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数え歌

 二十歳の頃、デカルトの「我思う、故に我あり」をもじって「我感ず、故に我あり」というのを考えた。表現することが出来るかどうかは分からないけれど、とりあえず感じることは出来る自分でありたい、感じることが出来れば存在する意味があるのでは?と思った。「我が心は石にあらず」とか。
 三十前で思い付いたのは「ちやほやされんと生まれけむ」というフレーズ。謂わずと知れた梁塵秘抄の「遊びをせんとや」のもじりだ。その頃登場した鴻上尚史さんが「安心しなさい、世間は甘い」ということを言っていて、何となくホッとしたというか励まされたというか。村上龍と村上春樹の対談では、「すべての人に好かれることは出来ない」という春樹氏に対して、龍氏が「みんなに称賛されなきゃ嫌だ」みたいなことを言っていて、頭では春樹氏に納得しながら、気持ち的には龍氏に賛同していた。恥ずかしながら、その頃の頑是ない子供のような心持ちのまま現在に至っている。
 四十になったとき、孔子は「四十にして惑わず(不惑)」と言ったけれど、自分は未だに惑っていたので「未惑の四十」と名付けた。いくつになっても、年齢の実感が自分のイメージに追いつくことはない。古い映像を観ると年齢の割に大人びた表情によく驚くけれど、昔は十五歳が元服でそこからはもう大人だった。今は寿命が延びているだけでなく、一人前になるまでの時間も長くなっているのかもしれない。そのうち成人式が三十歳になったりして。
 五十歳のときに震災がきて、二度ほど「終わりか?」と思ったけれど、不思議と怖くはなかった。丁度半世紀生きられたからまあいいかとか、確か信長も人生五十年て言ってたよなあとか。
 六十歳まで働けばお役御免だと指折り楽しみにしていたら、いつの間にかゴールが六十五歳になっていた。きっとその内七十歳になるんだろう。自分の父親が七十九歳で亡くなったので、何となく自分もその辺りなのかなあと思っている。随分先のことのような気がしていたが、考えてみるとあと十五年しかない。中学卒業までと思えばそれなりの時間だけれど、震災からもう十三年経っていることを考えるとあっという間だ。かと言って何を急ぐ訳でもなく、これからも同じように本を読んだり庭の芝を刈ったりしていくのだろう。最近になって、何となく今生での自分の使命はこれだったのかもというものがぼんやりと浮かんできた。まだ確信はないけれど、それは決して大げさなものでなく、対象の限られたごくシンプルなことだ。人の一生とは案外そんなものなのかもしれない。



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