見出し画像

#61 人付き合い

 どうしてそんなことを考えたのか全く記憶がないのだが、中3の時、クラスの全員と仲良くしようと思って意識的に過ごしたことがある。周りからどう見えたかは分からないけれど、自分的には概ね上手くいって、その時期を楽しく過ごした。しかし、流石に幾分無理があったようで少し疲れたので、知る人がほとんどいない高校では逆に口数の少ない渋いキャラを目指した。そもそも、キャラクター位どうにでもなるという考え自体が思い上がりだったのだが、演ってるうちにだんだん気分が落ち込んで、暗い高校生活を送った。業師技に溺れる、自業自得だ。
 そうした馬鹿な経験を踏まえて、また知る人のいない大学生活では自然体でいこうと決めた。元々団体行動が苦手なので(多分、過剰な自意識のせいだ)なるべく個人で行動していたのに、ひょんなことからサークルを立ち上げることになったのは神様の悪戯か?何度も止めようと思ったけれど、何とか後輩にバトンタッチするところまで続けたことで、いろんなことを学んだ(美しい歳の取り方とか)。
 人との付き合いは難しい。「人と付き合うことが、この世で一番楽しくて辛いことだ」と、中学の時に書き始めたノートの1ページ目に書いた位だ。私には7年おきの法則というのがあって、大体7年ごと位に苦手な人が目の前に現れる。勝手にライバル視されるとか、持たせてはいけない裁量を持った人に翻弄されるとか。不幸というのは、単にその人が苦手だということではなく、苦手なのに一緒にいなければいけない状況のことだ。期間限定であれば、カレンダーに毎日×印を付けながらやり過ごすこともできる。終わりが見えない場合は、自分が考え方や場を変えるか相手に変わってもらうしかない。相手との関係が対等とは限らないので、悩ましさがより複雑になる。
 個人的には「君子の交わりは淡きこと水の如し」というのが好きだ。淡い交わりを続けるためには、お互いが自立していなければならない。辛い時に頼ることはあっても、一定の節度は必要な気がする。そんなのほんとの付き合いじゃないという意見はあると思う。人に頼ることが苦手な私は、本を読んだり音楽を聴いたり。それでも駄目なときは自然の中に身を置いてみる。花鳥風月、雪月花、月も火も水も木も、空も海も野も山も、ふれていると自分の小ささと自分も自然の一部であることを教えてくれる。そこからもう一度人の中に戻っていく力を頂く。元々一人ではあるけれど、やっぱり一人ではねぇ…。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?