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#59 大相撲のこと

 秋場所は、決定戦の末貴景勝の優勝で幕を閉じた。今月は早番勤務だったので、中入り後の取組みが観ることが出来た。相撲は十五日間の流れを見るのが楽しい。勝つべき人が勝てるか?思いもよらぬ伏兵は?このところ横綱不在の場所が多いのは寂しいが、その分、大きな木が切られた森に陽が差して下から草木が伸びてくるように、新しい力がぐんぐん育って上位が拮抗している。楽に勝てる勝負は一番もない。どんなに実績があっても負ければ番付が下がる。その厳しさが清々しい。
 私が相撲を観るようになったのは祖父の影響だ。子供の頃、日中の庭仕事を終えた祖父は、夕方になると二合用の平徳利に入れた日本酒を燗して、卵2つに醤油を垂らして焼くとテレビの正面に陣取った。当時は柏鵬時代、とは言え柏戸はなかなか大鵬に勝てなかった。そこに割って入って行ったのが北の富士と玉の海の両横綱。私のお気に入りは横綱玉の海になる前の大関玉乃島、何しろ土俵際の粘りがすごかった。粘り腰というと先代の貴乃花を思い浮かべる人もいるかと思うが、子供心の記憶では玉乃島の粘りを上回る力士はいない。その頃は、絶対的な横綱・大関の回りを前之山や長谷川といった渋い脇役たちが固めていて、土俵の充実ぶりは見事なものだった。玉の海が人気・実力の絶頂期に亡くなってしまったのは返す返すも残念だった。同じ頃、自動車事故で亡くなってしまったのがプロボクサーの大場政夫だ。最初にダウンを奪われながら、最後には逆転のKO勝ち。そんな試合を何度も見せられたらシビれない訳がない。私にとって、子供の頃に若くして亡くなってしまった二人のヒーローだ。
 話を相撲に戻すと、最近ちょっと気になっていることがある。現在の立行司式守伊之助が軍配を前に突き出して房のひもを垂らした時、房が土俵にベタっとついてしまうことだ。様式美として、あの房は土俵スレスレでありながら決して土俵に触れてはいけないのではないか?そのピンと張った緊張感が大事だと思うのだが如何だろうか?ひょっとするとあの軍配はどなたかからの授かりもので、前の持ち主と身長の違いがあるのかもしれないが、だとしても紐の長さは調整できるはず。大相撲は単に勝ち負けだけを楽しむものではないはずだからして。(ああ、こうやって人はメンドクサイ年寄りになっていくのだな…。あ、一般論ではなくて「私」が!)

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