見出し画像

書散裸#23 M-1対策ライブ

2023年7月11日(火)にスカイホールで行われた、「M-1対策ライブ~俺たちが一番面白い!~」から1週間が経った。

100名を超える集客で迎えるのは初めてのことで、これまでの一日の最大キャパが今まで60人程度だったことを考えると大躍進といえる。前回が演者は4名で行ったライブ「Sugar」であったことを考えると、新規の演者が多くのお客さんを引っ張て来てくれたのだろう。だが、前回4人で60人、今回18人(+1)で100人って、俺ら4人の集客力凄くない?もっと客呼んでくれ。お願いします。これは演者でカウントしただけなので、集客をしてくれたスタッフさんもいるなら、それは本当にありがたい。一度コロナでライブに出れなかったとき、自分が出ない舞台を宣伝することはかなりハードルが高いということがわかったので、宣伝してくれたスタッフさん、居たならありがとうね。そして、宣伝したいって思えるようなライブでありサークルになるように頑張ります。

客演としていわしクリエイティブから「いわし」さん、スペシャルMCとして前川パーティーさんを呼ばせていただいた。主催者としては外部からの参加者がいてくれたことで盛り上がった点もあったと思う。有難い。「いわし」のネタのクオリティはさすがに元プロだなと思ったし、前川さんの盛り上げる力は目を見張るものがあると思った。メンタルの強さは見習っていかないといけない。

元からいるCCC1期生は一緒に戦えて良かった。CCC2期生は初舞台をネタも飛ばさず、ちゃんとウケながら、評価されながら終われたことが良かったと思う。

ご来場いただきありがとうございました。
今後のCCCの活動により一層のご注目を。
そしてM-1応援してね。


はい、某先輩のnoteの構造を真似させていただいた。つまり、ここまではCCC土田で主催者土田として書いた。なので書くことはあんまりなかった。薄い内容で申し訳ない。
そもそもこのnoteもあの人の熱量に突き動かされて書くことにしたものだ。だから序盤は薄い。影響を受けている。感謝。

ここからは芸人(志望)土田澄空として。

某Mさんは覚悟がある人だけ~って言ってたけど、せっかくなら全員読んでくれ。

何から書くべきかわからないな。
それくらい色々葛藤があった期間だった。終わってからも含めて。

ネタ作りとか相方マッチングの段階から思い起こそう。相方は柏井でFrontierでこのライブに挑んだ。去年の11月くらいから動いているコンビで、直近だとECHOが最後の舞台だった。
相方の柏井は面白い人間だと思う。面白いことを言うとか思いつくというより、存在そのものが面白い。弄られて、加工する人がいて輝くタイプ。こいつの扱いに当初はかなり頭を悩ませていたし、異常者だと思ってた。今も思ってるけど。何が言いたいかっていうと、活かし方によっては化ける素材だってこと。
そのうえで、俺は彼を活かすためのネタ作りの路線を選ばなかった。自分が面白いと思うものを作り続けた。過去に当然だが面白いと思って作ったネタを、すべて記憶のブラックボックスからひっくり返しM-1予選用としてブラッシュアップを作った。すべては盛ったが、そもそも作った量が人と違う。そこだけは誇れる。
ネタを絞る段階で12,3は候補があった。台本に仕上がっているという意味でだ。そのなかで全部ネタ合わせをしながら相方の雰囲気でできるものを探ってライブ用に選んだ。つもりだった。でも根本的に、俺は相方を活かすことより自分が面白いと思って書いた台本を優先していた。

このライブのあとに、ランチタイムパフォーマンスとオープンキャンパスの営業でネタをやらせてもらう機会があって、その時に痛感した。俺はネタをやることに心底ビビっていて、面白いと思った感性そのものを否定されることに怖気づいていて、二日間ともいいパフォーマンスができたかといわれると甚だ怪しい。相方柏井とも一本やったけど、心が折れていた。声が出なくて細くなった。情けなさを誤魔化すようにふてくされた態度でしゃべり続けた。出させてもらう機会を頂いて、見てくれる人がいて。久しぶりに全然いない(3人)状況も体験して、その有難さが身に染みたはずなのに、俺はやっぱり自分を優先した。というより自分の弱さだけが表出した。対照的に、相方は他のコンビの他のネタ(柏原イタシスカシ「欠点」←面白いのでぜひYouTubeみてね)で伸び伸び、本当に伸び伸びやっていて、過去一で輝いていた。

痛感したし正直涙が溢れそうだった。「あ、これが正解なんだ」って思った。こいつを活かしながらやる、これをするべきだったと思った。楽しそうに他のネタをやる相方の顔を見てそう思った。

同時に無理だと悟ってしまった。

俺は自分の面白いと思うものの軸をまげてまでお笑いやりたくない。イタスカのネタ、特にとうや君が軸を曲げてるとかじゃないよ。そのやり方が曲がってるとは思わない。面白いということに真っ直ぐだと思う。
ただ俺が根本的に人を活かすことに向いていないのだ。でもそもそも、漫才は二人以上でやるもので、人と人の会話や存在から生まれる笑いで、だったら俺がしてたことはただの自慰行為なのだろうか。一人相撲なのだろうか。お客さんからのリアクションが前提にあるから、他の商業スポーツなんかと違ってお笑いは潔くかっこいいと思ってた。でも俺がしようとしてたことはそのリアクションはおろか、相方の反応とか人も無視したような、滑稽なG行為だったのではないか。「俺が二人いればできるのに」何度もそう思ったし、そのやり方を求めてきた。柏井にも、他のコンビの相方にも。でも、言ってもしょうがないな、とどこか諦めて細部を妥協してきた。そこまで思うよりも先にもう諦めていたし相方を根本的に見下している自分に気づいた。「ネタを書いているのは俺だし俺の書いたこと面白いでしょ?」って態度、外には出ることがなくても俺の核心にずっと居座っていた。だから俺の理想だと思うように演じることはできないだろうし、書いてる時がピークで書いた後のほうが心底楽しかったネタなんてまずない。毎回「なんか違うな」の繰り返し。疲れてきてしまった。そんなところまでG行為と一緒で嗤ってしまう。

もともと、相方の面白いの感性は俺と似ていないと思う。ネタは感性の名刺だ。そいつが面白いと思ってることが直接反映されるから。そのなかで、相方はこの期間だいぶ俺が面白いと思うものに自分の感性を寄せてくれていたように思う。理解しようとしてくれていたのではないか。相方がすごく柔軟な男で、ネタ覚えも早くこだわりに固執することがあまりない。それゆえ俺は新ネタをたくさん書いて試して変えてを繰り返すことができた。相方のキャパシティーのお陰だ。
二か所、ネタに一本ごと俺が下ネタを入れるのを押し通した。あいつのポリシーに反することだったと思うが受け入れてやってくれた。それがすごくありがたかった。結果的には滑ったけれども。
でもそれって、「やってあげた」ってことだよな。舞台に立つ、そこで二人で同じことをやる。それなのに「やってあげた」ってやっぱ変だ。自分が芯からやりたい、やっていいって思えることだけをやればいいはずだ。違うのかな、わかんないな。だからあいつも俺の出したネタに、提案に、感性に妥協したってことだと思う。浅ましいけど、俺は今それが許せなくなってしまっている。滑ったのは俺が悪いしやってくれたあいつがすごくありがたいけど、揉めても自分を貫いてくれなかったのがすごく腹立たしい。俺はその熱量でやったのに。お前は違ったのか?って思ってしまう。ネタを俺が書いているからなのか、でも舞台に上がるのは二人じゃないか。面白くないとおもう事舞台で言うなよ。押し通しといて何言ってんだって話だよな、ごめんよ。けどな、いっそ言わないで欲しかった。それで喧嘩したかったよ。勝手すぎてごめん。信じることと妥協することの違いがわからないんだ。

もうまとまった文章じゃない。ただの散文だ。だから思ったことを全部書くことにする。ここまで読んでくれた人、せっかくなら全部読んでくれって言ったけど好きなタイミングでやめてくれ。
所詮は1時間ちょっとの舞台で何も残せなかったやつの戯言だ。その時間が全てだから。この1年間とか、どれだけやってきたかとか、そんなの美学でもなんでもねえ、糞くらえ。一日で考えたことの方が1年捧げたことよりウケる世界だから面白いんだろう?だったら全部言い訳だ。ステージが全てだよ。そこからこぼれたものなんて自己満足にすぎない。俺は舞台を見に来てくれた貴方の目にひときわ輝く存在でありたい。ありたかった。けどそれが出来てない。負け犬の遠吠えなんて綺麗なものじゃない。だらしない人間の糞の垂れ流しだ。

俺は俺の面白いと思うことを貫く。これからも。それが独りよがりにならないために死力を尽くす。そのスタンスは変えたくない。でも、お客さんを大事にする強さが俺にはない。自我が強すぎる。ついてこないお客さんに心底うんざりするような、自分の浅ましさが痛い。時間を使って観に来てくれるお客さんを敵にするなんて言語道断だってことは重々承知。そこを守れる人は強い。面白いとは言いたくない。ちんけなプライドだ。だからやっぱり「強い」。相方もその類の人だと思う。ウケることの方を優先できる。それは強さでもあると思う。ただ同時に「弱さ」にも感じてしまう。ラジオを聞いてて思った。撮ってる最中は自分がしゃべる方に意識が向いていてあんまり聞いてなかったけど、相方は客のことしか気にしていなかった。いや表に出すべきではないとして押し殺してくれたのかもしれない。そう思いたいけど、あいつがずっと俺を止めようとするテンションとか語彙とか疲れ切った感じとか、なんかそういう諸々がやけにムカついていてしまった。本当にどうしようもない、だらしない人間だと自分の事を思う。自分らがやってきたこととか、面白いと思ったものとか、そういうのを出してくれなかった。客のことを考えているというより、自分がよく映りたいだけじゃねえのか?って思ってしまった。表に、舞台に出る上でその感情が完全にない人はそういないと思うし、その感情の大小は人それぞれだとしても、その根本的なベクトルが合ってないような気がしてしまった。
「別に一緒にプロになるわけじゃないでしょ」って言われちゃうだろうけど、俺は本気でちょっと考えていた。相方の人間としての面白さは芸人になったほうが絶対にいいと思ったし、俺にはない要素で強い妬みも持ったから芸人になってほしいって伝えた。そうしたら今回のM-1の成績次第で考えてみたいって言ってくれるようになって、勝手に人生背負った気になったからこそ余計に腹が立ったし無理だと悟ってしまった、のかな。もうわからないけど。

細かいネタの話はしてもしょうがないかな。1本目も2本目も伝わらなかった。
1本目は五臓六腑。昔に供養ネタであげて、何人か好きだって言ってくれる人がいた。9分くらいあったネタを抽出して二分に圧縮した。そのテンポ感がいいと思ったけど、お客さんとの距離をただ感じただけだった。相方があまがみした後に大笑いしてふざけんなって思ったけど、いや。カバーしようとでかい声しか出せなくて、客が離れて、「終わったな~」としか思えなくて勝負を降りた自分が情けなかった。でも実際動画見返したら完全に台本の問題だと思った。本当に面白くなかったのかな。動画見返すたびに喰らっちゃって嗚咽しそうになるけど、この感覚は忘れたらいけないんだと思う。
2本目は選挙。Sugarでやった。前回は俺がミスったせいで全然受けなくて、それを蓮くんの責任にしようとした糞野郎だった。ちゃんとブラッシュアップして二人ともミスなく走り切った。下ネタでくそ滑った。相方、もっと怒っていいんだよ。ただ欲しかった笑いどころとは違って、もうよくわからなくなったけど、このネタに関しては自分を信じる。お客さんを敵に回す。

総じて、自分の面白いって軸がぶれて折れるには十分なくらい滑った。準備と見あわない、とかはダサいけど思っちゃうよな。被害妄想かもしれないけど、舞台に上がった瞬間に客席からの緊張を感じるようになった。いつからかわからないけど、たぶん尖った滑ることすると思われてるんじゃないかな。新顔とは違う緊張感。それに相方を巻き込んで、自分が面白いと思う人も同じ思いさせて滑らすのは申し訳ないし、なんか違うんじゃないかとか思っちゃうし。上でボロクソ言ってしまったけど、相方は本当に面白い人間で、俺にないものを持っていて、一緒に滑らされていい人じゃない。イタスカの「欠点」が全部代弁してくれる。俺たちの相性がいいかって言われると多分そうでもないんだろうな。

これは特段相方柏井に言えたことではない。ネタや平場、MCを見てくれた人が言ってくれたことで、俺は存在感が強いらしい。こういうと自画自賛で気持ちよくなっているようで気色悪いが、かなりこれまでのことが腑に落ちた。まず自分が書いたネタだとボケでもツッコミでも俺の存在が前に出過ぎる。色んな相方の良さが掻き消える。自分以外の人が書いたネタをやった経験は多くないが、以前七対子で「練習」というネタをやった際に、一年間一緒に暮らして今も付き合いの深い隣人に俺が書いたネタだと思った、と言われた。その時は自分のものとして落とし込めたのだな、と良いように解釈したが、相方を食ったともいえる。漫才は二人のバランスが命だ。そのパワーバランスが、権力が生まれてしまって、それがお客さんに伝わってウケてないんだろうか。俺に振り回されている。嫌々に。そういう映り方をしているのかな。わからないが、少なくとも漫才を、ネタという感性の名刺を人に全力で提示して滑る、すなわち否定される(気持ちになる)ことに俺は完全に委縮してしまっている。ネタで損をしたくない。その原因の一端が俺にあって、俺のスタンスそのものや存在そのものならどうしていいのかわからない。存在感が強い人を殺すことなく一緒にやるしかないのだろうか。でも立つ人の横によっては存在が消えてない。それがすごくうらやましい。とうや君だ。けいさんも蓮君も囲もかっしーも、全部消えないどころか伸びる。逆に言えば今あげた人は全員俺が良さを殺した人たち。

ネタで損をしたくない。この一年で強く思った。2年目でMCとか平場を評価してもらう機会が増えたからなおのこと。いつもこういう立ち回りは活きそうとか、そういうものは意識して取り入れるようにしてるとはいえ、ネタと掛けている時間は天と地の差がある。そのネタで損をしたくない。特にニューフェイスと一緒に立った舞台だから強く思ったのだろうか。たくさん舞台に立って、リアルに合算して50は立ったと思う。一年、人生変わっちゃうくらい没頭して考えまくって、そのうえで初めてのバトルライブで。申し訳ないがニューフェイスとはかけてきたものは違う。君たちが頑張った1か月弱、それを何度もやってきた。そのたびに思うように結果が出なくて喘いで叫んで地団駄を踏んで暴れまわってきた。この4月あたりからようやく屈託ない人の笑い声を聞かせてもらえるようになって、Sugarでウケるネタとやりたいネタを両方やってその違いに愕然として。そのうえで今回やりたいと思えるネタのなかでだけ選んで勝負した。去年までの自分を否定せず肯定するために。今までは誰かしらがアンケートでネタを一位に選んでくれていた。バトルライブではなく、好きなネタを選ぶという形式だったからなのだろうけど、それに凄い救われていた。俺は他者評価が絶対の軸というよりは自分自身の面白いを軸にやってきたつもりだけど、それでも貴方のくれる一位がどうしようもなく嬉しくて、最下位もあり得ないくらいとって苦渋をがぶ飲みさせられ続けてきたけど、それでも嬉しくて嬉しくて。「あ、俺はまだ舞台に立っていいんだ」って思えた。一位に入れてくれる人がいればG行為じゃないと思ったから。
だけど、今回俺のネタに一位を入れてくれた人はいなかった。100人見てて一人も居なかった。今までより多くのお客さんが見に来ていたのに、その誰にも本当の意味で刺さらなかった。平場の立ち回りとか、最下位にいれるのが妥当だと思われただろうし、その方向性で笑いを取れなかった。けど、そのうえで、その逆境を跳ね返すかのように、自分の感性を疑いながらも「これがいいんだ」ってものに投票する。それが俺のネタを一位に選んでくれるってことだと思ってた。これまでのライブは。その葛藤が手に取るようにわかる。自分が客でも自分のネタにそう逡巡するだろうから。だからこそ、貴方がくれる一位が嬉しかった。お客さんなんて集合体じゃなくて、貴方、あなた、貴女、彼方、貴男の一位が嬉しかったんだ。

それが今回は一つも無かった。

100票を集計するなかで何度も、何度も何度も何度も自分のコンビの横に5位の正の字を引っ張った。紙が破れるんじゃないかってくらい力が籠った。どれだけ力を込めて引っ張っても、その太くて濃い線を一位の枠に書くことはなかった。

ラジオで一位か最下位でいいって言った。そういうことだった。誰もに面白い、これはケチを付けれないっていうネタで一位を取らせたいってずっと思ってる。嘘じゃない。けど、それよりも刺さる人が愛してくれればそれでいいとも思っていた。だから俺は俺の「強さ」を信じてやってきたけど、この1年間が揺らいで霧散―いや夢散するような感覚にとらわれた。

勝ち負けじゃないと思えるとこまで俺は勝ちにこだわるよ。これはMOROHAの言葉で、自分が吐いた言葉かと思うくらいしっくり来た。蛙亭のイワクラさんも語ってたと思う。皆面白いし(面白くない部分を斜めに見てる俺もいるし、俺の方が面白いって思ってる俺もいる)、自分が面白いと思うこと、感性の名刺を大勢の前で広げる行為そのものがすごく勇気がいることで、やればやるほどその踏み出す勇気は強くなる。だから本当に舞台に本気であがるすべての人をリスペクトしてるし、受け取ってくれる人をリスペクトして愛してる。「面白い」って感情は他のものよりも日常に溢れて生活に根付いているからこそ、レイヤーが複数重なり合って、綺麗で醜いグラデーションがそこにある。だから、本当の意味で「面白い」に勝敗なんて要らないのかもしれない。けど、だからこそ、自分の面白いを研ぎ澄ますために、俺は「勝ち負けじゃないと思えるとこまで俺は勝ちにこだわる」必要があるんだと思ってる。擦れて、「別にわからなくてもいいよ」って態度も取ってたし、まだ思ってしまうときが多々ある。でもやっぱり、勝ちにこだわることが、一位に選んでくれた人への責任だと思う。俺が口に出した時点で、俺のネタは俺だけのものじゃない。俺に影響を与えてくれるあの芸人のネタは俺の日常を変えてくれる。何かを見るたびに「あの人たちが弄ってた」って思う。それは世界の見え方を変えられたってことだ。それって本当にすごいことだろう?誰かの世界の見え方を変える可能性がある。自分が吐き出すネタにもその責任があって、それならやっぱり真に面白いと思えるものじゃなきゃ失礼だし、勝ちにはこだわるべきだ。「人による」で済ませていいことじゃねえんだよ。そんなことはなからわかってる。そのうえでやってるんだろうが。

ライブに人を呼ぶことが怖くなった。自分が声をかけることができる範囲の人は、少なくとも少しは日常で接点があって、自分を面白いと思ってくれてるんじゃないかって人に限られてしまう。最初は片っ端から必死に誘ってたけど、もう今となっては「滑ったね~」って弄ってくれそうな人しか誘えない。それが情けなくてしょうがない。俺は友達じゃなくてファンとしてその人たちを呼びたいのに。なのに、俺はその人たちに1番面白かったって言わせてやれたことがない。気遣いでいう面白いには優しさがたくさん詰まってるけど、その優しさが残酷で。そんな気持ちにさせるなら、そしてなるくらいなら呼べなくなってしまう。俺は大切にしたい、人として面白いって思う人たちの一位にもなりたい。なのに、なのに俺は。

2期生のネタにだいぶ手心を加えた。頼ってくれる人も多かったし自分から見た人もいっぱいいて、指摘した箇所がよくなって受けてて本当に安心した。でもそれは、俺がお笑いを好きだってことに安心できたってのもあると思う。面白くなりそうなものを放置することができない。それは自分が勝つためには無視するべきことだったけど、それをしなかった。俺がお笑いを好きでいられている証拠。同時にめちゃくちゃ恥ずかしいしダサい。人に口出していい身分かよ。俺が2期生側なら絶対思うもんね。
「結果出してから言えよ」って。

俺がなんで舞台の上に立っているか。お笑いはもちろん好きだ。ネタを書くのも好き。自分が面白いと思うものを表現することは好きだ。でも、それは舞台に上がる理由にならない。人前に立ってそれを披露する意味には。
俺は舞台に立つことでなりたい自分を、ありたい自分を強く意識しているんだと思う。舞台に上がって、人の笑い声を浴びて、自信に満ち溢れていて、バカだなってことを全力で楽しめて、そのうえで尖らせて研ぎ澄ました鋭い感性の名刺で釘付けにする。闘うことを恐れないで、勝敗なんてなくていいことで本気に向き合って闘ってる。そういう人たちに憧れている。そういう自分になりたい、そういう自分でありたい。
それが俺に舞台に立つ理由だ。

ライブのあとから涙腺が緩い。人の輝きの眩しさがそのまま悔しさに変換されて目が濡れてしまう。悔しさに歯止めが効かない。自分の不甲斐なさに怒りが湧いて、悔しくて悔しくて悔しくて仕方がない。
この気持ちを捨てない。大事に抱えて包むようなこともしない。
雨にも負けず風にも負けず。削ってくるすべてを跳ね返して、丸くなるんじゃない、更に尖らすんだ。

ライブのあと打ち上げでの一次会で悔しすぎてアンケートに噛り付いた。人と話したら何かせき止められなくなって、自分も他人も傷つける気がして、だからアンケートを無理に集計しようとして黙らせた。悔しさを押し殺した。二次会は少し話せる状態になって、でも悔しさがずっと話に滲んで騒ぐようなことはできなくて。ただ沸々と悔しさを抱えながらも外に出せず、酔いもしていないのに表面的な悔しさに酔ったふりをして。ダサくてしょうがない。でもとうや君が本気で悔しがってくれたのが伝わって、それで思わず泣いてしまった。CCCのメンツの前であんなに本気で泣くのは初めてだった。笑いにならないし誰も弄ってくれてない。本気で泣き過ぎた。悔しさが止まらなかった。悔しさが流れ出るような気がして、スッキリしていいわけないと思ったから押し殺そうとしたのに、それでも溢れて止まらなかった。あんだけ流したのにまだ悔しい。良かった、あの涙は薄汚い自己満足じゃなかった。無理やり前に出た平場で、出ないといけないと思った平場でお客さんの中に敵も作ってしまった。全然楽しくなかった。それが悔しかった。

ありたい俺でいるために、平場もMCも楽しむために、ネタは命だ。ネタが肝心だ。ネタで克服するしかないんだ。俺は作るぞ。怖くてしょうがないし、もう何が正しいかわからない。初期に衝動のまま作ってた頃のほうが好きだといってくれた人もいるような気もする。ただその作り方に戻ることは退化なのか進化なのか。そもそもその作り方はまだできるのか。色々混ざってグチャグチャな今の俺が作る、今の「面白い」に価値があるって信じてる。というか信じる。
というか、誰が否定してんだよ。ふざけんな、誰だ手前ら。見とけよ、絶対に笑わせてやるから。心震わしてやるよ。死ぬほど嫌いなのに笑っちゃう、見ちゃうってところまで行ってやるからな。俺は迎合しないぞ。俺は俺が面白いと思えることを続けて叫んで貫いてやる。

もう何が面白いかわからないし、というか面白いけど「そんな笑うほど?」って箇所でお客さんが湧く。強がってないと折れちゃいそうな自分が一番闘ってる。それに酔わないように。向き合って。でもやっぱ笑ってほしいから、そういうところは器用になるかもしれないけど。それでも自分の軸だけは曲げない。

芸人になるなら、これが何年も続いてゴールが見えることもないんだろうな。どんだけ真っ暗な道なんだよ。でもはちゃめちゃに明るい道でもあるんだろうな。その光に吸い寄せられて始めたんだから。

俺は舞台に立ち続ける。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?