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さよならネクタイ

 服装の軽装化が始まった朝、出社してみると事務所でネクタイをしているのは自分一人だった。大方予想はしていたけれど、やっぱりこんな感じかと納得。クールビズが定着した時点で一年の半分、夏物のネクタイが不要になっていたが、秋冬ものも風前の灯火というところか。これからも絶対外さないという程の拘りはないけれど、かれこれ40年も締めてきたので流石に若干の感慨はある。ので、ネクタイについて思いつくことを少し。
 とりあえず、私が直ぐにネクタイを外さないのはまだ寒いからだ。クールビズが10月まででも途中からネクタイをし始めるように、こちらで3月はまだ寒い。そもそも胸元のVゾーンが空いた今のスーツはネクタイすることを前提としているので、あるべきものがないとスカスカだったり間抜けだったりする。ネクタイをしないことが一般的になれば、きっとスーツの形も変わっていくのだろう。
 寒さも理由の一つだけれど、直ぐに外さないことの本当の理由は、多分ネクタイへの愛着だ。男性の制服ともいえる地味な(美しいものもたくさんあるけれど)スーツにあって、ネクタイは数少ないセンスの見せ所でありコミュニケーションツールでもあった。特別おしゃれな訳でもないけれど、ネクタイにはそれぞれに美しく結べるただ1点のポイントがあって、朝一発で決まれば気分がいいし、ダメなときは何回結び直してもダメなものだ。その日の気分や用向きに合わせて選ぶ楽しみもあれば、一仕事終えたあとにネクタイを緩めることがオンからオフへの切り替えにもなった。
 確か古い小説の一節に「僕の本音はネクタイを外さないと…」みたいなのがあったかと思う。これからネクタイも段々映画や小説の中で知る文化財のようになっていって、レコードみたいにそのうち雑誌で特集が組まれたりするようになるのかもしれない。「今ネクタイが新しい!」とか?私のワードローブには、コインに女王陛下がいた頃の香港で入手した老兵から、旅先の絹織物館で見つけたもの、子供の結婚記念にこれで最後かなと思って買ったものまで様々並んでいるけれど、もし将来子供たちにあげると言っても、きっと使う機会がないとか言われるんだろうな。BGMは中島みゆきの「世情」か?

 世の中はいつも変わっているから
 頑固者だけが悲しい思いをする…。
  

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