マシュマロ002 納豆

本気で踏ん張ったら、ワキノシタからカラシも醤油も出た。
歓声が上がったことは分かったけども、徐々に意識が薄れていった。
俺は記憶が断片的に出現しては消えを繰り返し、
これが走馬灯なんだと気付いた。



小さい頃の記憶は無いが、俺はワキノシタから納豆の粒を出す人間だった。
無意識に、一時間に1回、歳の数だけワキノシタから納豆の粒を出す人間。
俺が1歳や2歳の頃は、母親が出現する度、すぐに食べていたらしい。
だから父親がその事実を知った日は、3歳くらいになったある日だった。
それを知った父親は病院へ連れていこうとした、という話だ。
しかし母親は「この美味しさ、茨城独占状態」と言い切って、
俺を病院へ連れていくことは断固として反対したそうだ。
結局、父親も食べてみたら「茨城独占状態じゃん」ということになり、
病院へ連れていくことは止めて、
両親は”先に気付いたほうが食べる”という約束事になった。
あまりの美味しさに両親は、
俺のワキノシタから出る納豆の粒で喧嘩をしたこともあったらしい。
その喧嘩を経て、両親は「名古屋打ちで」という合言葉が生まれた。
『名古屋打ち』とは、
スペースインベーダーというゲームの技名らしいのだが、
その『名古屋打ち』というのは、敵が溜まってから攻撃する方法らしく、
つまりは両親の「名古屋打ちで」とは、
納豆を溜めに溜めてから交互に食べること。
だから俺の家では
当たり前のように『名古屋打ち』という言葉が往来していた。
そんな俺も物心がつき、徐々に
自分のワキノシタから納豆が出ることに違和感を抱くようになっていった。
さらに学校が始まり、その納豆を自分で処理しないといけなくなった。
そのことを親友にすら打ち明けられず、先生からは
「めちゃくちゃ早いワキガ」と言われてしまった。
ちなみに、
この先生からそういうことを言われたことは本当に傷ついたので、
のちに、大人になった時、先生の実家の酒蔵に突撃したことがある。
酒蔵の良い菌は全て納豆菌で死ぬので、枯らしてやった。
まあ大人になった時、つまり29歳の春はどうでもいいとして、
今は22歳の夏の走馬灯が再生されている。
そう、俺は、服を着ることを辞めた。
大事なところは納豆で隠すようになっていた。
ワキノシタ納豆は粘着力が豊富で、全然下に垂れることは無かった。
垂れかけたタイミングでまたワキノシタから納豆が出るので、
それをまたそこに付け直せば、もう十分だった。
俺の稼ぎは専ら地下格闘技場。
『ぬるぬる秋山よりもぬるぬる』が俺のキャッチコピーだった。
相手の攻撃をかわしまくって、相手が疲れたところで、
鼻の穴に納豆を押し込む俺は『嫌な名古屋打ち』と呼ばれていた。
何で人はそんなスペースインベーダーで例えるのかと思った日もあったが、
それがタイトーの功罪だと思って、甘んじて受け入れることにした。
そして現在、33歳の俺は、雪山で遭難している。
周りには地下格闘技場で仲良くなったウンコマン三兄弟がいる。
食料が尽きた俺たちの頼みの綱は、俺のワキノシタ納豆だった。
最初は良いペースで食べていたのだが、
ウンコマン三兄弟が「味がほしい」と言い出した。
だから俺は踏ん張った。
その結果、ワキノシタからカラシも醤油も出た。
でもその踏ん張った時に、何かが何かなったらしい。
俺は意識が遠のいて……。



気付いた時、俺は病室のベッドで寝ていた。
すぐさまナースコールを押すと、
看護師が来て、矢継ぎ早に、医者が来て、こう言った。
「雪山で遭難していたんですよ。貴方は。
 でも大丈夫、何日かリハビリすればすぐに元気になりますよ。
 あと、ワキノシタから納豆症候群は点滴で治しておきました」
あぁ、点滴で治るんだ。