日本語ラップ部!第五話


・【好き】

 そろそろ弦太先輩、シルバ先輩、太人先輩が部活にやって来る時間だ。
 私と綾菜は小さく恋バナのようなものをしていたが、徐々に話をどうでもいい話に変えていった。いつ入ってきても大丈夫のような、どうでもいい話に。まあ勉強の話をどうでもいい話って言っていいか分からないけども。勉強こそ本来の本分だけども、勉強さん、いっつもこんな扱いで、すみません。
 勢いよく開いた部室の扉、超ご機嫌のザキケンが立っていた。鼻唄交じりのナイス・ステップでのご入場だ、コイツはバカだと断言していい。
 ザキケンは開口一番こう言う。
「作戦でも立てたか」
 何のだよ、と激しくツッコミたくなるような一言を発するバカだ。コイツはバカだと断言していい。
 そもそも弦太先輩やシルバ先輩にも”好き”をテーマにリリックを作らせるということだよね。
 うわっ、そこで弦太先輩の今の好きな人が判明したら嫌だな、例えば『体育館で走るバスケ部の』みたいなのが出てきたら超嫌だな。
 どうしよう、間接的に振られることが決定したらもう立ち直れないくらい嫌だ、いやもうこのイスから立ち上がることが出来ないくらい嫌だ、ちょっと足が震えてきた。
「風子、貧乏ゆすりはモテねぇぞ、あの先輩に見られていいのかぁ?」
 と言ってケタケタ笑うザキケンと、足よりも先に心臓が止まりそうな私。
 今入ってきたらどうする気だったんだコイツ! いやコイツにダメージは無いけども! 今モテるとかモテないとか言うなよ! 何なんだ! 場合によっては絶対訴えてやるからな!
 私は多分、とても大変そうなリアクションをしていたのだろう、それを見ていた綾菜は優しさで勉強の話を本格的に始めてくれた。
 テスト範囲はどこからどこまでになりそうかな、とか、アイツの授業はそろそろ小テストありそうだよね、とか。
 勉強の話になったら、さすがにザキケンも手も足も出ないという様子だろう。
「勉強より大切なことあるんじゃねぇの?」
 いや全然口を出してきた、あと学生が勉強より大切なことなんてねぇよ! あとゴメンなさい! 勉強さん! いっつもいっつもこんな扱いでっ!
 そんなこんなで、まずシルバ先輩が部室に入ってきた。
 私と綾菜の挨拶と同時にシルバ先輩も挨拶をしてくれた。
 そこで何か別の気配を感じたのか、シルバ先輩が部室の教壇のほうを見て、ザキケンが部室にいることに確認した。
 どうやら既にザキケンが部室にいることに対して、違和感を抱いている顔だ。
 むしろ警戒すらしているようで、いつもの席に座りつつも、時折横目でザキケンを見て、状況を確認している。
 何たる信用の無い教師なんだ、ここまで信用の無い教師っていたんですね。
 あのステージの件で回復したと思ったら、もうここまで落ちているという。
 次に太人先輩が部室にいつものようにだるそうに下を向いて入ってきた。
 私と綾菜が挨拶をしても、下をさっきよりも強く一回向いて、頷くくらいだ。
 でもそれはいつも通りで、すぐにパソコンが置いてある机に直行した。
 その机に座ってパソコンを見た時に、初めてザキケンを目視したらしく、そのタイミングで『先生どうも』と言った。
 そのあとすぐに太人先輩は
「鍵、綾菜たちが最初だったよね」
 と言って、部室の鍵の状況を確認した。
 太人先輩の私物のパソコンは、だいたいこの部室に置きっぱなしなので、鍵の管理はいつも太人先輩が行なっているが、こうやって先輩方の授業のほうが長い日は、私たちが部室の鍵を開けるため、必ずこの確認をする。
 太人先輩にとってはザキケンがいようがいまいが、いつも通りらしい。
 むしろ太人先輩はザキケンから音楽理論の話を聞いたりしているらしいので、いてくれたほうが嬉しいくらいなのかなぁ。
 あと何気に『綾菜たち』と、綾菜メインなのが少し楽しかった。
 綾菜も今はそこを変に意識しちゃっているみたいで、その綾菜の反応も少し面白かった。
 でもダメだ、それだとザキケンになってしまう、反応で面白がっちゃダメ、ダメ。
 最後に弦太先輩が元気よく、部室に入ってきた。
「ゴミ出し任されて遅くなりました! 全員今日もよろしく! あっ! ザキケン! よろしくお願いします!」
 三者三様のリアクションだ、ザキケンは意味無く、満足げに頷いていた。
 きっと意味無いに決まっている、だってアイツ、バカだもん。
 全員揃って、イスに座ったところで、ザキケンが喋り出した。
「さて、今日はオマエらに曲のテーマを持ってきた。とはいえ、実は風子と綾菜にはもう言っている、だからオマエらが発表しろ」
 いや言いづらいな! 間接的に告白している気分になるだろ! 好きという言葉を今言い出したくないのに、何ハッキリ言わせようとしてんだよ!
 私と綾菜がモゴモゴしていると、弦太先輩が私たちのほうへ身を乗り出しながら、
「ん、何だ、イダテン、アヤナン、早く教えてくれよ」
 せめてシルバ先輩に話しかけられたかった! この流れで私が『好き』という言葉を口にしたら、何か告白じゃねぇ? 大丈夫かっ! いや大丈夫か! 『好きをテーマに曲を作ります』って言えばいいだけか! 流れるように『好きをテーマに』まで言うんだ! 言うんだ私! 言えるか私! 言えるか! 私! 言えないか! いや言えるか! それくらいかまずに言えるか! う~ん、もう! 弦太先輩の頭上に明らかにハテナマークが浮かんでいるのが分かる! もはや見える! 活字でハテナマークが見える能力が私にはある! そしてザキケンには活字で笑っている顔文字が見えるし、顔自体もやっぱり笑っている! そこまで意識する必要無いのに、というような感じで笑っている! アイツ腹立つな! いつの間にか拳を強く握っちゃうな! 汗も結構握ってるな! エキサイトするスポーツを観戦しているくらいに握っているな! そしてザキケンは大爆笑喜劇を観覧しているくらいに笑っているな!
 なかなか言わない私たちを見て、微笑みながら弦太先輩が
「もったいぶるなよっ、そんなすごいテーマなのかよ」
 すごいテーマ! うんまあすごいテーマ! 私からしたらすごいテーマだけども! すごいテーマって言われたらさらに言い出しにくいな! えぇい! 言ってしまえ! 多分私って普通に言えるだろうし!
「すきす、あっ、しゅきす、いや、すきすすがテーマ曲、あの、テーマに作ります!」
 全然言えなかったじゃねぇか! 自分を過信してしまった! 恥ずかしい! 私の近くにザキケンが一生いる人生になったら、一生言われるヤツだこれ! そんな人生嫌だけども! ザキケンだけはすぐに私の人生からフェードアウトしてほしいけど!
「イダテン、スキスって何だ?」
 弦太先輩の純粋な疑問に、私は体が百%真っ赤っかになったことが分かった。
 恥ず熱い、これはダメだ、これはダメなヤツだ、サウナって多分こういうことに違いない、いやサウナは恥ずかしくないだろうけども、これはキッツイ、これはキッツイぞ。
 好きとキスを合わせた造語みたいになってるじゃん! そんなのテーマで作れるか! どんな部活動だ! いやらしい部活動があったもんだよ! 全く! よぉぅし、ザキケン! 笑ってんじゃねぇよ! オマエが言うんだよ! オマエが持ってきたテーマなんだよ! オマエが言えよ! おい! おぉい!
「オレの知らない単語か?」
 いや多分だけど知ってるわ! 彼女いたなら知ってるわ! 多分! 私は正直知らないわ! 好きってどういうことかイマイチ知らないわ! でも弦太先輩は知っているから安心していい! 貴方は安心していいんです! 私は今何も安心出来ない状況だけども、貴方はお先に安心していてください! というか私が一人であわあわしているけども、綾菜! オマエも口を出せ! こんな時こそ口を出せ! いつも何にでも口を出すくせに今日はだんまりか! 助けてくれ! 綾菜! 目をそらすな! あとちょっと笑うな! 『スキスて……』みたいな感じに笑うな! せめて私と一緒に慌てろ! 助けなくていいから一緒に慌ててくれ! 頼むから一緒に機能不全になろう!
 と、ぶるぶるしながらいろいろ考えていると、ザキケンが
「えっと、風子が予想以上に面白いので、俺からテーマを言います。好きをテーマに曲を作ってもらおうと思っている」
 ザキケンめ! 予想以上に面白いってなんだよ! そして何私、ザキケンの予想を超えているんだよ! 期待を超えるな私!
 ザキケンのその台詞を聞いた弦太先輩は、やれやれといった感じに、
「何だ、好きをかんだわけか、それくらいハッキリ言えよ、イダテン。今のイダテンは、この前のステージの時よりも緊張していたぞっ! 何でだよっ!」
 ボケにツッコむように楽しそうに言った。どうやら全く気付いていないようだ。
 ただシルバ先輩は何故か神妙な面持ちで、肘を机につき、手を口に当て、私と弦太先輩をチラチラ見て、何か考えているようだった。
 いややっぱり私、シルバ先輩にはバレてるんだ! どうやら!
 ザキケンは自分のペースで喋る。
「でだ、まあ全員好きな人へのラブソングにしても面白そうだけども、中学生のラブソングなんて恥ずかしくて聞いてられないので、好きなこと、好きなモノ、好きな人、の、三つをそれぞれ分担して作ってもらいたい」
 いや結局好きな人のパート一個あるじゃねぇか、恥ずかしいから笑いたいが出てるじゃねぇか。
 このザキケンの提案に、シルバ先輩は何か思案に暮れているようだった。
 ……どう考えても、この”好きな人”をどう処理しようか考えているに違いないし、やっぱりそうで違いなかった。
 シルバ先輩は手を挙げてから、喋り出した。
「ザキケン先生、全員好きなモノに対して歌うというのはどうでしょうか、それを聞いた側が自分の好きなモノ、こと、人に置き換えることによって、応援ソングになったり、ラブソングになったりするでしょうから。プロの人で”聞く側が自分の状況に置き換えて聞くことによって、いろんなメッセージ性に変えて聞いていい”と言っている人もいますし」
 ザキケンは眉一つ動かさず、こう言う。
「しかしなシルバ、オマエらは三人いるんだよ、スリーMCなんだよ、それなら三人それぞれを分担して歌ったほうが合理的だろう」
 いや食い下がるな! ザキケン! シルバ先輩の案を受け入れやがれ! しかしここで足並みは揃わない、これが三人いるからというヤツなのか。
「いやいいじゃん、シルバ、三人でそれぞれ分担しようぜ」
 弦太先輩のある意味空気の読めない発言に、シルバ先輩も少々困惑、というかもしかするとちょっとだけ怒っているような。
 シルバ先輩が眉毛のあたりをかきながら、う~ん、と考えている。
 ここは私も援護しなければ!
「私もシルバ先輩と同じ意見で全員好きなモノに対して歌うほうがいいと思います!」
 それに対して弦太先輩は、
「でも三人いるんだし、ザキケンの言う通り、それぞれ歌ったほうがいろんな歌詞が出てきていいんじゃないかな」
 いや正論よ、そっちのほうが正論なんだけども、ほら、誰が好きな人を担当するか考えていないのか!
 弦太先輩は続ける。
「オレは三人という多様性を使ったほうがいいと思う、何だよ、イダテンなら分かってくれると思ったのにな」
 何、ちょっと、何、何、弦太先輩が少しスネているのかな、ちょっと可愛い! でもダメ! 可愛さに惑わされない! ここは押し切るのっ! 私っっ!
 ……と思っていたんだけども、
「せっかくイダテンが入って、三人でラップが出来るようになったのにな……」
 そんな寂しそうな声を出されたらもう折れるしかないじゃないか! 何これ! これが母性本能ってヤツなのっ! 先輩に母性! 年上に母性! そういうのってあるのっ? あるのかなぁっ! なぁっ! えぇい! じゃあもう! 私は!
「う~ん、まあ弦太先輩がどうしてもって言うなら、それでいいですけども」
 あっ、シルバ先輩がものすごく驚いてらっしゃる! そりゃそうだ!
 元々私のためを思って、きっと私のためを思って、私が好きな人を歌う可能性を排除するために言い出してくれたことだから!
 でも最終的には”好きな人の言うことには同調したくなるよね”みたいな表情をして、微笑み&ウィンクをして下さった。良い先輩だなぁ。
 ただそんな”私は弦太先輩のことが好き”ということがバレバレだと、改めて、まざまざと見せつけられるとは思わなかったけど。
 なんて、まだいろいろ考えている段階なのに、すぐに弦太先輩が
「じゃあオレは好きなモノでラップしようかな」
 うぉぉおおおおおい! 何即決で決め始めているんだよ! いやいやいや! 変に好きな人を歌われて、私の片思いが終了するのも嫌だけども!
 弦太先輩はきっと何も考えずに、普通に
「シルバは好きなことかな、日本語ラップに対して歌いたいだろ」
 どんなリーダーシップを発揮しているんだよ! 早いな! 流れが早いな!
「イダテンは好きな人だな、だって女子は恋バナ好きだからな」
 何だその偏見! まみれているじゃねぇか! 偏見にまみれているじゃねぇか! シルバ先輩はどう反応するんだ! 私のシルバ先輩はどう反応するんだ!
「それでいいと思うよ!」
 おいおい! どうしたシルバ先輩! 急に頭がおかしくなったのか!
 僕が好きな人をやるから風子ちゃんは好きなことを担当するといいよ、じゃないのか!
 もしや、さっきの微笑み&ウィンクは”好きな人の言うことには同調したくなるよね”じゃなくて”好きな人のパートを歌って本人に伝える勇気が出たんだね”だったのか! いやいやいや! まずこの偏見をそのまま受け入れるわけにはいかない!
「私は他のパートがいいです!」
「そう言うと思ってくじを作りました。ほら、弦太、この中にある紙を見ないで引きなさい」
 用意周到なザキケンがカットインしてきた。
 カラのティッシュ箱を持っているので、あの中に紙が入っているのだろう。
 ティッシュ箱を持って弦太先輩の横まで来たザキケン。
 弦太先輩は言われるがままに、手を突っ込み、紙を引いた。
 その紙はティッシュ箱から見ると、かなり小さく、親指と人差し指でギリギリつまめるくらいの小さな小さな紙だった。
 その紙を弦太先輩のゴツゴツした手で不器用になんとか開くと、そこには好きなモノと書かれていた。
 弦太先輩は大喜びでガッツポーズ、私は無邪気なもんだと持ち前の母性を発揮しながら見ていた。
 ザキケンが次をシルバ先輩に引かせようと、シルバ先輩のところまで歩いていき、ティッシュ箱の角でシルバ先輩の腕をつついている。
 するとシルバ先輩がさわやかな笑顔で、
「先に風子ちゃんが引いていいよ」
 と言ったので、そう言えば弦太先輩はそういうの一切無かったなぁと思いながら、私は立ち上がり、ザキケンとシルバ先輩のところに行き、引こうとすると、ザキケンが急にデカい声で
「ちょっと待った! ちゃんと入っているか確認するから!」
 と言って、ティッシュ箱を引っ込め、自分の体でティッシュ箱を隠しながら、中をごそごそしてから、やっと私にティッシュ箱を渡した時点で、何だか怪しいような気がしてきた。
 まず紙が小さすぎる、まるで全部同時にさわれなくても、違和感の無いような大きさにしているように。
 試しに私はティッシュ箱の中をくまなく、手でさわったが、どう考えても紙は一個しかない。そしてこの一個こそが”好きな人”と書かれた紙に違いない。だから私は言ってやった。
「このティッシュ箱の中を確認させてください! ちゃんと二つ入っているか!」
 しかし私はここでミスを犯した。
 本当はそんなことを宣言せず、勝手にティッシュ箱の中を開ければ良かったのだ。
 一回宣言したことにより、大人の力でティッシュ箱をぐいっと、自分のところに戻したザキケンは多分一瞬の隙を見て、紙を入れて、ティッシュ箱の中には紙が二つ入っていた、という状況を作り出したのであった。
 ――勝負に負けた人間の末路は悲惨なものだ。
 最後は運にも見放され、私は”好きな人”と書かれた紙を引いていた。
 ザキケンに散々『疑い深い』とバカにされ、弦太先輩からはちょっと可哀相な人みたいな目で見られ、いろいろ言われた挙句、主にザキケンからのみいろいろ言われた挙句、
「風子、やっぱり好きな人というものは、女子が歌うに相場で決まっているんだ。女子は共感するし、男子は喜ぶし、そういうもんだ」
 とザキケンから言われて、それを私は素直に受け入れるしかなかった。
 ここから歌詞を書く作業が始まった。
 いつも通り私たちは図書室に移動した。


・【思考回路】

 静かに三人でリリックを作る。
 まず最初に、好きな気持ちを届けたいということをフック、つまりサビと決めてから、それぞれで作り始めた。
 なんせ今回はそれぞれテーマが微妙に違うので、サビ以外は話し合って作る必要も無い。
 弦太先輩は好きなモノ、シルバ先輩は好きなこと、そして私は好きな人。
 先輩方はサラサラと筆が進んでいるように見える。
 私はその様子を見ているだけで、全然進まない。
 というか好きな人というテーマだと、ただただ好きな人のほうを見てしまう。
 優しくて、でも怒らないといけない時は怒ってくれて、頼りがいがあって、カッコ良くて、感情的なところが可愛くて、あのゴツゴツした手が男らしくて、ツンツンとした黒髪がさわやかで、こんな人にずっと守ってほしくて、弦太先輩のつらい部分は守ってあげたくて……って、描写していったらバレちゃうな、どう表現すればいいんだろう、好きな人って。
 ただの告白になっちゃうような気がする、総合すると弦太先輩のことね、ってなっちゃいそう。
 気付かれたら嫌だな、いや気付かれたいのかな、ただ両想いになりたいだけなんだろうな、両想いになった瞬間に気付かれたいな、でも私のこと、好きな女性として見てくれるのかな、見てくれる時なんて来るのかな、ただの可愛い後輩のまま終わってしまうんじゃないかな、ただの可愛い女性になりたいな、ただの可愛くて守ってあげたい女性になりたいな、か弱さアピールでもしようかな、リリック作れないの、みたいな、いやこれはか弱くない、ただちょっとだけダメなだけだ、少し頭が悪いアピールだ、これは違うなぁ、嘘でも熱出ないかな、いつでも風邪が引けるようになれないかな、いやこれは頭が悪い、この考えは頭が悪いなぁ、それにいつでも熱なんて出せるじゃん、弦太先輩のことを考えれば、もうだいぶポカポカしてきたかもしれない、ノドもかわいて、でも潤っていくような、何か満たされていくような不思議な感覚、熱で水分が蒸発して何もかも干からびてもいいはずなのに、何だかどんどん心が瑞々しくなっていって、感覚が冴えていくような気分、弦太先輩にふれてみたい、心に、とか、そんな抽象的なことも考えるけども、もっと、もっと物質として、弦太先輩にふれてみたい気持ちが出てくる、変なのかな、私、弦太先輩にぎゅっと抱しめられたいような気もする、でもそんなことされたら何か溢れちゃうな、感動で涙が溢れちゃうかも、何考えてんだろ私、早くリリックを作らないと、あぁ、少しは私のこと意識してくれてもいいのに、何か近いんだよね、距離が、気が付くと顔と顔がくっつきそうなポジションに顔があったりして、男友達じゃないんだよ、私は弦太先輩の男友達じゃないのに、隔たりが無くて、いや別に差別してほしいわけじゃないけど、その差別しないところも好きだけども、でも私だけ特別に思ってほしい、って無理か、だって特別じゃないんだもん、ただの後輩なんだもん、当たり前だ、特別みたいなリアクションをとるはずない。
 特別になりたいな、私ばっかり特別と思って何かズルいな、関係は相互であれ! これだから鈍感な男には苦労するなぁ、もう!
「イダテン、オマエずっとこっち見てたけど、もう終わったのか」
 いや私のほうが鈍感だった。
 弦太先輩の顔がいつの間にか私の顔のそばまで来ていたことに気付けていなかったのだ。
「いや全然書いていないじゃないか」
 というか、ずっとそっち見てたって気付かれてた! どうしよう!
「……手伝おうか」
 全然書いていないこともバレちゃってもう!
 ……って、おい! 私! ズレてるズレてる! 直近の質問と考えるべきことズレてる! 手伝おうかって! この好きな人のリリックを書くことをってことぉっ? 何よ! 手伝うって、抱きしめてくれたりするってことっ? バカ! そんなことないだろ! いやでも! 断るのは何かチャンスを棒に振るような! どうしよう! シルバ先輩はどんなリアクションかなっ?
 ……ウィンクだ! いったれのウィンクだ! じゃあ手伝ってもらおうかな、うん、何をどうするのかは全く分からないけども。
「手伝って下さい……」
「おう! 何でも聞いてくれよ!」
 聞く、の、かなぁ……?
 弦太先輩の好きな人を聞くってこと? いや! 聞きたくないわ! えっ? 合ってんの、これ? ……とか思っていると、シルバ先輩は気を利かせたのか、
「僕はだいたい終わったから先に部室に戻っているねぇ」
 と言って、図書室から出て行ってしまった。
 今は弦太先輩と私の二人きり。
 どうしよう、聞いてくれって言われた手前、聞いたほうがいいのかな、何か聞きたくないんだけども、でも聞いてみたいこともあって、えぇい、この機会だ、思い切って聞いてみよう。
「弦太先輩は彼女がいたんですよね」
 聞いてくれと言ったくせに、いざ聞いたら、この一言だけで体を一瞬ビクつかせて、そしてすぐ照れ笑いを浮かべた。
 いつもの堂々としている弦太先輩っぽくない一面をすぐに見せてくれた。
 すぐに見せてくれた。すぐに。
 私の知らない弦太先輩だ。
 知らない弦太先輩なんて見たくない、いや見たい、全部知りたい、分からない、分かりたくない、全て知りたい、全て自分のモノにしたい、いやそうでもない、分からない。
「まあイダテンが入学してくる前の話だなぁ」
 いつもの単刀直入のような、すぐに返事が返ってくるみたいな感じではなくて、私がいろいろ考える暇がたっぷりあるほどの沈黙をとって、やっと返ってきた言葉。
 その言葉が当たり障りのない時期の話だけで、やっぱり聞かないほうがいいのかな、ウザいかな、というかぶっちゃけ気持ち悪くないかな、でも聞きたい、少なくても今はどうしても聞きたいんだ、どういう風な子が好きかも聞きたいし。
 とか考えていると、この沈黙を嫌うように弦太先輩はゆっくり語り出した。
「でもサッカー出来なくなったら、すぐ別れを切り出されて、オレを好きなんじゃなくて、オレのステータスが好きだったんじゃないかな。なんてことは前にも話したっけ?」
 自信無さげに、俯きながら、短い前髪をさわりながらそう言った弦太先輩、この一言でハッキリしたことは、弦太先輩は自分にあまり自信を持っていないということだ。
 でもシルバ先輩を助けるような行動をしたり、いつも私を助けてくれたりしているわけで、何でそんなに自信が無いのか分からなかった。
 まあ自分のことは自分では分からないというもんなぁ、そういうことなんだろうか。
「まあオレの話はともかくさ」
 いや弦太先輩が聞いてくれって言うから、じゃあ最後に一つ、どうしても聞きたいことを。
 ちょっと大胆だけども、今の流れなら自然に言えるような気がする、というか聞かないといけないこと。かむなよ、私、かむなよ私!
「……弦太先輩って今、好きな人、いるんですか?」
「いや……うん……まあ……いないかな」
 いやいるだろ! その歯切れの悪さ絶対いるだろ! 何だよもう! 隙間無いのかよぉっ! 私が好きと言える隙間無いのかよぉっ! いやでも諦めたくない! ここは諦めちゃいけないと私は思う! 何かそう思う! よっしゃ! アピールだ! アピールしまくってやる! 媚びを売っている? それの何が悪いんだチクショウ! やってやる! やってやるよ! でも何か変なテンションになってるな! 大丈夫か私! ちょっと怒っていないかっ? 怒っていると変に大胆になってしまうところあるから、気を付けろよ私! ところでアピールって何をすればいいんだろう! したことないから分からんわ! でも大胆になりすぎるなよ私! それだけは気を付けろよ私!
「ところでイダテン、オマエは好きな人いないのか」
 ……ぅぇええええっ? そうきたか! いやそうくるか! そうくるだろうな! 大体! どうしよう! もう言っちゃうか! 言っちゃわないわ! 危ないな私! 爆弾抱えてる状態になってるじゃん私! 早くこの爆弾を手放そうとしてるじゃん私! えぇぇええっと! どうしよう! どうしよう! どう答えよう! う~ん、まあっ!
「気になっている人は、い、いるかな……」
 と結果、弦太先輩と同じように歯切れ悪く言うと、弦太先輩は少し驚きながら、
「えっ、いるの?」
 私は何だか戸惑いながら、
「い、いたら、おかしいですか、ね……」
「いやおかしくないけども、まあ普通じゃん別に」
「そりゃいます、いますもん、中学生ですもん」
「……そっか、あぁ、そっか、そっか」
 弦太先輩の近かった顔はふと遠くなった。
 何だかつまらなそうにしているような顔に感じるんだけども、何でだろう。
 それにあの興味無さそうな返事っぷりが少し悲しいかな。
 もっと私に興味を持ってほしいのに、とか、思っていたら、
「そいつ、どんなヤツなんだよ」
 えっ、興味あるんですかぁっ? というかもうそれ告白のフリですかねっ! もう告白しちゃっていいんですかね! いやいやいや、どうしよう! どうにでもなれ! いや! 慎重に! 真剣に! とにかく! まず意識してもらうためのアピール! 意識してもらうために!
「男らしくてカッコイイ人です!」
 と少し大きめの声でハッキリ、弦太先輩のことを見ながら言うと、弦太先輩は何だか不機嫌そうになりながら、
「まあだいたい男って、男らしくてカッコイイところあるからな」
 と言い放った。
 いやまあ確かに、と思いながら私は
「ま、まあ、男ですからね、まあ確かにそうかもしれないですけどもっ。でもそれだけじゃなくて、困っていると助けてくれて優しいんです」
 今度は思い切って弦太先輩の目をじっと見ながらそう言うと、
「そりゃ大体の人は困ってれば助けてくれるだろう、絶対数で言えば助けてくれる人のほうが多いだろう」
 ……何か、全然、響いていないどころか、何か雰囲気が悪くなっているような……私は額に汗をかきながらも、しっかりまだ弦太先輩を見ながら、
「そういうもんですかね……あと、見た目がカッコ良かったり、なんて、なんて」
「えっ、イダテンって見た目で人のこと判断するの? 何か、意外だな……」
 いやちょっとヒかれたじゃん! というかさっきから否定ばっかりだし! 何だこれ! 全然弦太先輩らしくない! 何でも肯定してくれるいつもと全然違う! これが知らない一面というヤツか! 恋愛に関しては何でも否定するほうということっ? いや何か違うか! でも何が違うかイマイチ分からないなぁ! どうしよう! 全然気付いてくれそうにないし、一旦引くか、まあもうヒかれたしなぁっ!
「他に、その男の、何か、好きなところあるのか?」
 いやグイグイ聞いてくるな! この興味津々の波に乗りたい! 乗りまくりたい! 私自身に興味を持ってくれている時ってそんな無いだろうから。
 私は答える。
「怒ってくれる時は怒ってくれて」
「でもあんまり怒りすぎるヤツは怖くて嫌だよな」
 矢継ぎ早に否定がくる……最速で否定がやってくる……どういうことだろう、何だか気分が悪くなってきたな、私のことを否定して遊んでいるのかな、何か違う、いつもの弦太先輩じゃない、何だろう、この一面、知りたくなかったな、やっぱり知らなくていい一面というものもあるんだなぁ、もういいや。
「あとはその男子のどこが好きなんだよ」
「無いです!」
 ……つい大声で怒鳴ってしまった、弦太先輩に嫌われていないだろうか、いやでも、もう嫌われてもいいのかな、あんな否定ばかりする人ならば別に、もう。
 何か手前側の机の端をじっと見ちゃうな、だんだん俯いてきちゃうな、悲しいな、そうそう、一気に頭をグンと下げるように……えっ。
 ……弦太先輩に頭をポンポンされた……。
「ゴメン、何か否定的なことばっか言っちゃって。それがイダテンの好きな人だもんな、ホントゴメン」
 それが、というか、これが、ですけどね、これが、というか、貴方が、ですけどもね。
 いやでも誤魔化されているようで、やっぱり聞きたいな。
「何で今、そんな否定ばっかりしたんですか?」
 即否定返しをしていた頃には考えられないほどの沈黙、もう寝たんじゃないの、というくらい静かな間、考えることなんてないだろうに、その理由をすぐ言えばいいだけなのに。
 そして、そしてだ、返ってきた理由が驚きの理由だった。
「多分そいつがイダテンの本性を知ったら幻滅するだろうからフラれるだろ。だからフラれる前に諦めさせてやろうと思ったんだ」
 何だそりゃ! 整合性もクソもない! こりゃいつものバカ天然の弦太先輩だわ! というかバカ天然すぎ! これはめちゃくちゃ腹立ってきた!
「私の本性って何! というか何でずっとそいつの否定してたのに、最後は私への否定なの!」
 私は怒りに任せて、弦太先輩のほうへ身を乗り出して叫んだ。
 今、弦太先輩と私の顔はすごく近い、でも今はそんな近さなんて気にならない。
 その私の勢いに押されて、むしろ弦太先輩のほうが少し顔を離しつつ、こう言った。
「フラれて傷がつかないように、教えてやっただけだ」
「何でフラれることが前提なのっ! 分かんないじゃん! 今から告白してやろうか!」
「いやいやいや! 絶対やめたほうがいい! 告白なんて絶対しないほうがいい!」
「何で止めるのっ! 弦太先輩って私のパパなのっ? 違うでしょ! 止める理由なんてないでしょ! 絶対止める理由なんてないでしょ!」
 私はガンガン圧をかけるようにまくしたてる。
 弦太先輩は完全に困ってしまっているようで、狼狽えていた。
 そして、弦太先輩はこう言った。
「いやいや、イダテンの魅力はそう簡単には伝わらないから、フラれるぞ……ってことで」
 ……えっ、魅力、私に魅力なんてあるの? 弦太先輩には私に何か魅力があることが分かっているの?
 何それ、知りたい、弦太先輩が私に感じている魅力を教えてほしい。
 その一面だったら知りたい、一面って結局私のってことだけども、自分のことは自分で分からないから、弦太先輩から私の魅力的な一面を知りたい。
 ここは強気に、今のテンションで聞こう!
「何! 私の魅力って何っ? 私に魅力があるなら教えてよっ!」
 胸の高鳴りが止まらない、私の魅力って何だろう、弦太先輩が私に対して意識しているところ、私に可愛いところがあるのかな、どうなんだろう、どう答えが返ってくるんだろう。
 弦太先輩は口を開いた。
「……緊張しやすくてダメなところ」
 ……ぁ、
「魅力じゃないじゃん! というかそれ本性のほう! 本性のほうでしょ! もう!」
 期待して待って損したわ! ただただ事実のダメなところだった! 直したいところだった! もう! 何なんの弦太先輩って! オマエの魅力は天然でダメなところだからなぁっ!
「まあ一応、そいつのことだけを考えて作ればいいじゃん」
 まあ一応って何だよ! オマエのことだけ考えて作ってみるわ!
 ……結局、たいしたアドバイスは無かったけども、この怒っている気持ちに身を任せて、恥ずかしさを吹き飛ばしながらリリックを作っていった。
 まあ怒っている気持ちになれたのは、弦太先輩がいたからだから、まあギリギリ弦太先輩のおかげかな、いやその判定は甘すぎるか。
 私の完成したリリックを見た弦太先輩は何故か少しアンニョイ感じでこう言った。
「そんなに思われるヤツは幸せだな」
 オマエだよ! ……って、ガチで今言いそうになったわ!
「すごく良い歌詞だな、これは絶対に届くなぁ」
 いや届いてねぇじゃん、オマエだよ……って、またガチで今言いそうになったわ! 何なんだよ! やっぱり告白してやろうか! クソ! いや今のテンションは危険だ!
 ――こんな私のテンションとは正反対に、弦太先輩がポツリと呟いた。
「届くな……」
 最後のそれは、まるで届いて欲しくないみたいなイントネーションで発せられた”届くな”だった。
 届けたいということが趣旨の曲なのに、届かないでほしいって一体どういうことなんだろうか。
 私が振られて不幸になっているところを見たいのか、実は私の気持ちに気付いていて暗に断っているのか、ただの聞き間違えか、いくら考えても分からなかった。

『届け』

 《三人》
 それぞれ十人十色の好きなこと、好きなモノ、好きな人
 自分の何かと置き換えて聞いてほしい 時間のかかる、このラブレター

《銀狼王子》
僕の好きなこと、それはラップすること 鼓動高鳴る怒涛、楽しいを保証
言葉と言葉を繋ぐ魔法だ 多様化する世界にある魔境さ
気分は勇者、冒険する流派 急なバトルも楽々と言うさ
本当は足がガクガク、いろいろ画策 サクサクなんていかない脇役
つまり勇者でもなく、爪先で背伸ばす まだまだ未熟な絵を描く
でもいつかなるんだ、日本語ラップスター あえて言い切る、それはすぐだぁ
ラップを探求、安住無く緩急 努力を反芻、でもまだまだ乱文
三分も持たない体力だけども ダメ元だろうが、掴み続けるマイク

* 《三人》
  届け、届け、届け、届け、届け、届け 届け、届け、届け、届け! 轟け! 心へ!
  好きなこと、好きなモノ、好きな人 届けこの思い、叫ぶことに悔いないよっ
  届け、届け、届け、届け、届け、届け 届け、届け、届け、届け! 轟け! 心へ!
  好きなこと、好きなモノ、好きな人 さぁ始めよう、好きの打ち合いを

《黒牙》
俺の好きなモノ、それはこの部活動 そのためにはフルで使う脳
舌先だけじゃない、脳内スキル 使い続けなければ、後悔・悔いる
絶対出したくない、悔し涙 だから今日も仲間たちと掴み合いだ
馴れ合わずする切磋琢磨 仲間よりも上の結果出すが
何よりも仲間への尊敬だ 歩み続ける俺は挑戦者
この場所が無ければ今の俺は無い 攻撃し続けること、これが愛
攻めの姿勢を崩さない、すぐ来る課題 すぐさま打開、鬱なら破壊
夕方は無い、常に上り続ける太陽 負は退場、雨なんて降らないぞ

* 《三人》 繰り返し

《イダテン》
私の好きな人、それはとても素敵な人 届けたい、真心込めた本当の愛を
態度変えたいくらい大好きで でも今はバレないようにと、細工して
内部見てよね、私の心 いや可愛くしている、この外も
音も何でも全部見て聞いて たくさん押してよ、私に「いいね」
君で無ければ意味無くて 握って欲しくて、ここにある手
待つね、でも待たせすぎないでよ すぐ気付くのも愛でしょ
相手を間違えるのは絶対ダメで 私にこれからの一生をかけて
あえて、どうとかは私のすること 君は私だけ見て、繋がる鼓動

* 《三人》 繰り返し


・【隠していること】

 先輩方は最近何かを隠している。そして何やらザキケンがとても嫌がっている。
 『だから顧問は嫌だったんだよ』と言っている。
 いやあんだけ私で遊んでおいて、何が今さら、とか、思う。
 でも確かにザキケンの立場からしたら大変だろうな、という話だった。
 そして私たちにとっては、胸が躍りまくるような、踊りすぎて過呼吸になって死んでしまうような、というかもう想像しただけで死んでしまうくらい嬉しい話だった。
「面倒だがクソしょうがねぇ、部費を俺が使い込むのバレたらヤバイんで、夏に日本語ラップ部の合宿を行ないます、って、言えばいいんだろ、言えば」
 ……! 無駄な台詞こそ多いものの日本語ラップ部で合宿! 嘘! 楽しみすぎる! 想像しただけで心臓が球技大会のボールのように弾みまくる! 下手な球技大会のボールのように、あちこちで不規則に弾みまくる! 何が起こるか分からないドキドキ! というか本当に一体何をするんだろう!
「まあテメェらは遊びが足りない連中だからな、海行って遊んでリリック作れ、俺の友人が民宿をやっているからな、そこで一泊二日の合宿を行う。まああれだな、俺の友人の民宿を使うことにより、俺も自由に酒飲んだり出来るってことだな、金をキックバックしてもいいし」
 ……! 心の声こそダダ漏れだけども海で遊ぶ一泊二日! どうしよう! 何を着ていけばいいのかな! というか水着どうしよう! 買いに行かなきゃ! 綾菜はどんな表情をしているだろうか……唇が震えるほどニヤけている! 手がかじかんだ状態で線を引いた時みたいに、唇がぐにゃぐにゃになっている!
 実際は全然凍えた気持ちじゃないだろうに、きっと大汗をかくくらい熱いだろうに。
「あー、海に行ったら美人の姉ちゃん捕まえて遊びてぇ」
 ……! もはや欲望だけ述べたものの私も楽しみな気持ちは一緒だ! 先輩方のリアクションはどうだろうか! あっ! 正式な決定が出て嬉しそうだ!
 弦太先輩は頭を大きく振り回すほどの熱血で大きなガッツポーズ、シルバ先輩は自分の拳のほうを見るような普通のガッツポーズ、太人先輩は目線をそのまま真っすぐ前で、机の下で控えめのガッツポーズ。
「っしゃぁぁああああああああ!」
 綾菜は声だけのガッツポーズを急に出したなぁ。
 それから時間の進みは妙に早く感じて、あっという間に合宿までは二週間。
 いやまだ二週間ある? いや、もう二週間しかない?
 二週間って微妙だな、近いような遠いような、でも実際買い物に出掛けられる休日は四日しかない、いや四日あればいいのか。
 未だに近いような遠いような弦太先輩との距離を詰められるのだろうか、好きを届けたいという曲を作ってから以降、私が変に意識しちゃうのか、弦太先輩が物理的に近くにいすぎると、逃げてしまうことがよくあって、それに気付いた弦太先輩が『逃げるなよ、息でもクサかったか?』みたいなことを言わせてしまうことがよくあって。
 全然息はクサくないんですけどね、弦太先輩の息を感じる距離で生きていきたいんですけどもね。
 でもやっぱり意識しちゃうなぁ、何だか段々弦太先輩との距離が離れていっているような。
 当たり前だ、だって私が逃げちゃうんだもん、いつか弦太先輩からも逃げられちゃう、現に何だか逃げられているような気もする、近すぎて避けるって弦太先輩のほうは、最初の頃は無かったのに、最近は弦太先輩も避けてしまうことがあって、何だろう、徐々に嫌われていっているのかな、バレないように徐々に嫌われていっているのかな、でも嫌いな人と合宿行きたいわけないから、まだ嫌いではないはず、でも実はみんな綾菜のことが好きで、私は邪魔者だと思われていたり、そんなことないよね、大丈夫だよね、でも何だか不安だなぁ、緊張してきた、また私の緊張が出てきた、まだ二週間もあるのに。
 なんて、二週間という距離はとてもとても近かった。
 それくらい私と弦太先輩の距離が近ければいいのに。
 もう当日。
 早朝六時集合、そして点呼をそこそこにすぐに車へ乗り込む。
 ザキケンが運転する六人乗りの車。
「何か懐かしいな、車小せぇけど」
 ザキケンがポツリと呟いた。
 きっとバンド時代の移動の話なんだろう。
 ただ呟いただけなので、それにいちいち反応するのも違うかなと思ったけども、少し笑っていたので、
「バンドの頃でも思い出したんですか」
 と私が聞くと、
「最低な時代だ」
 と言って、笑ったので、何だか良かった。
 運転手がザキケンで、その隣の助手席に太人先輩が座り、その後ろの座席に弦太先輩とシルバ先輩、そして一番後ろに私と綾菜。進み始めて早々、綾菜がどうでもいい質問をした。
「お菓子どれくらいこぼしていいですかぁっ」
 それにザキケンが答える。
「俺は意外と適当だから、いくらこぼしてもいいぞ」
 綾菜は嬉しそうに、
「じゃあ座席にチョコ塗ってもいいですかねぇ」
 するとザキケンはちょっとムッとした声になりながら、
「意図的なことは許容しないぞ」
 当たり前だ、いくらこぼしてもいいなんて嘘みたいな返答に、アホみたいな質問を返すな。座席にチョコを塗るってなんだ、香水のつもりか、食いしん坊な香水だ。
 ザキケンは何気なく言う。
「海で姉ちゃん捕まえるから帰りの日は、俺車運転しないから。でも大丈夫、俺の友人のタツキって民宿のヤツが運転してオマエらを帰すから」
 前も思ったけども、中学生に対して”姉ちゃん捕まえる”とか言うな。何でオマエの生々しい一面を聞かないといけないんだよ。でも綾菜は別のことを思ったらしい。
「やっぱタツキくんのとこ行くんだぁ、あんまり人いないとこじゃぁん」
 結局ザキケンの友人は、綾菜のパパの友人でもあるらしい。この言い分から察するに綾菜には土地勘があるみたいなので、何か少し安心した。
 ザキケンは何か唸りながら言う。
「ん~、まあ穴場ってヤツだな、そこで姉ちゃんを捕まえてしまうわけだよ」
 だから言うな。結局オマエが一番遊ぼうとしているじゃねぇか。
 ザキケンが部費を使い込んでいるみたいなイメージじゃねぇか。
 移動中は割と静かに、太人先輩が選んだ曲を聞きながら目的地に着いた。
 意外と、なんて言うと失礼だけども、柱が腐りかけているような民宿ではなく、一年くらい前にリフォームしたくらいの、まだ輝いているような民宿で、ここで一泊二日は十分贅沢だなぁ、と思った。
 玄関でタツキさんと、タツキさんの奥さんが出迎えてくれた。
 何か困ったことがあればすぐ言ってほしいと、二人とも柔らかい物腰で微笑んだ。
 まさに似たもの夫婦といった具合で、身長も背格好も似ていた。
 タツキさんが女性寄りなので、昔バンドをしていたようには感じられなかった。
 まあバンドにもいろいろあるから、そんな激しめじゃなかったのかもしれないけど、でもザキケンとバンドを組んでいた可能性もあるので、やっぱり攻撃的イメージが沸きやすい。
 そしてそのイメージはやっぱり合っていたみたいで、ザキケンがタツキさんと会話する。
「タツキ、オマエはホントに丸くなったな、昔は尖りまくってたのによぉ」
「先生をやっているザキケンが丸くなっていないほうがおかしいけどもね」
「先生なんてもんは毎日がクソガキとバトルさ」
「きっとザキケンがクソガキだから、生徒がクソガキに見えるだけだと思うよ」
「前言撤回、タツキは全然丸くなってねぇなぁ?」
 一発触発になりかけている大人二人は置いといて、と、いった感じに、タツキさんの奥さんから部屋の説明を受ける私たち。
 なんとなく覚えたところで、それぞれの部屋で水着に着替えることに。
 立地としては、民宿から直で海に行けるような造りになっていて、便利そうだ。
 水着は綾菜と一緒に買いに行った新品の水着。
 流行りを取り入れた可愛い水着を買ってきた。
 見たらどう思ってくれるのだろうか、可愛いってハッキリ言ってくれるかな、言われたら恥ずかしいな、恥ずかしいから嬉しいな、何だろう、この感情、そしてその感情を起きることをすごく望んでしまっている。
 またいつものように緊張をしてきたが、私の魅力である緊張をしてきたが、ちゃんと着替えてしまえばあとは待つだけのことなので、それ以上の緊張は無い。
 無いはずなのに、今までの緊張をはるかにしのぐ緊張、そのあとにラップとか無くて良かった。
 それともいっそあったほうがラップのことを考えられて楽になれたかな、あぁ、可愛いって言われたいなぁ、少しでも私のことを考えてほしいな。
 ゆっくり着替え終えて、窓から浜辺のほうを見ると、もう先輩方は浜辺にいて、パラソルを立てていた。
 遠目からでも弦太先輩は輝いていた。太陽の光が水面に反射して、その反射した光で先輩方を照らして。
 それをボーッと見ていると、綾菜が
「そろそろ行こうぜぇ、眺めている時間がもったいないだろぉ」
 と私の腕を掴んで、走り出した。
 綾菜の顔を見ると、綾菜もいつもの飄々とした表情とは違い、顔はこわばって緊張しているようだった。
 それを誤魔化すかのように、走って、走って、走って。
 意味無く走ったから顔が赤いんですよと言わんばかりの感じで先輩方の前にやって来た。
 やって来たと同時にシルバ先輩が情熱的に
「すごく可愛いね! 二人ともこれ以上ないくらいに似合っているよ! 花と呼ぶには輝きが足りない、宝石と呼ぶには瑞々しさが足りない、君たちは最高の後輩だよっ! こんなに可愛い後輩の前ではカッコつけたくなるなぁ」
 と、歯を食いしばっていないと緩みすぎて顔が気持ち悪くなってしまうくらいに褒めてくれた。
 さらに普段あまり人に興味が無い感じの太人先輩も
「まあいいんじゃない、可愛いと思うよ」
 とぶっきらぼうに吐き捨てるように褒めてくれた。
 でも肝心の、私の肝心の弦太先輩は何も反応してくれない。
 そればかりか、そのくだりはもう終わりましたので、そろそろ遊びますか、という感じに、浮き輪を手にしだした。
 私はちょっとムッと怒りが湧き出てきて、その勢いでハッキリ聞いてみた。
「弦太先輩、どうですかっ?」
 ハッキリ聞いたことに対して、シルバ先輩はオネェのように『まぁ』と頬に手を当て恥じらい、太人先輩は少し噴き出して笑い、綾菜は『よく言った!』というような笑顔を浮かべた。
 その様々なリアクションに気付かないほど、顔を赤くした弦太先輩。
 ちょっとの沈黙。
 そして、
「すごく、可愛い、よ」
 とオマエが可愛すぎるだろというような感じに照れながら褒めてくれた。
 無理やり言わせた形にこそなったものの、私はすごく満足している。
 そして遊ぶ、遊ぶ、遊ぶ。
 あれ、何で海で遊んでいるんだろう、まるで幸せみたいじゃないか。
 一番好きな友人と、憧れの先輩方と一緒に海でハシャイでいる。
 太陽の下が嫌いだった。
 小学生時代は陸上クラブで、最初は楽しかったけども、段々人間関係がうまくいかなくなってきて。
 妬まれて、無視されて、そのくせ先生は変に私に期待をして、先生に気に入られているとか言われて、先生からは人一倍厳しく言われて、走れば走るほど味方がいなくなって、でも走っている時だけは誰からも文句を言われなくて。
 だから誰とも話さず、ただただ走っていた。
 そして、いつの間にか辞めると言えないほどの期待を背負わされていた。
 緊張しいになってきたのも、この頃からだった。
 中学生になるタイミングが辞めるタイミングだと思っていた。
 私の苦労を知ってくれていた綾菜と一緒に、ダラダラ帰宅部を楽しもうと思っていた。
 そんな私は出会ってしまった、日本語ラップ部と。
 やっぱり私は弦太先輩にディスられていた。
 『なよなよすんな、過去過去引きずんな 大切なのは今だろう! ふ抜けんな、すぐ寝んな、うつ連打じゃねぇ 自分の心、崩れんな!』
 でも陸上部に入る気は出なかったなぁ。
 教えてくれた部活に入りたかった、だから入った。
 弦太先輩は私に教えてくれて、いつもいつも、教えてくれていて、このドキドキの向こう側も教えてくれると、嬉しいな、なんて、なんてね。
 私が少し昔のことを考えて、妙に暗い顔をしていたのかな、弦太先輩が私の顔を見て、
「楽しもうぜ」
 と満面の笑顔で私の腕を引っ張った。
 意味なんて、無いよね、腕を引っ張ることに、意味なんて無いよね、さっき綾菜だって私の腕を引っ張ったし、腕を引っ張るって別に普通だよね、普通じゃない、尋常じゃない胸の高鳴りを感じつつ、私は引っ張られるままに走った。
 本当は私はもっと早く走れるんだけどね、多分足を怪我した弦太先輩よりも足は速いんだけどもね、でも一緒が良い、同じ足並みで走っていきたい、出来れば明日も明後日も未来も、ずっと同じ足並みで走っていきたい。
 ずっと隣にいたいな。
 浅いところで浮き輪に乗ったり、水を掛け合ったりして、はしゃいでいると、太人先輩が早々と切り上げ、
「十分堪能した」
 と言って、パラソルの中へ戻っていった。
 そこへついていく綾菜、すると何かを思いついたようなシルバ先輩がこう言った。
「僕は一人で砂の城を作りたいから、二人で岩場とか遊びに行くといいよ」
 いやいやシルバ先輩! 気を回しすぎですって! 逆に怪しくないですか、もう! 私の気持ちがバレバレだからって、そんなことされまくったら弦太先輩にもバレちゃう! いっそのことバレてやろうか! いやいやいや! 今はまだアピールの段階で! でもまあ嬉しいですけどね! 弦太先輩と二人きりで散歩でも出来れば嬉しいですけどもね!
 でも弦太先輩は別に嬉しいわけではないみたいだ。
「シルバ、砂の城手伝うよ」
 と、弦太先輩は一度もこっちのほうを見ないでそう言った。
 全然意識されていない! 何で何で! 腕を引っ張るってやっぱり普通なんですね! ちょっとイケるのかなとか思った、こっちが、バカみたいじゃないですか! 私のリアクション見て決めてもいいのに! いや変に見られても恥ずかしいけども! じろじろ見られて『イダテンが喜んでいるようだし、二人きりで歩く』と言われたらもう、恥ずかしすぎて、何らかの蒸気がいたるところから出ちゃうだろうけども! でもシルバ先輩も負けずにこう言った。
「一人で芸術を極めたいから」
 理由はよく分からないけども、頑張れシルバ先輩! 砂の城部の人じゃないんだから芸術なんて極めなくていいと思うけども、とにかく頑張れ!
 『手伝う』『芸術を極めたい』の攻防がまあまああって、根負けした弦太先輩が何度か咳をしてから
「じゃあイダテン、オレと二人きりで散歩してもいいか」
 と言ってくれたので、すぐにOKを出した。
 というか咳大丈夫ですか、風邪引かないでくださいね、このタイミングで、すぐ民宿戻って、二人きりで看病みたいなのは、まあアリですけどもねっ!
 いや看病はきっと、タツキさんの奥さんがするだろうから、やっぱり散歩でお願いします!
 とか、歩き出す前は、主に私の心の中がハイテンションだったけども、思った通り、散歩を始めると、なんとなく沈黙しがちになる。
 弦太先輩は今、何を考えているんだろう。
 つまんないかもしれないな、でもどういう話題がいいのか、海とかよく行くんですか、とか、聞こうかな、いや行かないだろうな、だってそんなに日に焼けていないもん、スポーツもあんまり出来ないんだろうな、私のことどう思っているのかな、動けるのにあんまり動かないと思っているのかな。
 いやそんな方向性の思っていることなんてどうでもいい、女性として私のことどう思っているのかな、可愛いのは水着だけ? 私自身のことも可愛いと思ってくれていると嬉しいな、意識していないから簡単に腕とか引っ張れるのかな、どうでもいいからどうでもいい対応出来ちゃうのかな。
 シルバ先輩から散歩に行ったらと言われた時も、一度もこっちのほう見なかったし、全然私のことなんてどうでもいいのかもしれないな、何だか悲しいな、一方的な可能性がすごく高い、こんなに想っているのに一切届いてないって悲しいな。
 どうしたら弦太先輩にこの気持ちが届くの? もっと大胆にいったほうがいいのかな、でも大胆な女性って嫌かな、ヒかれちゃうかもしれない、それだけは避けたい、今の感じはそのままに、どんどん惹かれあうみたいな、そんなの無理か、うん、無理だ、やっぱりどこかでバランスを崩さないといけない、何かをするにはどこかでバランスを崩して、いってしまわないといけない。
 この幸せなバランスを崩してまで弦太先輩と付き合いたいのか、そもそも付き合ったら何するの? 何か今以上にすることがあるの? 別に無いでしょ、それともあるの? 難しくて分かんないや、難しくて分かんないのに、何でこんなに、何でこんなに、もっと近くにいたいと思うの?
 十分近くにいるはずなのに、もっと近くにいたいと思ってしまう、物理的な距離だけじゃなくて、もっと心と心の距離が近くなりたいような、むしろ心と心が溶け込んで、一つになりたいみたいな、不思議な気持ち、そんなことを考えていると、今度は物理的な距離ももっと近くにいたくなる。
 肩と肩がぶつかるような、いやもっと、もっと近くにいたくなる、何か変なのかな私、何だか疲れているのかもしれない、十分じゃない、この距離で十分じゃない、それ以上に何を望むの、望んで何になるの。
 そもそもなれないよ、そんなこと、だって今だって話すら出来ていないのに、話が盛り上がっているのならまだしも、全然会話も無い状態で、会話が無いって不安だな、なのに安心する、一緒にいるだけですごく嬉しいな、何でだろう、会話が無いのに何で安心するの、近くにいるだけですごく心が落ち着く。
 なのに心が常に弾みすぎていてつらい、落ち着いているようでものすごく騒いでいる、両極端が常に同居していて、私が二人いるのかな、それくらいの感覚。
 私でさえ二人いるんだから、弦太先輩の心と私の心、一つになりたいなんて夢のまた夢だよね、弦太先輩は今やっぱり一人? 無な感じで、むしろゼロ人? 私に対しては何の感情も無いのかな、少しはこっちのほう見てくれてもいいのに、これなら五人でいる時のほうが私のこと見てくれているような気がする。
 いやみんなのことを平等に見ているんだろうな、でも一対一になると全く見なくなって、何それ、私のこと一番見たくないみたいな、五人の時は平等に見ていないとおかしいから見てあげているみたいな、もっと私のこと見てよ、何で見てくれないの。
 私はずっと弦太先輩のことしか見えていないよ、それが気持ち悪いのかな、嫌われているのかな、嫌だな、そんなことは信じない、私のことが実は好きで、みたいなことしか信じない、それでいいよね、私のこと一切見ないんだからそれでいいよね、見てくれないならこっちで考えるだけだから、嫌だよ、そんな一方的なの嫌だよ、見てよ、お願いだから見てよ、振り向いて……えっ?
 振り向いた弦太先輩はこう言った。
「ちょっと海の家で休もうか」
 何だ、興味があるのは海の家のほうか。
 海の家の席に座るまでは『何があるかな』程度話せていたけども、席に座るとまた無言になって。
 どうしよう、どうすればいいんだろう、こんな時は今までどうしていたっけ、そう言えばいつも先輩方が助けてくれていたような、というか、うん、主にシルバ先輩がいろんな話題を提供していてくれていたような気がする。
 そう考えると、シルバ先輩ってすごいな、話題豊富で、常にみんなのことを気にかけて、今の弦太先輩とはえらい違いだ、相も変わらず、対面する席の座り方しても、全然私のほうを見てくれない、やっぱり嫌いなのかな、弦太先輩の口が開いたと思えば、
「ゴメン、ちょっとお手洗いに行ってくるわ。財布とか見てて」
 だってさ! 何なんだよ! 財布見る係に任命されただけだよ! 全うしてやるわ!
 とか思っていたら、どうやら全うしづらい状況になってきた。
 何故なら、何だかチャラそうな男三人に今、絡まれ始めているからだ。
「さっきの彼氏? でも盛り上がってないじゃん、うちらと一緒に遊ぼうぜ」
 最初は何だ私、魅力あるんじゃんとか思って、一瞬嬉しかったけども、徐々にその三人が強引になってきた。
 そして腕を掴まれた時、急に声が出なくなった。
 いつも日本語ラップ部でそれなりに大声出しているので、本当に危険になったら叫ぼうと思っていたのに、いざそうなってきたら声が出なくなったのだ。
 また緊張している、いや怖がっているのかな、緊張して怖がっているんだろうな、どうしよう、お店の人も今こっち側にいないで、厨房のほうへ行っている。
 嫌な予感、じっとりと額に汗が吹き出す。
 ついにはそのチャラい男三人に腕を引っ張られ、海の家の外に連れ出された。
「黙ってついてきてくれてノリいいじゃん、君ぃ」
 そんなつもりじゃないのに、足も硬くなって動けない。
 走ればきっと私のほうが速いくらいなのに、何も出来ない。
 怖い、怖い、怖い、頭がどんどん固く動かなくなっていく感覚、思考が停止していく。
 頭の中は脳じゃなくて、大きな岩が一個入っているだけで、岩は岩なだけなので何も動かない。
 もうダメだ、どんどん海の家を離れていって、弦太先輩と離れていって、と、その時。
「おい!」
 地響きするほどの大きな声、チャラい男三人が振り向くとそのうちの一人が顔を殴られて、その場に倒れた。
 さらにまたチャラい男が一人、背負い投げをされ、さらにその投げられた人をもう一人のチャラい男に投げつけ、一気に三人倒した。
 よろけながらもなんとか立ち上がるチャラい男三人。
 その三人に向かって、
「オレの後輩に手を出すな!」
 と鬼神のような睨みをきかせると、チャラい男たちは走って逃げ出した。
 弦太先輩が助けてくれた。
 今の震えはどっち、怖かった続きなのか、嬉しくて震えているのか、でもそんなことよりもまず私は今したいことをした。
 私は弦太先輩に抱きついていた。
 そんな私を弦太先輩はぎゅっと抱き締めながら、
「大丈夫か、怪我していないか」
 喋れない。
「急にいなくなって、心配したぞ」
 喋れない。
「海の家を急いで出たら、遠くを歩ているところを見かけて驚いたぞ」
 何も喋れない。
「変な男たちに囲まれていて、近づいて見たら、いつもと全然違う様子で」
 喋れないよ。
「オレのこと見えるか」
 見えないよ。
 涙で何も見えないよ。
 涙で何も喋れないよ。
 震えてどうしようもないよ。
「ゴメン、オレの勝手で」
 何が。
 えっ。
 弦太先輩は、一瞬私から体を離すと、私の唇の震えを止めるように、キスをした。



 二人で浜辺を歩いた。
 手を繋いで。
 二人で岩場に座った。
 肩と肩を寄せ合って。
 少し日が傾き始めた。
 そろそろ戻らないといけない時間だ。
 不意に弦太先輩は言った。
「好きだ、付き合ってほしい」
 この時、やっぱりさっきキスをされたんだという実感が沸いてきた。
 なんとなく言われるかもしれないと思っていたのに、改めて緊張してきて、ダメだ私。
 何で? いつから? 弦太先輩は私のことがいつから好きだったの?
 でもそっか、そりゃそうか、シルバ先輩が弦太先輩の気持ちを考えずに、私にだけ気を回すはずがないもんね、シルバ先輩には両片想いだってことがだいぶ前に分かっていたんだろうな。
 それでも何が、何がどう、本当に何がどうって話なんだけども、緊張してしまう、だって私の心はもう決まっているのに、緊張することなんてないのに、緊張するクセがついちゃっているみたいで、ダメだな私、でもどうやら緊張することはダメじゃないみたいで、
「緊張するのがイダテンの魅力だよな」
 そんな、バカみたいなこと言わないでよ、嫌いになるよ、ならないけども。
「いろんなことを一生懸命考えるから緊張するんだ」
 そ、そうなのかな。
「オレのことも一生懸命考えてくれていて嬉しい」
 そういうことなのかな、緊張って、そう捉えてくれるなんて、すごく嬉しい。
 やっぱり優しいな、弦太先輩、ずっと一緒にいたいなぁ。
「そんなに急がなくてもいいから答えを決めてほしい」
 いやでもやっぱりすぐに言いたい、だって、だって、だって、絶対
「絶対私のほうが好きだから!」
 急な大声に驚いた様子の弦太先輩、でもすぐ優しく微笑んで、おでことおでこを合わせて、
「いやオレのほうが好きだからな」
 と言ってくれた。
 いやいや私のほうが好きなんだけどもなぁ、そこは分かってくれていないようです。
 帰り道、自動販売機があって、ちょっとジュースを買おうかという話になった時、二人とも財布が無いことに気付いた。
 海の家に置きっぱなしだった。
 海の家に寄ると、この世の終わりのような暗い顔のザキケンが、座って焼きそばを食べていた。
 こんな良い気分の時に、こんなもん見たくなかったなぁ、と思いつつ、話を聞くと、
「オマエら財布置いてどっか行っただろ。サービスエリアで見たからオマエらの財布だと分かって、俺が預かっておいた。ちゃんと、この財布置いていったのはこういう二人組だったでしょみたいな話をしてな」
 結構ちゃんと見てるじゃんと思いつつ、一応お金を確認すると、少しお金が減っていることに気付く。
 弦太先輩が『ザキケンが預かる前に、誰かに少し使われてしまっていた』と報告すると、
「俺がオマエらの金で焼きそば食ってんだよ」
 という、とんでもない返答がきた。さらに、
「姉ちゃんにおごりまくって逃げられて最悪だよ、焼きそばくらい食わせろよ」
 どんな先生だよ! いややっぱり先生ではない! 部費より使い込んじゃいけないもん使い込んでやがる!
 弦太先輩も呆れながら、こう言った。
「食わせろよ、って、全部ザキケンのせいじゃん」
 するとザキケンは溜息をついてからこう言った。
「うまくいった時は幸せをわけるもんだぜ」
 弦太先輩こそ溜息をついてから、
「いやザキケンうまくいってないじゃん」
 と言うと、ザキケンは鼻で笑ってから、
「そうじゃねぇだろ、うまくいったんだろ、オマエらは」
 とサラリと言い、顔を真っ赤にする私と弦太先輩。
 何で分かるんだよ! めちゃくちゃ生徒のこと見ていて先生の鑑だな、おい!
 弦太先輩が『顔が赤いのは夕日のせい』みたいな、ベタな言い訳をしていると、ザキケンが、
「暗くなる前に行くぞ」
 こっちは焼きそば食ってるザキケンを待ってたんだよ、と、思いつつ、綾菜とシルバ先輩と太人先輩がいるところへ戻ると、思いのほか大きい、シルバ先輩の芸術的な砂の城があった。
 それを見たザキケンが、
「チャペルつくっとけよ、バカシルバ」
 と言った時点でだいぶ、えずきたくなるくらい、つら恥ずかしいのに、
「いよいよ挙式ですねぇ」
 とシルバ先輩がそれに乗っかるから、完全にえずいた。
 民宿ではタツキさんがギターで盛り上げる宴会に。
 ザキケンは憂さ晴らしのキーボード。
 そっと、弦太先輩と二人で抜け出して、話をした。
 私は思い切って、
「いつから好きでした?」
 と聞くと、弦太先輩は頭をかきながら、
「どうだろうな、いつの間にか好きだったな、部活の終わり際、帰るあたりでいつも寂しくなって、また明日を望むんだ」
「明日を望むっていいですね、私もこんなに明日を望むとは思わなかったです」
「こんな明るい日々が来るなんて、昔のオレには想像つかなかっただろうな」
「私もそうですよ」
「これから一緒に明日を歩いていこうぜ」
 どうなるか分からない、見えない明日でも、弦太先輩とだったら、きっと平気だ。
 日本語ラップ部で繋がれた愛。
 韻と韻を繋いでいったら、弦太先輩と繋がった。
 さらに韻を繰り返していくと、今度は何と繋がるのだろうか。
 いろんな人と繋がって、いろんな心と繋がって、大きな大きな輪が作れるといいな。
 その中心に、ずっと私と弦太先輩がいられれば、これほど幸せなことは無いだろう。
 これからどうなるんだろう。
 それはまだ空白。

(了)

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