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#09' 花持各々時('23.4.25)

 例年、この辺りでは連休の頃に咲くハナミズキが4月半ばに開花して、既にその盛りが過ぎようとしている。それを引き継ぐように、庭でマーガレット(の仲間?)の蕾が随分膨らんできた。百合や南天と同様、これも植えたものではなく、どこからか運ばれてきた種が根を張って少しずつ増えてきたものだ。茎が長いので、毎年季節の風雨に気を揉むことになる。もう少し背が低ければもっと安定するのだろうけれど、それなりの必然性があって今の姿になったものだろうし、その頼りなさをも含めて、私たちはこの花を愛でているのかもしれない。通勤の途上では、道の脇で試験管を洗うブラシみたいな形の白い花がたくさん咲いている。大きな木だから春毎に咲いているはずなのに、何故か記憶がなくて新鮮な気持ちで眺めている。twitterの投稿でウワミズザクラというらしいことを知った。気になっていると情報に目が留まるし、名前を覚えると不思議と印象がくっきりする。良くも悪しくも、人は言葉で対象を認識しているところがあるようだ。
 連休が近くなって、ぼちぼちと今年の予定を立て始める。ようやくコロナ抜きの通常モードという感じ。子供たちは帰ってきたり来なかったり。妻は来ない子のことを心配するけれど、自分が若かった頃のことを思えば全く気にならない。心配はしないけれど、だいぶ歳を重ねてきて親の気持ちが分かるようになったということはある。まだ独身の時分に帰省した折、たぶん暇そうにしていた私に、父がウナギ獲りをするかと言い出したことがある。仕掛けをいくつか作って、父がかつてウナギを獲った近所の川に二人で付けてまわった。翌朝見てまわると、残念ながらというかやっぱりというか、ウナギは一匹もかかっていなかったけれど、今となっては父の心遣いが懐かしく思い出される。
 母はこの秋に卒寿を迎える。父が急に亡くなってから11年、生活は兄夫婦が一緒なので心配ないが、住まいが別棟なので、田舎の古い農家の母屋に一人で居るのはやはり寂しさもあるようだ。毎朝短いメールを送る。今日は暑くなりそうだとか、今朝の有明の月がきれいだったとか…。未だにガラケーなので、よく携帯会社からスマホへの切り替え案内が届くが、ようやくメールを見る方法(返信は出来ない)を覚えた母に、また新しいことを覚えてもらう自信がない。母の日に何かほしいものはないかと聞くと、決まって何も要らないという。その割には、プレゼントには素直に(多分ポーズではなく)うれしそうな笑顔をみせてくれる。連休には、デイケアに来ていく服でも用意して顔を見に行こうかと思う。

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