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コミュニティアーキテクトを考える

宇杉和夫先生から最初に、シンポジウムに寄稿をと連絡があったのは、2月21日、あいにく予定の3月末は釜石の唐丹へ大田区議を案内する予定になっていて、シンポジウムは出られないのでと、2ページの梗概「建築まちづくりにおける建築基本法制定の意義」を書いて送ったのが3月5日。COVID-19のおかげで区議の訪問も中止になったが、シンポジウムも延期。沙汰止みだったのが、昨日、浦和の埼玉会館で実施されて良かった。オンライン参加もありだったが、実際に議論も聞きたくて、出かけた。
浦和駅を降りたのは初めてではないかと思う。会場は、前川國男の1966年の作品とも知らなかった。雨の中、建築学会の埼玉支所主催としては、かっこいい場所だと思った。2階ラウンジは、広いこともあり、けっこうパラパラと20名以上の参加がみられ、オンラインでもそこそこの人が議論に加わった。ハイブリッドは、準備や進行が大変だ。
基調講演の西村幸夫の話も良かった。浦和のまちの変遷から入って、再開発のときも、みちをどう設計するかは大切、パルコに任せるとみちであるべきところが塞がれてショッピングのための場所になってしまう。川越、湯布院、など景観整備がうまくいったところを紹介。日本は、ゆるい規制だけどきつい規制だと。運動体が必要だし、地域の将来ビジョンが大事で、連鎖的イノベーションに期待すると。
千島孝弘は、伊勢市のタウンマネージャとしてまちづくり協議会のアドバイザとしての役割と実績を紹介。
渡辺斉は、新潟でヘリテージマネージャを60時間の講座で105人育て、それが歴史景観や歴史的建物の保存につながったと紹介。
成岡茂は、オンラインで流山市江戸川台から、建築基本法制定の意義と伝統木造の問題に加えて、江戸川台駅前の雇用促進事業団住宅の再開発に向けての悩みを語った。
荒牧澄多は、川越の蔵の会(1983)から町並み委員会、伝建地区指定(1999)との歴史を踏まえて、今もコミュニティアーキテクトが育っていると報告。
土屋愛児は、さいたま市の計画部長で、都市の価値についてのアンケートとその意味を分析。
早瀬幸治は、住宅ビルダーながら、見沼のコミュニティアーキテクトとの出会いで、まちを考えた設計ができることを学んだと。
広瀬健は、府中市のタウンマネージァとして、札幌市のAKAPLAでまちの活性化に民間でもやれることを学び、生かしていると。
その後、討論に入り、意見を求められたので、5分ほどマイクを握った。建築基準法が建築主の建てる権利を優先し、最低基準を満たせば建てられるという状況が今のまちを作っている。構造規定は最低基準と言いながら、地震災害の度に規制を追加追加でとても最低というよりは複雑で膨大な基準になっている。周辺住民とか環境の視点が抜けている建築基準法による行政でなく、建築基本法制定の議論を通してこれからを考える必要がある。自治体とアーキテクトの連携が欠かせない。
現実に、建築士には「まちづくり建築士」があり、芦原太郎元JIA会長も「コミュニティアーキテクト」をこれからの建築家の役割として語っている。歴史的まちなみが保存されたりしているところには、自治体の政策もあるが、その中でまちを読み解いて設計できるアーキテクトの存在が不可欠であることを改めて認識した。
桑田仁が、7項目にうまくまとめて総括した。建築基本法についても言及してもらえたのは、成果だ。市長のメッセージもあったりして、何よりも、さいたま市の協力が得られていることが感じられるのが良かった。

さらに、宇杉、白江龍三、三浦清史から、小一時間、近くの鰻屋さんで今後についての話を聞いた。建築界が、コミュニティアーキテクトの成果をもっと評価して発信することも必要だが、そもそもコミュニティアーキテクトとは何かを、共通に認識しておかないと、混乱する。言葉だけを使って商売道具にする人間も現に存在しているとの指摘もあったし、いままでに、まちを考えて設計してきた藤本さんや三井所さんも立派なコミュニティアーキテクトだと思うが、自分が設計する、建築するためにということが前提ではだめだと宇杉氏が言うことは大きい。地域の中に、その地域のコミュニティアーキテクトであるということが自然に認められる存在、そういう状況を育てて行けるとすばらしい。建築基本法や自治体がそれを応援する、あるいは、しっかりと裏付けるというのが良いと思う。
これからの展開に期待したい。自分も、東馬込1丁目11番地地区のコミュニティアーキテクトと名乗れたら良いと思うのだ。それに少し近いことを、私道の整備で発言したことを思い出す。4mの二項道路を、「全部アスファルト舗装にするのでなく、50㎝分は段差なしの花壇にすれば、いざと言うときに消防車は入ってこれるし、駐車放置もなくて良いから」と管理者(所有者)にお願いしたのだ。管理者は大変だが、30年経った今も、住み手が変わっても続いている。隣家の新築や改築があると、かならず、文句が出るのは、どこも同じ。どこまでが権利でどこまでが公共の福祉か、改めて考えるべきときだ。



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