ツッコミ変換法

我慢に代わる私の選択肢、それは、我慢をツッコミに変換することです。
要はお笑いに変えていき、楽しくしようということです。
例をやっていきましょう。

上司から「君は精彩を欠いている」と言われることってありますよね?
全ての表現の中で一番
”精彩を欠いている”と言われることが多いですよね?
そんな時は言い返すことを我慢して、心の中でツッコミに変換するんです。

【何だよ、精の彩りって。鮮やかな精力剤かよ

これです。
お笑いになりましたね?

でも心の中は無限大なんです。
仮に漫才なら端的にツッコミを終わらせなければテンポが悪いですが、
心の中は永遠にツッコミ続けることができます。こんな感じで。

【何だよ、精の彩りって。鮮やかな精力剤かよ。
 俺の鮮やかな精力剤は仕事が終わってから使うモノなんだよ。
 いやそもそも鮮やかな精力剤なんてないわ。
 大体精力剤は黒地に赤い文字だろ。鈍器のような色してるだろ。
 そんなことも知らないで、よく上司という生き物をしてられますね。
 内面はまだ何も知らない五歳児かよ、うんちの絵本片手に笑ってろ。
 何だよ、うんちの絵本、毎年新しいうんちの絵本出版されるじゃん。
 うんちの絵本の需要半端ないだろ。
 うんちの絵本が五歳児の精の彩りかよ、うんちの絵本が活力かよ。
 生きていく糧になるなら、仕方ないだろ。
 今日、俺、うちの子のためにうんちの絵本買っていくわ。
 上司に怒られた日の帰り道、うんちの絵本買っていくわ。
 いや何だよ、上司め、怒るなよ。
 ウキウキでうんちの絵本買わせろよ。
 クソがっ!】

というように、ウケるまでやりましょう。
誰に、って、自分ウケに決まってるだろ!
……すみません、つい心の中のギャルが叫んでしまいました。
僕は心の中にツッコミ芸人とギャルを飼っている。
次の例にいきましょう。

「でもこれ以上食べたら太るなぁ……」という時ありますよね?
そんな時も我慢ではなくて、ツッコミに変換してしまいましょう。

いや我慢じゃん! 結局我慢じゃん! 俺がしてること!
 我慢をツッコミに変換してるんじゃなくて、
 我慢した上でツッコミをしているだけじゃん!
 お笑いに変換して何が起きるんだよ! ちょっとした楽しさだけじゃん!
 でもちょっとした楽しさを得ることができればそれでいいのかっ?
 ただの我慢だけじゃなくて、ちょっとした楽しさがあればいいのかっ?
 じゃあいいとするよ! いいとしてやるよ! でもなぁっ!
 うんちの絵本というワードはあんまり綺麗じゃないからな!
 いや売ってるよっ? 書店に山ほど売ってるよっ? 入れ食いだよっ?
 でもなぁ!
 うんちというワードだけで拒否反応示す人だっているんだよ!】

そんな軟弱な文章読みならいらねぇなぁ!
 うんちというワードだけで拒否反応示すヤツは別にいいんだよ!
 こちとら人間、うんちが怖くて菓子パン食えないんだよ!
 菓子パン食った分だけ、うんちが出るんだよ!

いや菓子パン食うなよ! 太るだろ!
 太ったら良くない数値になるだろ! この世は全部数値なんだよ!
 数値を見て「数値だ」と思って数値で判断するんだよ!
 その数値が菓子パンを食べたら良くない数値になるだろ!】

【何だよ数値って! 嫌いな上司かよ! 何でも数値で判断しやがって!
 そもそも数値って言葉、すげぇ”うんち”に似てるんだよ!
 うんちは出す! 数値も出す! 一緒かよ!】

じゃぁ一緒だなぁ! 一緒なんだなぁ!】

【一緒! 一緒!】

【一緒! 一緒!】

【一緒! 一緒!】
【一緒! 一緒!】
【一緒! 一緒!】
【一緒! 一緒!】
【一緒! 一緒!】
【一緒! 一緒!】
【一緒! 一緒!】
【一緒! 一緒!】
【一緒! 一緒!】

……と言った感じに、心の中のツッコミ芸人とギャルが騒ぎましたが、
貴方はどうでしょうか?

と、
道徳の授業の終わり方をしてしまいましたが、
こうやって我慢をツッコミに変換すれば、
ちょっとだけでも楽しくなりませんか?

僕はそうやっています。
僕はそうやっています、
と言えば事実なので、もう誰も文句をつけられませんよね。