンな議論もすることである。政治に都合の良い人だけの集団がアカデミーや学識経験者では困るのである。学術会議の人事も過去の話のようになってしまったが、国のあり方としても、とても重要なところである。


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