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#01' ONCE A FOOL,…('23.1.16)

 「ONCE A FOOL,…」は'85年の11月に発表された高橋幸宏7枚目のオリジナルアルバムだ。カセットテープで持っているから、多分貸しレコードを借りて録音したものだろう。丁度レコードがCDに代わり始めた時代で、まだ貸しレコード屋があった。YMO解散後のものを全部持っている訳ではないから、シックなジャケットと「昔々あるところに一人の愚か者が…」というタイトルに惹かれたのかもしれない。
 当時、私は夏に一年間の研修から東京に戻って配属が決まり、初秋にようやく会社の寮を出て阿佐ヶ谷のアパートに引っ越したところだった。学生時代に4年間を過ごした世田谷から杉並に私を誘ったのは、中央線のディープな文化的蓄積と中杉通りの欅並木だった。
 阿佐ヶ谷は中央線の他の駅と同様、駅を中心に四方に商店街が伸びていて、時を経てきた店々を眺めるだけで楽しかった。赤瀬川原平の櫻画報大全を読んでいたら阿佐ヶ谷の秋刀魚の旨い店というのが出てきて、行ってみたらそのまま健在だったりした。駅の北側から青梅街道に繋がる欅並木は大きなトンネルを作り、仕事や遊びで朝帰りすると、いつも枝の中で雀たちが賑やかに出迎えてくれた。
 阿佐ヶ谷というと井伏鱒二の訳詩を思い出す。元々は唐代の高適という詩人の「田家春望」という漢詩だから、阿佐ヶ谷が出てくるはずもないのだが、井伏の意訳はこんな風だ。

 門出何所見  ウチヲデテミリアアテドモナイガ
 春色満平蕪  正月キブンガドコニモミエタ
 可嘆無知己  トコロガ会ヒタイヒトモナク
 高陽一酒徒  アサガヤアタリデ大ザケノンダ

 結果的に、阿佐ヶ谷のアパートで過ごした3年半が、独身時代の最後になった。深い朝もやのようなインストルメンタルから始まる「ONCE A FOOL,…」には、全体に失恋の切なさが通底していて、今でも再生すると、それを聴き込んだ時の晩秋の匂いと、一人でポカ~んと浮かびながら些細なことで気持ちが浮き沈みしていた日々の記憶が蘇る。
  

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