「私の音楽」と「アイドルという概念の再定義」2

私はみんなが思うようなアイドルではない。ただ私が再定義したアイドル観でいうと私はアイドルだ。

先のブログで書いた通り、私は歌っている姿を「可愛い」と言われることが嫌だった。
「私はアイドルじゃない。」という思いがいつもあった。

中高生の間4年程、芸能スクール的なところに通っていた。最初のレッスンで「あなたに教えることは何もない」と言われ個人レッスンに切り替わり、好きな曲や難易度の高い曲を先生と試行錯誤して歌ったり、スクール主催のライブに出ていた。
そこには所謂「地下アイドルもどき」みたいな子たちがたくさんいて、キラキラした可愛い衣装でアイドルの歌をカバーして、ファンの人たちにチヤホヤされていた。
それを見ていた私は(当時は本当に可愛げのない子どもだった。今もあまり可愛げはないが)、こうはなりたくない、私と一緒にしないで、と思っていた。

近くでそういう子たちを見ていて、自然と私は「アイドル嫌い」になっていた。
あんなものは音楽じゃない、とか思っていたと思う。

16歳のある日、好きで購読していた雑誌に出ていた白石麻衣ちゃんが気になって、YouTubeで乃木坂46の「気づいたら片想い」のMVを見た。衝撃だった。
アイドルってこんなにかっこよくてお洒落で音楽性の高い楽曲を歌っているの?すごい!
そこから「アイドル嫌い」だった私は一気に「アイドルオタク」になった。(影響されやす過ぎるのと極端なのはもう皆様お気づきだろう…)

高校の卒業論文で私は「現代のアイドルのあり方と日本社会への影響について」みたいな論文を書いた。主な主張としては、テレビという媒体の影響力低下に伴いオンデマンドサービスやSNSを中心に、ステージから飛び出しモデルやアーティスト路線など多様化したアイドルが軸となり活躍する、というような感じだったと思う。

私は「アイドル」をやっている女の子たちにたくさんの可能性を感じていた。
またそれとは逆に「歌って踊る訳ではなくても、誰かを笑顔に出来るのならばそれは『アイドル』なのでは?」と考えるようになった。

飲み会にいる時の私はアイドルだ。その場の空気を読み誰もが一番心地良い環境になる様仕向ける。これもアイドルの仕事だと思う。
青瀬七というコンテンツだってアイドルだ。配信では元気よく笑い悩みを聞き励ます。この上なく「アイドル」をやっていると思う。

「ななちゃんはアイドルになりたいんじゃないの?」とたまに聞かれる。
アイドルになりたいんじゃなくてもうすでに私はアイドルなんだよ、伝わるかな、伝わんないよなと思いやっとこの文章を書き上げることが出来た。

私が自身を「超アイドル」と自称するのは、「歌って踊るアイドル」の範囲を超えてアイドルをやっている、ということの主張、また敬愛する大森靖子さんの「超歌手」の文字りである。

わたしだって、あなただって、多分どこかのアイドル。現に私の推しは歌ったり踊ったりしない。

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