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夜が怖くて、明かりの中を彷徨っていた私を救ってくれるのは、暗闇なのかもしれない

*このお話はフィクションです。

「ねえ、お願いだから、電気、消さないで」
ずっと、夜が嫌いだった。暗闇は、私と空気の境界線を狭くするから、心が、きゅっ、と苦しくなる。いっそ、無音になればいいのに、静けさは小さな雑音を目立たせて、小さくなった私を追い込んでくる。やめて、と叫ぼうとするのに、何も見えない。見たいものも、逃げるべきものも、何も。だから、夜が嫌いだった。だから、いつも、電気をつけて眠る。蛍光灯の無機質な光が、私を朝まで、繋ぎ止めてくれるから。
そして、この不安は、二人の夜でも同じように襲ってくる。一人の夜より、怖いのかもしれない。好きな人の、顔も、呼吸も、体温も、暗闇の中に、遠ざかっていくような気がして。リズムの違う心臓の音や、呼吸の間、寝返りで体温が離れる感覚。私のなかの孤独を、大きくしていく。
でも、不安な感情も、明かりのついた夜も、私たちを幸せにしてくれるはずもなく、さようならを近づける。
「ごめんね、疲れちゃった」
隠すこともできずに、その時、その時の好きな人が、私に漏らす。
「朝が来たら、もう、お別れしよう」
どうして、私の感情は、こんなにも不幸なんだろう。そんな夜を繰り返すたびに、好きな人の疲れた顔を見るたびに、自分のことが嫌いになって、夜がますます、怖くなる。

「やっぱり、電気、消さないの?」
君が私の顔を覗いた。こんなにも好きな君も、いつか愛想を尽かしてしまうんだろうか。そんなのは嫌だけど、でも、やっぱり夜が怖い。
「ごめんね、つけて寝てもいい?」
ほとんど強いるように、語尾を上げる。
「ヒカリ、子供みたい」
君は、鼻の頭にしわを寄せて笑うと、私を毛布ごとぎゅっと包んだ。
「かわいい」
お願い。消えないで。さようならなんて、近づかないで。私の不安で不幸な感情に、気がつかないで。君と過ごす、初めての夜。今まで感じたことのないくらいに、いっぱいの気持ちで、そう思った。だって、こんなにも優しく、無邪気に、嫌な顔を一瞬もせずに、電気をつけたままにしてくれた人、いなかったから。


君と出会ったのは、3ヶ月前。私の働いている小さなデザイン会社に、彼が訪ねてきた。金曜日の夜8時の予約。初めての受注で時間外に受け付けるのは珍しい。それに、先輩から、私が対応するように言われていた。
「遅い時間にすみません。昼間は仕事で、どうしても来れなくて」
彼は、木で作られた文房具や陶器でできたアクセサリーや、統一感はないけれど、丁寧につくられた色々を抱えてやってきた。
「僕、プライベートで、クリエーターが集まる古いビルを運営しているんですが」
抱えてきたものは、そのクリエーターたちがつくったものだった。だから個性が違っていたんだ。
「この作品たちに合う、販促のためのロゴを考えて欲しいんです」
話を聞いていると、彼自身は美大出身でもなく、仕事はコンサルらしい。でも、ずっと好きだったアートを諦められなくて、クリエーターを応援できないか、と始めたそう。ビル自体をブランディングして、一人一人にちゃんとお金も入るようにしたい。と、いうのが彼の気持ちだった。
「戦略を考えるのは得意だけど、ロゴは描けないから。ここを紹介してもらったんだ」
彼の抱えている作品と彼の気持ちから、関わりたいな、と思った。でも、クリエーターさんが集まっているのに、どうしてここに来たんだろう。
「嬉しいお話ですけど、ここで引き受けてもいいんですか。」
上司に聞かれたら怒られそうだけれど、彼の気持ちを聞くと、なんだか確認してからでないと、申し訳ないような気がした。
「ビル全体のイメージだから、客観的に見て欲しいのと、ビジネスの視点も入れたかった。あと、ここにいる美大出身の人のデザインが合いそう、って、ビルのクリエーターさんが教えてくれたから」
「どなたですか?」
このデザイン会社には、小さいけれど、みんな素敵な仕事をする人ばかりだ。私なんて駆け出しだから、前のめりに聞いていた自分が恥ずかしい。ちょっと緊張して、必要なことだからと、聞いてみる。
「森里ヒカリさんって方なんですが……」
「あっ、」
なんだか、どきどきしながら、すごく、嬉しい予感がした。
「私です。」
きっと、楽しい予感だ。
「あの、よかったら、ビルを訪ねてもいいですか」

ビルの住所を教えてもらって、次の日訪ねる約束をした。この会社の最寄駅から、2つ隣の駅の近くだ。

駅に降りて、グーグルマップに目を落とす。すると、
「こっち!」
と、声が聞こえた。
「森里さん、こっちです!」
顔を上げると、彼が手を振って笑っている。
「このくらいの時間に、いらっしゃるかなと思って」
「わあ、ありがとうございます!」
お客さまなんだから、申し訳ないです、とかなんとか言わないといけないはずなのに、なんだかつい、お礼を言ってしまった。楽しい予感がする。文化祭の準備のように、過程にまで物語のあるような、そんなデザインができる気がした。

ビルに通い、彼と話して、クリエーターさんの仕事を覗かせてもらって、デザインを作って、彼が私の会社に来て、相談をして、またビルを訪ねて。彼との仕事を通して、なんだか、自分のできるようになりたかった仕事の仕方に近づいているような気がしていた。そして、そんな日々はあっという間で、もう彼たちのビルには、私のロゴがかかっている。

「なんだかせっかく知り合えたのに、このまま終わってしまうのは残念ですね」
彼がビルに飾ったロゴを見ながら、私に言った。
「差し支えなければ、またご飯でも行きませんか」

この仕事が終わって、彼がお客さんでなくなってからも、私たちは会うようになっていた。
美術展を見に行ったり、作家さんのお店を訪ねたり。それから、だんだん、目的がなくても会うようになって、会うことが目的になっていった。

出会って2ヶ月、プライベートの関係になって1ヶ月半。今日は新しくできたコーヒー屋さんで、コーヒーを買って、公園でおしゃべりをした。
「ねえ、ヒカリさん」
この頃にはもう、下の名前で呼び合っていた。
「僕、ヒカリさんのこと、好きなんだ」
同じ気持ちであることが、こんなにも自然に分かり合えることって、あるんだ、と、初めて思った。手元のコーヒーみたいに、香ばしい気持ち。
「私も、好きです」

そう伝え合ってから、毎日がますます嬉しかった。あの時の嬉しい予感は、こんなところにまで、繋がっていた。

でも、未だに、家に帰って、夜が来ると、苦しくなるのは、変わらない。こんなにも嬉しいのに、こんなにも、幸せなのに、なぜか、夜の中でだけは、不安な気持ちが出てきてしまう。
昼間にばかり約束をして、夜は明るい繁華街でご飯を食べるまでにして、家に帰って、明かりをつけて一人で眠る。彼には離れて欲しくなかった。離れたくなかった。

けれど、付き合っていて、それだけなのもまた寂しくて。
「前に話してたお店、ディナーの予約取れたんだ。」
ちょっと呼吸を入れて、嬉しそうに彼が言う。
「ご飯食べた後も、この日は一緒に居よう」
君は、優しい。
「ねえ、私ね」
夜が怖いんだ。だから明かりをつけてないと眠れないこと、おどおどして伝えたら、君は笑って、
「わかった。大丈夫」
と言ってくれた。

君は、初めての日だけは、「やっぱり電気消さないの?」と聞いたけれど、その日以来、何も聞くことなく、明かりをつけて眠ってくれた。私を毛布ごと包んで。そんな日々を過ごすことが幸せで、そんな日々が終わりませんようにと不安になる。

一人で眠る時、今日は消してみようかな、でも無理だな、を繰り返して、結局明かりをつけて眠る。

今夜もベッドに座って電気のリモコンを眺めていると、携帯が鳴った。君からだ。
「ねえ、ヒカリ! あのね、今度、星、見に行こうよ」
なんだか弾んだ声が聞こえた。
「夜だけど、遊びに行くのは、ヒカリ大丈夫?」
君はそう聞いてくれたけど、私の返事も待たずに続けた。
「明日、新月だって。迎えに行くから。夜の6時半に〇〇駅のロータリーで待ってて」
星を見に行くってことは、真っ暗、ってことだよね。夜、明かりが灯る場所にしか出かけたことがないから、ちょっぴり不安になったけど、君の心地いい声に、思わず「うん」と答えていた。
「大丈夫。絶対楽しいから」


「ヒカリ、到着したよ」
君の声に、外に出る。街灯もなくて、本当に真っ暗だ。
「雲もないし、風も涼しいし、星日和だ」
君の声が、弾んでいる。手を繋いで、懐中電灯の明かりマックスで君が照らしてくれるところを一緒に歩く。真っ暗だけど、怖くはなかった。
「僕ね、ここで星を見るのが好きなんだ、小さい頃から。小学校の自由研究で、天体観測、父さんとしてさ。僕が星なら山だよって言うのに、いや海だって、父さん、聞かないんだ」
君のことをひとつずつ知れるのが、嬉しい。
「そんな、父さんのことなんてどうだっていいんだ」
私がどきどきしているのと一緒で、なんだか君もそわそわしている。
「好きな人と、一緒に来たいって、決めてたんだ」
砂浜を歩きながら、恥ずかしそうに伝えてくれた。
「うわあ。ただ楽しくさ、遊びに来るはずだったのに、改まって伝えちゃったじゃん」
「嬉しい」
もう、たくさん一緒に出かけて、たくさん一緒に眠って、たくさん一緒に手を繋いで歩いたのに、初めてのデートみたいに、空気が火照っている。

君のお気に入りの場所は、海岸線よりちょっと小高くなっていて、砂が平らに整っていた。そこに二人でシートを広げて、腰を下ろす。
いつも生活している場所から、ちゃんと暗い場所に来ると、星がいつもよりたくさん見えた。
「綺麗」
思わず、声が漏れた。君は、私が怖がっていないのに気がついたのか、嬉しそうに私を覗く。電気ついてたら、いつもの空と一緒でしょ。そう笑って、
「懐中電灯、消してみて。もっと綺麗だから」
無理にじゃないけど。と、からかって、また笑った。

握っていた小さな懐中電灯の明かりを消して、お尻の後ろにそっと隠す。

君の隣に座って、空を見上げる。暗闇の中で、心臓の音が聞こえてしまいそうに、静かだった。
「ねえ、空、二人占めだね」
君の声が、夜の緊張を和らげてくれる。海の音が、心地よく耳に届く。さっきまで懐中電灯の明かりに眩んでいた目が、だんだん黒を濃くしていく。
ちゃんと暗い場所は、いつもよりたくさん星が見えていたのに、明かりをつけずに、空を見つめていると、気がつけば、こぼれそうなくらいに、星でいっぱいだった。

強く光る星の間から、優しい光が、顔を出し始める。まばらだった星が、いっぱいに広がっていく。ずっと、そこに星たちはいたのに、気づかなかったのは、私の方だ。

「ね、せっかくだから、寝転がろうよ。誰もいないし」
君が鼻の頭に皺を寄せて笑う。君がこの顔をするときは、必ず、楽しい。
私も鼻の頭に皺良寄せて、
「うん」
と笑う。
「吸い込まれそう」
思わず、ため息だった。寝転がって、見上げれば、星の海に浮かんだみたいに心地いい。

何も見えなくて、怖かった夜が、輝いていく。深い闇の上で星は生き生きと光って、静寂の中で隣の君の体温が愛おしくて、呼吸の音が優しくて、繊細で大切な感情が、体の真ん中から、溢れ出す。暗闇の中で、私の心は、愛おしいものでいっぱいになる。なんだか、彼が毛布と一緒に包み込んでくれた時と、似ている気がした。電気の明かりも、月の光さえもない暗闇だからこそ、見える星があって、感じられる心地よさがあることを知った。

明るすぎる光は、私たちの目を眩ませて、自分で光る星たちは、明るい光に紛れてしまう。昼間の雑音に汚されないように、眩んだ目に見つからないように、謙虚に静かに隠れている。そこに光があることに気がついて、夜を待って、そっと掬い出すように空を見つめてくれた人に、ちゃんと光が届くように。

星だけじゃない。優しい感情も、大切な気持ちも、繊細なものは全部、図々しく主張したりしないことなんてわかっていたくせに、ちゃんと見ようとしていなかったのは、きっと、私のせいだ。今日あったこと、見せてくれた表情、くれた言葉。昼間の明かりの中で見せてくれたものの奥にある柔らかい光みたいな気持ちを、感じ取れなかったのは、私が未熟だったからだ。夜があるから、純粋なものの光そのものを、見ることができるのに。

「怖くない?」
黙り込んだ私を心配して、君が聞く。もう、怖くない。今までの自分が恥ずかしいくらいに、心の中が、いっぱいだった。多分、今、口に出したら、柔らかい声で、君に言える。
「とても、幸せ」


君と星を見に行った日から、私の夜は、癒しの時間になった。私は、一人の時も電気を消して、眠れるようになった。オレンジの電球もつけずに、真っ暗にして。暗くて、静かになった夜に、大切な気持ちや出来事が、溶け出してくる。純粋なものが、はっきりと顔を出し始める。昼間の明かりの中に紛れないように、私は夜、そっと取り出して、撫でながら、愛おしむ。夜は、どの時間よりも、心地よくて、自分にかえれる時間だった。

「ねえ、電気消すね」
昼間どんなにはしゃいでも、君の声で、夜がくる。リズムの違う呼吸が、耳を澄ますと、時々重なって、触れていなくても、体温は、あたたかくて、心は、ちゃんと、繋がっている。私は今夜も、君の隣で、大切なものを抱えながら、優しい光に見守られながら、眠っている。

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