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#07' 夜半の雨と村上春樹('23.4.17)

 土曜の夜、というか日曜の朝?結構しっかりとした雨音で目が覚めた。スマホで時間を見ると午前1時前、しばらくベッドの中で雨音を聴いていたけれど、眠れそうもないので起き出した。村上春樹の新刊を読むにはもってこいの夜だ。
 前日の午後から、新刊の「壁」を読み始めた。登場人物は17歳のぼくと一つ年下のきみ、その出会い方からしてダメな人はダメなんだろうなあと思いながら、勿論ダメではない私は、読み終えてしまうのが惜しいのでわざとゆっくりページをめくっていく。
 初めて村上春樹を読んだのは学生の頃、「風」が'79年で村上龍の「コインロッカー」と田中康夫の「クリスタル」が'80年、そんな時代の中で村上春樹の作品が一番しっくりきた。最初の三部作「風」「ピンボール」「羊」はロスト&ロスト&ロスト、喪失の物語として読んだ。次の「ハードボイルドワンダーランド」でかろうじて踏みとどまって、そこから他者を求めていったようなイメージ。独身だった頃、電車でどこかの駅に行ってホームで煙草をふかして帰ってくるという短編を読んで、30を過ぎて一人でぽか~んと浮かんでるのもいいかもしれないなと思ったりした。登場人物が、よく「分からない」という言葉を使うのを読んで、そうか、分からないって言ってもいいんだ!とよく分からない感心の仕方をしたりもしていた。
 全部とは言わないけれど、主だったものは大抵読んで本棚に並べてある。若い頃は完璧を求めがちだけれど、歳をとってくると段々そうした感覚は緩んできて、「羊」の初版本は昔部屋に遊びに来た女の子に貸したまま、「ハードボイルドワンダーランド」は長女のアパートに、ウイスキーの本は数十年ぶりに会った高校の同級生に渡した。自分の本がどこかでひっそりと息づいているのを想像するのは楽しい。
 いつの頃からか、村上春樹は異常な(と私には思える)人気になってしまって、メディアでハルキストという言葉を耳にするたび恥ずかしい気持ちを覚える。最近は、若い世代から村上春樹への違和感の声を聞くこともあって、確かに時代の空気みたいなものが変わってきたことを感じることもある。それでもきっと、私は新刊が出るたびにそれを買い求めて読み続けていくのだろう。休みの前の晩に、時間を気にすることなくページをめくって、読み終えたとき、ふうっと一つ息をつく時の幸せ。村上春樹の新刊本は、私にとって何年かに一度咲く桜のようなものになっているのかもしれない。
 時刻は午前3時半、明るくなるまでにはもう少し時間がある。もう一度ちょっと寝てくるかな?雨は上がったようだ。
 

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