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【シャニマス】ノクチルが◯◯【シャニアニ2nd】

1.はじめに

この記事はシャニアニ2nd(アニメ「アイドルマスターシャイニーカラーズ」2期)第二章先行上映までを見て、この機会にノクチルのデビューに関わることになったテレビ関係者たちの行動をあらためて振り返ってみようという試みです。それに加えて、ストレイライトと比較したデビューの方向性の違いについても触れていきます。ネタバレを含みますので閲覧時には注意をお願いします。

2.ノクチルが悪い

この記事ではあえて「ノクチルが悪い」という視点でデビューのときの状況を振り返っていきます。


まず、ノクチルは廊下を半ば占領して記念撮影をしていて通行の妨害となっていました。そして、通行しようとするテレビ関係者たちへの挨拶をプロデューサーに促されるまで行いませんでした。

※後の描写で、ストレイライトはすれ違う人へ丁寧な挨拶ができていました。

リハーサルのとき、番組の責任者から見てメンバーの一人が緊張によってまともなパフォーマンスができていませんでした。リハーサルの後、ノクチルのメンバーの一部が責任者に対して反発するような態度を見せました。

本番のトーク中、スタジオにいる事務所の関係者へ話を振るというウケ狙いのような行動を取りました。また、生放送で尺が限られているにも関わらず会話の主導権を奪ってメンバーの自己紹介を始めようとしました。

責任者の判断で口パクへ切り替えたにも関わらず、その指示に従わず口を閉じてパフォーマンスを行いました。少なくともサビの間は透のマイクは生きている状態でしたが、まともな歌唱を行いませんでした。


つまり、ノクチルが悪いです。

3.ノクチルが悪い?

ただ、この記事で書きたかったことはノクチルが悪いという話ではありません。

多くの人にとっての常識で回っている生放送のテレビ番組という場にノクチルを無理矢理出演させたプロデューサーにこそ責任があると私は考えます。

※注:結果としてノクチルらしいパフォーマンスができた、という点において必ずしも失敗とは言えない、という考えもあります。


そもそもの話、なぜテレビ番組だったのでしょう?

シャニアニにおけるストレイライトの3人のデビューライブはヘリポートでのパフォーマンス、それを配信(都市の大型ビジョン含む)という華々しいものでした。

では、なぜノクチルはテレビ番組を選んだのでしょうか?


これは、単純にストレイライトのパフォーマンスが優れいていること。そして、ノクチルの性質が関係していると思われます。

ノクチルの性質とはつまり、ノクチルのパフォーマンスを彼女たちが幼馴染4人組ということを知らずに見たとしても心が動かされるのか?ということです。


シャニアニを例にすれば

ストレイライトの場合は彼女たちの関係性を描く前にまず圧倒的なパフォーマンスが披露されました。その後で彼女たちの関係性を知るエピソードが挟まれました。

ノクチルの場合、まず彼女たちの関係性を描き、その後でデビューライブでしたよね。イルミネもそうでした。


あのバラエティ番組においては、まずある程度ノクチルを知ってもらうためのトークをして、その後でパフォーマンスをするという機会が欲しかったのでしょう。単純な歌番組だとパフォーマンスのみであったり、トークがコントロールされすぎていてノクチルの関係性が伝わらないという懸念もあります。

話をまとめると、ノクチルを売り出すためにプロデューサー視点で見たら最適な、悪い表現をするなら手っ取り早い機会があのバラエティ番組だった、ということです。

4.自分

冬優子の「負けない」という言葉に象徴されるように、ストレイライトをプロデュースする中でプロデューサーは上を目指す姿勢をより強く持つことになりました。

つまり、担当するアイドルをより多くの人に見てもらうために自分に何ができるのかということ。


でもなんというか……
ノクチルのプロデュースを通してそれがまた変わっていったように思います。

enza版における透の育成シナリオ上の「ジャングルジム」とか、シャニアニにおける「階段」に象徴されるように、一段ずつ、自分で決めた方向へ進んでいってほしい、みたいな。

もちろんストレイライト・ノクチルをプロデュースする以前からそう思ってはいたけれど、その気持ちが強くなった……みたいな。


シャニアニの中で、新ユニットは「新しい色」と表現され、新しい色を迎えることで283プロはさらに輝いていく、というようなプロデューサーのセリフがあったと思います。

これは「シャイニーカラーズというユニットがより輝く」という意味合いでしょう。


でもそれはユニットだけではなく、たとえば櫻木真乃という個人の心に重なっていくものでもあるし、アイドルだけではなくプロデューサーの心にも重なってくるものだと思います。もちろんプロデューサーというロールを任されることになるプレイヤー、あるいは視聴者の心にも。


私はシャニマスのストーリーを楽しむときに、私自身がどう感じたか、ということを大切にしているつもりです。

シャニアニを通じて、初めてストレイライトやノクチルをプロデュースしたときに自分が感じたことが蘇ってきているように感じています。


だから……
うまく言えませんが、シャニアニを見ているとき、別物ではなくちゃんとシャニマスを見ているように思えて嬉しい……みたいな?自分に重なっているものを再び感じられて嬉しい……みたいな?

まとまりのない記事になってしまい申し訳ありません。まぁまとめるのはシャニアニ2ndの3章を見た後、ということにしておきましょう。ではでは

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