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書散裸#32 10代の軌跡 17歳編

自己形成に関わるものを書く、という目的を忘れずに今回も書いていきましょう。


17歳。高校2年生。

コロナ禍突入

1年の終わりごろにコロナ禍に突入、2年の前期はあんまり学校に行かない時期だった。
「これは自分の勉強ができるぞ~」
と一カ月くらいは意気揚々とやっていたのだけれど、
「本当にこれでいいの?」
が勝ってしまい手つかずに。シンプル怠惰に。
その分、家族と過ごす時間がとても増えた。

この時新しい家族を迎えた。
ペットの愛犬である。
ペットを家族と分離するやつ、ネタとしては面白いけどやっぱ家族なんだよな~。家族って別に血縁がどうこうって話じゃないだろ、っていうのは、もっと家族についての考察を深める中で書いていこうと思う。
俺は4兄弟の長男で、これまであまり兄弟の話を出していなかった(プライバシーあるからね)が、この時期は切っても切り離せない。
家族が多かったからあまり病まずにやれてた。
散歩行って遊んで~ッテ感じで充分だったし。

ネットの交流も増えたな。
Study Plusという勉強版Twitterみたいなアプリを主に使っていた。
電車で見かけた女子高生が使ってて嬉しかったね、まだ生きてるぞこのアプリ!って。
そこで出会った縁のいくつかは今も継続していて、インターネット上の付き合いについて、自分なりの距離感とか態度を学べたのもこの機会だったように思う。
途切れてしまったものも、大学院受験への勉強を機に再開させられないだろうか。
全然香ばしいが、それでもいいからもう一回連絡とってみたいな。

自転車競技部、部長に。

学校が再開し、制限がめちゃくちゃ課せられていたが、部活も少しずつできるように。若干思い出しにくいのはそもそも思い出せる材料が少ないのもあるだろう。
うちの高校は部活を3年成り立ててくらいで割とすぐ引退する。受験に集中!団体戦!ってやつ。俺はそんな腐す気はない。団体は言い過ぎだが、切磋琢磨する仲間ってやつは結構貴重だった。

それは良いとして、部長になるという経験も有難いものだった。
うちの高校は中高一貫だから、部活には中学生がいるところもあった。自転車競技部、通称チャリ部がそうで、これがまた困りものだった。
中学生を連れて練習場の田んぼまでいってひたすらグルグル周回。これだけでも結構気を遣う。

同期は3人いて、一人は結構揉めて、一人は今も普通に仲がいい。嘘、心地年くらい連絡とっていない。取ってみるか。無事行っていれば医学部に行ったはず。浪人中に一度会ったがその後連絡が途絶えた。
同期はあまり切磋琢磨する!って感じにならなかったが、一期上は人数が多くて、そのうちの二人くらいがずっと壁となってくれて楽しくやれていた。
後から入ってきた後輩と切磋琢磨するようになった。
凄く素質があるやつで、一緒に走れて本当に楽しかった。
俺が引退してからめっちゃ速くなったらしい。もう少しで関東大会くらいには。手抜いてたの?
そんな感じはしなかった。結構バチバチ闘って毎回とはいかないもののちゃんと勝っていた記憶がある。
よき壁だったということですな。

自分は選手としてはあまり結果は出せなかった。
競技人口が少ないのでいきなり県大会スタートなのだが、それゆえ上と下の差が激しい。特に埼玉県は強い県だったから。
弱虫ペダルほどの団体戦は俺は全くできなかった。多分強いチームはそういうのできるっぽいけど、もう個人戦。2周目くらいにはチームメイトが集団に千切られ、他校の似たような境遇のやつと頑張って走るものの、伸びていく集団の後部に追いやられ、一度切れた集団が上位集団を捕まえるのは難しい。徐々に削られて周回遅れに。全然楽しくないなこれだけは。悔しくもなれなかった自分が不甲斐なく悔しかった。
とはいえ、そもそも完走するだけで関東大会にかなり近づくくらいの大会ではあるんだけどね。
後輩が伸びてくれたのは嬉しい。
今のチャリ部がどうなっているのか、弟を通して聞いてみるか。

自転車競技も珍しいスポーツだし、何とかこの経験を活かしたい。
まずはサイクリングの再開だな。
競技もしたい。やっぱ悔しい終わり方だった。
ちゃんとチームでやってみたいな。

選抜クラス

成績が良かったので選抜クラスに。
ここがまあ居心地が悪い。
一年目のクラスは波乱だったがその分楽しかったのだが、ここはなんというか陰湿だった。選抜に残った人間と、新しく入った人間の間に確執があった。
自分で抱え込む勉強が加速して成績が低迷していく。
段々学校に行く意味が見出せず、サボりがちに。
正門までいったけどUターンして近くの河川敷で寝るとかしてた。本もよく読んでた。自分を考えるうえではすごく大事な経験だった。

この時期に読んだものの一つが西加奈子『i』だった。
この紙幅では書けないくらい、この本に人生を規定してもらっている。
自分の存在理由に悩んでいた時に、こう動きたい!その原動力をくれた作品だった。
また絶対に書く。

この状態で進級させてくれた担任には本当に感謝している。
卒業まで見届けてもらうことになるが、本当に感謝している。

シンプルに理系に行ったことが大ミスだったのは間違いないね。
中学の頃全く数学が出来なくてコンプレックスだったのだが、高校で勉強してみると、できるほどではないが理解できて楽しくなってしまった。物理基礎も面白くて、理系にいって環境問題の分野で社会課題にアプローチしたいと思うようになっていた。
その結果、適正がなさ過ぎて勉強についていけなくなったのも、自分を誤魔化すために学校を捨てて勉強することに繋がったのではないかと思う。
高3で文転してからのほうがまだ勉強楽しめたもんな。

生徒会長選挙に出馬

この一番荒んでた時期に生徒会長選挙に出馬することになる。
中学時代の経験から、1年の段階で生徒会に入って書記をやっていた。とはいえ、かなり肩透かしの組織で、正直機能していなかった。その機能不全を改善したく、同時にたいそうなことをやりとげてやりたいという野心で出馬したのだが、まあ荒んでいる自分だ。スピーチも何故か用意しなくても話すテーマさえ決めておけばいける!と思った結果、大きいことはいうがふわついた。結果、賑やかし(とはいえ本音を喋っていていいスピーだった)のやつが当選。一応去年度までの運営を知っているため、書記を継続することになったが、これまた肩透かしの組織に。しょうがないよね。

今思えば、スピーチも堅実に一部だけ革新を混ぜ込んで、そのうえでちゃんと練った状態でいくのがベストだったと思うのだけれど、とにかく荒んでいて無理だった。それに、自分の言った内容に問題がありながらも、「え?賑やかし勝っちゃうの?」に持ってかれてしまい、この年は活動にかかわる気にならなかった。去年までのやり方を聞かれた時だけ答える感じに。
もっとやりようがあった。
これはかなりの失敗体験。
その賑やかしの応援の連中にデカい声で「遅刻するやつに誰が入れんだよ!」とかめっちゃ言われたのは覚えてる。〇してやろうと思ったけど、まあぐうの音も出なかったのでしょうがなかった。

多分だけど、あの時期はちゃんと鬱だったのかもしれない。
そのくらい手につかないし気力もなかった。

定期的にそういう状態に陥る。
基本的にポジティブな思考回路だから取り逃しがちだが、自分にそういう性分が備わっていることはちゃんと自覚しなきゃならない。
今年の11月も体調不良を切っ掛けに一カ月くらい半端ないくらい無気力だった。ヒトと会話するのが無理だった。

年が近くなればなるほど、ダイレクトに今の自分に響いてしまって、書いてて動揺してくる。だが記憶は新しいから筆は進む。なんとも悲しいアンビバレント。

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