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真剣な場所で、「好き」に気づいてしまったら

どうしよう。好き、かもしれない。
こんなところで、どうしてこんな気持ちに気がついてしまったんだろう。広告の合同コンペの会場。自分のチームのプレゼンの時間。3分しかないこの間に、私の集中力は、一体どこにいってしまったんだろう。
デザイナーの彼と、コピーライターの私。会社の同期でチームを組む機会も多く、何個も一緒に作ってきた。小さなポスターから、イベントまで含めた大きな企画まで。彼との仕事は本当に面白くて、二人で、いつだって、本気で、戦ってきた。恋愛感情なんて生まれる油断なんて思いつきもしなかった。そんなもの、入れたくもなかった。
そのはずだった。
なのに、私は、この、たった3分しかないプレゼンの時間に、油断をつくってしまった。
「僕は、これがいいと、思うんです。自信をもって辿り着いた結論です」
そんなことを思っているうちにも、プレゼンは進んでいく。彼の話す内容は、全部頭に入っている。クライアントの反応を見なくちゃいけない。でも、横に並んだ彼の熱量だけが、その空間の全てのように、私の意識を埋めてしまった。
集中力の方向が、ずれた。隣に並んだ彼との距離が、いつもより、近かったのかもしれない。彼の声が、いつもより、傍に聞こえたのかもしれない。それとも、私が、だれていたんだろうか。わからない。どうしよう。気がついてしまった自分の感情に、体温が上がる。恥ずかしさと、困惑で、顔が火照る。3分だ、3分。多分、残りはあと1分。私の説明のターンが、もうすぐ入る。切り替えろ、私。これは、好きなんかじゃない。尊敬と、感動だ。人の熱量に、刺激を受けて何が悪い。私だって、負けていられないのだ。伝えたい。伝えたい。
「『好き、かもしれない』この感情が、今回のプロモーションのスタートです」

「夏川、今日さ」
ビールジョッキを口から外すと、鋭い目が私に向いた。
「一瞬、集中力、切れただろ」
3分しかないプレゼンで、ふざけんな。彼は、はっきり言った。気が付かれていた。
「夏川、いつもそう。人の話聞いてても、何か見てても、勝手に横道それてって自分の世界に入り込む」
なんのことだ? 申し訳なさと、自分の知らなかった甘えた感情に、不甲斐なさでいっぱいなのに、何の話をしているんだろう。
「で、何思いついたの?」
「は?」
謝るはずが、とぼけてしまった。思いついた? そりゃあ、思いついたよ。でも、そんなこと君に言えるわけがない。君のことが、好き、だなんて。
「ほら、もったいぶらないで教えろよ。もうすぐ社内コンペの応募も始まるだろ」
宝探しをするみたいな目をする彼に、答えないわけには、いかない。このやり取りが楽しくて、ここから作ってきたくせに、今回ばかりは、鬱陶しく思ってしまう。どうしよう。どうしよう。
「お、社内コンペのテーマ、発表された!」
ビールの脇に置かれていた携帯の画面にポップが映る。彼はそれを開いて、二人の間に持ってきた。
「郵便局の手紙をもっと出してもらうキャンペーンだって。いいじゃん」
面白そ。彼は、内容の詳細に釘付けになっている。この間に、考えなくては。手紙。人。想い。私の、恋? 何か、考えたことにしなくては。もっと、普遍的な感じ。それでいて、個人の感情にフォーカスしたこと。考える時間を作るように、彼の顔を見る。
「で、何する?」
彼が、待ってくれるはずもない。私だって、コンペの後のこんな夜には、リズムの良い、心地いい会話をしたい。だけど、考えれば考えるほど、プレゼン中の感情が、蘇ってしまう。
君のことが、好き。
そんなこと、言えるはずもないし、伝えたくない。だからと言って、付け焼き刃な、いいとも思っていないことで、誤魔化したくもない。
「今回のは、持ち帰る」
「お! 期待、大、ですな」
彼は軽くビールを口付け、からかうように笑った。

困った。家に帰って一人、悶々としている。すでに深夜2時。明日は朝6時に駅集合。地域の町おこし企画の取材だ。このままの感情かつ、寝不足。最悪だ。でも、まあ、考えてみれば、いつもと状況は変わらない。熱いシャワーをかぶって、ベッドに倒れこむ。
「僕は、これがいいと、思うんです。」
彼の言葉が、耳の奥で再生された。

いつ寝たかわからないような寝方をしても、不思議と起きたい時間に、目が覚める。いつも何かに緊張しているからなのか、私がショートスリーパーなのかはわからないけれど、突っ走った挙句、大事な日に迷惑をかける、と言うことはせずに済んでいて、ありがたい。何に対してありがたいのか、わからないけれど、今日も無事に起きて、現場に向かうことができた。

この地域には、駅から30分ほど歩いたところに小さな温泉宿街がある。駅周辺には、最近できたばかりのカフェやワゴン販売のお店が集まっていて、温泉宿街に近づくにつれて、昔からのお店が、ぽつり、ぽつりと、建っている。温泉だけでは、差別化できずに廃れてきてしまっているらしい。若い人たちが、町おこしを始めたから、PRに協力してほしい。そんな依頼だった。
確かに、駅近くのお店は、活気のある香りがした。地域の料理や特産物を、インスタ映えするようなデザインで売っている。辿りついた先の宿は昔ながらだけれど、なんだか懐かしい気持ちになれる、温かい雰囲気の宿が多かった。この組み合わせを求めている人たちって、どう表現したらいいんだろう。少し目星をつけながら歩いていると、脇道を見つけた。地域の方から事前にいただいていたマップには入っていない道だったけれど、気になって入っていく。
右が林、左が住宅地。そんな通りで、少し歩くと、この通りの雰囲気には馴染まないような、喫茶店があった。洋風な品のある、少し背伸びをして入るような外観の喫茶店だ。
気になって入ってみると、店内はとてもほっこりするような空気が流れていて、「おばあちゃま」という言葉がぴったりな感じの、ワンピースにパンプスを履いたお店の方がいた。カウンターやテーブルに、まばらに人が座っている。感覚だけれど、お話を聞いてみたいと思った。古いけれど、丁寧に使い込まれた建物と家具。おばあちゃまの雰囲気。お腹も空いた頃だったので、お昼を兼ねて、少しゆっくりしてみることにした。
「ランチをいただきたいのですが、おすすめはなんですか?」
「どれも美味しいですよ。あなたの好きなものが、おすすめです」
薄く紅を引いた口元に、手をもってきて、ふふふ、と微笑む。
「迷いますねえ。オムライス、いただきます」
「少し、お待ちくださいね」

オムライスは、おばあちゃまの言った通り、美味しかった。ケチャップライスに、薄く焼いた卵で包んだ、昔ながらでシンプルなオムライス。上にかかったケチャップは、トマトの味が濃くて、ぱくぱくとスプーンが進んでしまう。
食後のコーヒーを飲みながら、店内を味わっている頃には、お客さんが少し引いてきた。
「あの、すみません」
おばあちゃまに声をかける。
「実は、この街おこしの企画のために、取材に来ておりまして」
名刺を渡しながら、お話を伺いたいとお願いする。
「気になって入ってみたら、とても素敵な雰囲気で……。少しお時間いただけませんか?」

おばあちゃまは、快くお話をしてくださった。祖母の代から続いていること。旦那さんと二人でやってきたけれど、5年前に亡くなってからは一人でお店を続けていること。この街で働く近所の方のために頑張って続けていること。時々、観光できた方が、見つけて寄ってくれるのも、楽しみだということ。メニューの一つ一つにも、このお店を繋いできたご家族の物語がちゃんとある。温かい雰囲気は、ここから来ているんだと、感じることができた。
「店内もどうぞ、見てください。私もいつまで続けられるかわからないので、せっかくですから」
そう言って、カウンターの中にも入らせてくれた。
丁寧に使い込まれた古いものは美しいというけれど、お店への愛情が、伝わってきた。きょろきょろと見渡していると、レジスターの棚に、箱があって、手紙がたくさん入っていた。
「お手紙、たくさん届くんですね」
何気なく、聞いた。お客さんからの生の声がたくさんある場所。それなら、コピーもリアリティのあるものを作れる気がする。いつもと同じ思考で、聞いた質問だった。
「あ、それね。見られちゃったわね」
お店のおばちゃまは、躊躇って、すぐには答えてくれなかった。お客さんではなく、大切な人との手紙なんだろうか。
「私ね、日記って書かないんですけど、すごく素敵な人に出会ったり、でもその人に直接連絡をとったりって言うのが憚られる時にね、手紙にして書くんですよ」
迷いながらも、私に教えてくれた。
「こうやってお店をしているとね、いろんな方が来てくださるでしょう」
箱の中に溜まった手紙を撫でながら、懐かしそうに話を続ける。
「常連さんで毎日のように来てくれて、でももう亡くなってしまった方もいるし、旅行で一回通りすがりに寄ってくれた方でも、とても嬉しそうな顔をして食べて帰っていく方もいる。お店の人だって、人でしょ。自分の感情にもいろんな時があるから、本当に救われたことがたくさんあるの。でも、お客さんには、『いつもありがとうございます』の一言に、気持ちを込めるしか、ないでしょう」
だから、本当に感謝している気持ちを、相手に出すつもりで手紙を書いて、そっとしまっておくの。おばあちゃまは、そう教えてくれた。箱に溜まった手紙の数は、おばあちゃんの感謝の数なんだ。そう思っていると、でもね、と付け加える。
「この束は、伝えられなかった気持ちの数でもあるのね、と思うの。だからと言って、真剣に書いたものを自分で捨てることもできなくてね」
恥ずかしそうに笑って、蓋を閉じる。
「関係のない話を、してしまったわね」
そう言いながら、お店のおばあちゃまは、温かい表情をしていた。
「でも、あなたにもない? 言いたかったけれど、言わずにしまっておいたこと」

結局、この地域のことは、若い方のお店に焦点を当ててPRが行われることになった。私もそれには納得だった。

でも、私の中には、あのおばあちゃまの表情が浮かんで離れない。
家に帰って、ベッドの中。
「あなたにも、ない?」
おばあちゃまの問いかけを思い出す。
そういえば、あいつ、今日は何を思いついているんだろう。
こんな時でも、私は、彼を好き、ということを自覚してしまった。
私は、彼に、彼の好きなところを、ちゃんと伝えたことがあっただろうか。彼の仕事の仕方をとても尊敬していること。彼のデザインが好きなこと。熱量にいつも刺激を受けていること。目に見えるものは伝えてきたつもりだった。でも、そんな彼のおかげで、私がどんなに支えられてきたか。幸せな気持ちになったり、励まされたり、もっと前に進みたいと、思わせてくれたか。苦しくて、苦しくて、辞めたくなった時、彼を見ると、しがみついてでも、この仕事を手放したくないと思えたこと。彼と接することによって、反応した自分の感情については、伝えてはこなかった。伝えない方が、いいと思っていた。
私は、自分の意思で、広告業界に入って、コピーライターを続けているけれど、彼の存在がなかったら、きっと今の私ではない。
そして、今は、仕事を超えて、私はとても、あなたに惹かれている。人としてのあなたの姿が、とても、好きだ。もっと、あなたの世界を知りたい。心に触れたい。入り口は仕事だった。そしてそこには、恋愛感情なんで、入れたくもなかったし、そもそも、そんなこと思いつきもしないほど、真剣だった。だけど、そんな関係だったからこそ、見えてしまったんだ。どんなに苦しくても、まっすぐで、誇りを持って、生きている君の姿を。絶対にぶれない、本物の情熱を、見てしまったんだ。
こんなにも自分の感情は溢れているのに、私は、伝えきれていなかったし、そもそも、彼に対する自分の感情を見ないようにしてきた。
「これがいいと、思う」
彼の言葉が、蘇る。
そうだ。
「私は、これがいいと、思う」
まずは、その気持ちを受け止めることから始めなくちゃ。受け止めることと、実際に実行に移していいかどうかは、別のこと。だけど、正直に本心を受け止めなければ、何も始まらない。広告業界に入って、コピーを書くことに出会って、私は、決めた。そして、振り返ってみても、私の今まではいつも、「私は、これがいいと、思う」で、出来ていた。そして、その決めたことには、いつも責任を持ってきたし、「いいと思う」には、いつだってちゃんとした理由を持っていた。そして、彼に会って、その言葉の意味を、丸ごと、飲み込めたのだ。彼の「僕は、これがいいと、思う」には、彼の中で、戦った形跡が残っていた。

伝えきれなかった彼への思いが、私の中に浮遊して、今ここにきて、好き、という感情に悩んでいる。伝えたい感情が、伝えられる許容量を超えると、好き、は、恋、に、変わるらしい。

私のこの気持ちも、手紙に書いたら、その手紙の中が、ちゃんと居場所になるんだろうか。ペン先を、丁寧に、便箋の上をなぞらせる。びっくりするくらい優しい感情が、綴られていく。私の、彼に対する感情は、もっと鋭くて、熱いものだと思っていたのに、ひだまりみたいな気持ちで、埋め尽くされていた。
彼に語りかけるけれど、届けるつもりはないと、驚くほど素直な気持ちで書くことができるんだ。「夏川より」と結んだ時には、自分の中の好きな気持ちは、形を整えて、おしとやかに、心の中に佇んでいた。
でも、それと同時に、この手紙を、手元に置き続けることが、とても切なくなった。私はこれを、彼に渡すつもりはなかった。まだ、彼に伝えるつもりはなかった。これからのことも、わからない。彼とはこれからも、一緒に戦いたい。夢を追いたい。もう少し、高校生のように、名字を呼び捨てにし合って、文化祭の延長みたいに、でもあの時よりもずっと覚悟を持った青春を続けていたい。だから、この手紙は手元に置いておくか、自分で捨てるしか、ない。だけど、この手紙の形をした大切な気持ちを、もっと、優しく昇華させることは、できないだろうか。

綺麗に閉じた封筒を撫でながら、考える。最近はあまりしなくなったけれど、あのポストに投函して、手紙を送り出す感覚を思い出す。相手には届かなくていいけれど、自分から送り出した気持ちが、どこか片隅にはちゃんと存在している。そんな体験ができないだろうか。
あ、あっ、もしかしたら……。
「で、どうする?」
私が彼を好きだと気がついた、あの居酒屋での会話の続きが、見つかりそうだ。こんな時でも、企画の話かよ。自分の思考に、笑えてしまう。だけど、自然に、そういう思考になれたことが、嬉しい。

この状態があるからこそ、彼を好きになれた。私が本気だからこそ、彼と私は繋がっている。その意味が、どんな意味だったとしても、好きになれた理由を壊したら、だめだ。
本当の気持ちを認めたら、これまで築いてきた私たちを取り巻く環境を守りたい。その上で、彼を好きだという気持ちを、自分に許そう。好きになったから、仕方がないんじゃない。好きになったから、冷静に、覚悟をするんだ。

せっかくこんなにも真剣な場所で、好き、という気持ちを手に入れたんだ。だから、まずは、この見返りも願望も含まない、君を好きだという気持ちを大切にしたい。その本音をどうしていくかは、きっと、私の腕次第だ。

通話履歴の一番上にある、彼の番号にかけてみる。
「ねえ、手紙の企画、思いついたんだけどね、」
電話の向こうで、彼の弾んだ相槌が聞こえた。
「今から、会おうよ。早く聞かせろよー!」
「わかった」
まだ彼の電話に繋いだまま、アイデアノートをカバンに入れて、玄関を出る。
伝えたい。伝えたい。早く君に、伝えたい。

私は明日も、彼が本気になれるコピーを書く。
彼が、私を本気にさせるデザインをつくるから。

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