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#60 於長月晦日

 十五夜も済んで9月が終わる。長月は陰暦の呼び方だし、晦日は月が隠れる日という意味だから現実とはそぐわないけれど、そこはご愛敬。月の半ば過ぎまで「もう9月なのに」と厳しい残暑を嘆いていた割に、数日前からは急に涼しくなって、朝方は「まだ9月なのに」と言いたくなる位の寒さだ。夏がとても暑かったせいか、今年は稲刈りが早い。お陰で9月のうちに新米が届いた。以前タモリが秋の味覚を聞かれて「新米!」と答えていたが、蓋(ケダ)し名言だと思う。私なら「新米と新酒!」と答えたい。
 夏の終わりから、開高健の「河は眠らない」という釣りに関する文章を集めた本を読んでいる。個々には昔読んだものの再読だけど、まとめて読んでみると記憶のあるものもあれば新鮮なものも。開高健は世界を股にかけた根っからの釣り師のようなイメージだったのが、今回読み直してみたら、全くの素人から書き物の企画で釣りを始めたことが分かった。だからこそ、瑞々しい体験がオリジナルな筆致で描かれているのだろう。私の住んでいる地域は、9月の半ばで渓流釣りのシーズンが終わる。まだ釣りをしていた頃、竿収めの日にまさかなあと竿を出した小さな落ち込みで見事な尺イワナが釣れたことがある。有難く頂いたところお腹にたくさんの卵を抱えていて、私が釣らなければ…と思って、その日以来釣りをしていない。
 昨日、お世話になっている施設に母を訪ねた。先月下旬の入所から二度目だ。義姉が訪問の日程を伝えたら、「十五夜の日だね、この間来たばっかりなのに」と言っていたらしい。会ってみると、「スタッフに理不尽な怒り方をする人がいるんだ」とのこと。なるべく穏やかに過ごしてほしいけど、とりあえず元気なようで安心した。持っていった孫の写真には目を細めていたな。
 以前書いたように、9月はその爽やかなイメージの割に天気が落ち着かないものだが、にもかかわらずイベントが多い。今年は4年ぶりというイベントやお祭りが目白押しだった。普通に出来ることの有難さを感じるとともに、お祭りができる地域の元気さというようなことも漠然と考えた。ファミリーイベントも続いて、ばたばたと9月が終わっていく。自宅の庭も妻方の実家の庭もしばらく手が回っていないが、何とか辛うじて部屋の軸を夜釣りから月見に換えた。
 今宵は十六夜、昇ってくる月は見えるだろうか?


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