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#78 コピーとカバー

 先日観たアニメで主人公がお堀に落下するシーンに既視感があって、何だっけなと考えてみたら「カリオストロの城」だった。'80年の12月に初めてテレビ放映されたのを隣室のKさんと観た時、余韻の興奮が冷めやらず、夜中に二人で飲みに出たことを思い出す。多分あの描き方はカリオストロへのリスペクトの表れでありオマージュでもあるのだろう。そんな風に繋がっていくものにほっこりする。
 音楽だとコピーバンドがありカバーアルバムというものがある。コピーはオリジナルの忠実な再現を目指すもの、カバーはオリジナルを演奏者の理解で再構成して表現するものだと思っている。亡き志村正彦がPuffyに提供したBye Byeはアルバムの中でもキラっと光る名曲だが、矢野顕子のカバーを聴いたら「手はもう離してしまった」という歌詞が鮮やかに浮かび上がってきて驚いた。カバーは創造だと思う所以だ。
 私は元々オリジナル優先主義だった。何となれば、最初に作る人が居なければコピーもカバーもしようがないからだ。ただ、余程の天才は別として、初めからいきなりオリジナルが創れる人は稀だ。普通は好きな曲のコピーから始めて、演っているうちに「ここ、こういう展開もあるな!」と思いついたりして自分のオリジナルを作り始める。コピーはオリジナルの母な訳で、盗作は勿論NGだけれど、坂本龍一が自分の曲の盗作騒ぎに寛大な対応をしたのも、そうした創作の本質を理解していたからだろう。
 考えてみると、作曲家が残した楽譜を何百年にも渡って数えきれない指揮者や演奏家たちが連綿と読み取り演奏してきたクラシックは、ある意味壮大なカバーであり創造だと言えないだろうか?ジャズも、誰かが作った曲を数多の演奏家たちが自分の解釈で演奏することでたくさんのスタンダードが生まれてきた。最近では、ロックやポップスの曲がいろいろな人にカバーされることでスタンダード化していく様子を私たちは目の当たりにしている。おそらくこれは音楽に限ったことではなく創作全般に言えることなのだが、コピーしたりカバーしたりしながら新しいものが生まれスタンダードが出来てくる世界の豊かさ。その豊饒な世界を享受できることの幸せに感謝したい。
 

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